見出し画像

性自認は男性だけど、社会から男性扱いしてほしくない。

突然ですが、僕は「男性」だ。
だけど、「男性扱い」されるのが嫌だと感じることが多い。

「ジェンダー」という言葉が浸透してきて早数年。
自分や他人の性別、偏見について考えたことがあるという人も増えたのではないだろうか?

性を考えるうえで、性自認が重要になってくる。

このnoteでは、性自認について触れつつ、僕の実体験をベースに「男性扱い」されたくない理由を書いていこうと思う。

みなさんがジェンダーを捉え直すきっかけになってくれたら幸いだ。

性自認ってなに?

まず、用語の整理から。
性を考えるにあたって重要な要素が4つある。

「身体的性」「性自認」「性表現」「性的指向」の4つだ。

「身体的性」は、生まれ持った身体の性別的特徴がどういうものであるかということ。

「性表現」は、自分がどのような性別の表現をするのかというもの。

「性的指向」は、自分がどのような性別の人に惹かれるのかというものだ。

そして、今回メインで扱う「性自認」は、自分がどのような性別であるかと認識することである。
この「性自認」が何であるかがかなり重要視されているように思う。

僕の性自認は男性、しかし…

そして、僕の場合、「身体的性」も「性表現」も「性自認」も男性であり、「性的指向」は女性だ。

なので、「ストレート」とも呼ばれる、いわゆる「一般的な男性」だと思っている。(この表現の仕方には疑問を感じている)

自分でもそう思うこと自体には何の違和感もないし、立派なアイデンティティのひとつだと思っているのだが、どうも他人や社会から「男性扱い」されると微妙な気持ちになる。

かと言って、「女性扱い」して欲しいわけではないが、「男性扱い」して欲しいわけでもない。言語化が難しい…。

「男性扱い」される多くの場合に、「自分にはそういう役割が求められているのか」「やっぱりまだまだ世の中は男女の2つで分けられているのか」といった気持ちになるので違和感を覚えるのだと思っている。

実際にあった「男性扱い」

「男性」として暮らしていれば当たり前かもしれないが、ここでは僕が実際に受けた「男性扱い」を紹介していく。

社内で「〜くん」と呼ばれる

学校などの場所でも多いかと思うが、基本的にどんな場所でも「〜くん」呼びが定着している。
その一方で、女性には「〜さん」が使用されている。
それが不思議でならない。

僕は「ゆとり教育」の末期を経験しているので、男女問わずみんなのことを「〜さん」と呼びましょう、と習っていたので違和感を覚えるのかもしれない。

また、他にも見た目から性別を断定されいていることにも疑問を感じるのかも。

あらゆるシーンで「男性」を選択させられる

アプリの会員登録のような個人情報の入力シーンを中心に、あらゆる場面で「男性」を選択させられることにモヤモヤする。

性別記入欄ってそこまで重要なのであろうか、と思うからである。

アンケートなどのユーザーの属性を必要とするものならまだ理解できるが、そうでもなさそう、と思うものに関しては性別を選択させる必要はないのでは?と思う。

しかも、基本的に「男性/女性」の2種類しかないことが未だに多い。

「男性らしい趣味」を求められる気がする

これは完全に個人的なことだが、「男性らしい趣味」を持たないと楽しめないのかな、と思うことがある。

例えば、僕が1番好きな趣味はカフェ巡りなのだが、これに付き合ってくれる男性はまずいない。

他にもスイーツが好きなのだが、その話ができる男性もほぼいない。

ゲームに関しても、任天堂のライトなゲームが好きなのだが、周りはPlayStationの硬派なゲームを好んでいたりする。

自分もそういうものが好きだったらもっと友達と盛り上がれるのかな、と思ったりする。

働き続けることが求められる

「主夫」という存在が徐々に広まってきているが、まだまだ浸透していないのが現状。

なので、未だに「男性は定年まで働き続ける」ということが世の中の前提として根付いている感覚がある。

もっと選択肢が増えたり、「主夫」が定着しても良いとも思うのだが、やっぱり稼ぎ頭としての「男性」像は消えていない。

「メンズ」という服の分け方

服も未だに「メンズ」「レディース」で分けられているお店がほとんどだ。
基本的に「メンズ」の服しか着ないので、あまり問題はないが、やはりその区別に違和感を覚えることもある。

そんな中、無印良品のMUJI Laboというシリーズはユニセックスを謳っており、ジェンダーレスに着れる服が多数販売されている。

そこに魅力を感じ、僕はMUJI Laboで服を買うことが多い。

服のデザインにもよるかもしれないが、明確に「メンズ」と「レディース」で店内を分けるのではなく、その中間に位置する服を配置する領域を設けてみるのも良いのではないだろうか。

どんな世界が望ましいか

男女問わず、性別に基づいた役割の押し付けや扱いをやめていくべきだと思う。

なぜなら、その人が本当にやりたいこと、やりたい表現を抑圧してしまうことになりかねないからだ。

人を「男女」で見るのではなく、「個人」として様々なグラデーションで見るという考え方は、僕が大学で学んで衝撃を受けたものだが、そのように捉えることで、皆が自分らしく生きられると思った。

ミレニアル世代・Z世代以下の世代ではどんどんジェンダーの捉え方が変わっている。
社会がアップデートされる時が来ているのではないだろうか。

参考

Profile
Yuki Shibuya │ 423(シブサン)97年生まれ/新卒入社を10ヶ月でリタイア→転職/双極症クリエイター/ALLY/Webメディア編集・ライター・イラストレーター/漫画、生きづらさ、学びについて書いてます/カントリーマアムが主食

この記事が参加している募集

#多様性を考える

27,824件

自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。