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#Day033 日々の生きづらさ〜お通夜で感じた人の温かさについて〜

前にも同じようなテーマで書きましたふが、センシティブな内容なので、苦手な方はブラウザバックしてください。

先日、父方の叔母のお通夜に参列してきました。

コロナ禍以降、なかなか会える機会がなかったのですが、僕の中の叔母のイメージは、とにかく明るくてよく喋る人という感じでした。

甥にあたる僕や弟にも優しく、お年玉をくれたりもしました。

直接会って話したのはあまり多くはないと思いますが、その人柄からか、とても親切にしてくれる姿に感動すら覚えていたのを、今になって実感しています。

そんな叔母には、僕にとって姪にあたる3人の娘がいました。
皆結婚しており、そのうちの1組には子どもが産まれ、叔母にとっては初孫でした。

父から聞いた話では、たいそう可愛がっていたようで、きっと嬉しくて仕方ないんだろうなと想像しました。

きっとその優しさを最大限に孫に与えていたら、すくすくと育っていたでしょう。
孫は2歳でした。

そして、お通夜当日、多くの参列者が集い、お焼香を行いました。
ご親族にお辞儀をして自分の席に座ったところまでは、まだ実感がありませんでした。

しかし、和尚さんが話し始めてから、叔母と仏の話が重なるように聞こえ、徐々に心がざわめきだしました。

涙もうるうるとし始め、垂れないように我慢するのでやっとでした。

あぁ、本当にこの世を離れてしまったんだな、と段々と実感していくことに悲しくなり、和尚さんの話を聞き終える頃には頭がクラクラとしてしまいました。

それから、順番に叔母の顔を見に行ったのですが、綺麗に化粧もしており、今にも起き上がって、いつものお喋りを始めるのではないかと思ってしまいまいました。

それくらい、錯覚してしまい、奇妙な感覚になりました。

帰りの車の中では、抑えていた涙がブワッと溢れ出して泣き崩れ、小一時間ある車中、ずっと泣いていました。

途中でコンビニや弁当屋に寄った時も、足元がふらふらしてしまい、うまく歩けませんでしたし、家族との会話も上手く行えませんでした。

そのくらい「死」というのは衝撃的で人の心に突き刺さるものなのだな、と痛感しました。

今日は、普通に出勤していますが、まだ頭からお通夜の光景や思いが離れず、上手く仕事をできませんでした。

近親者が亡くなるということが、これほど大きなことだとは。

少し縁起の悪い話ですが、僕の祖父母も91歳、85歳、82歳とかなり高齢なので、覚悟を決めていかないといけませんし、たくさん会って幸せな思い出を作っていきたいと思いました。

それと同時に、毎日生きていることに感謝しつつ、自分もいつの日か死んでしまうのだと意識して毎日を充実させたいなと思いました。

叔母は霊感の強い人だったので、今度は逆に僕たちの幸せな日々を見守ってくれることを祈ります。

自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。