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20210314


SNSの中の華やかな暮らしと自分の暮らしを比べてしまう、というのはよく聞くけれど、現実だってそんなものだ、と思う。
たとえば家。大きな家はお金持ちなんだろうなあと思うし、和風な家、洋風な家、細かな装飾、壁の色屋根の色、どんな表札か、どんなポストか、ひとつひとつが小さな主張であり象徴だと思う。それ以外にも、あえて主張せずともにじみ出るものもある。表にベビーカーがあれば赤ちゃんがいるんだろうなと思うし、週末に上履きが干してあれば小学生くらいの子供がいるんだろうなと思う。プランターがたくさん並んでいたら花が好きな人だろうし、生活はそうやってにじみ出る。家、車、身に付けているもの、スーパーのカゴの中身、発せられる言葉、全てのことに過敏に反応し、圧倒されてしまう。

『完璧な病室』を読み終わった。最後の話が一番ぞっとした。子供の残酷さに、どうしても惹かれてしまう。頷いてしまう。悪意のない残酷さ、もしくはあったとしても、どうしようもない、それしか選択肢がなかったという狭い世界。大人とは違う、許される世界で起こる許し難い出来事。でも物語の中では被害者より加害者の方に痛みを感じてしまう。そういう自分にもぞっとする。わからなくなる。現実の大人の世界で生きているはずの自分は、もっと分別をつけなくてはいけないのに、ぐらぐらと揺らいでしまう。


義父からホワイトデーに、クグロフをいただいた。ピスタチオとベリーのクグロフ。

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