20240610-0616
六月十日(月)
夢。
魂って、あるのかもしれない、と、少しだけ思った。Rさんに「ごめん」と言われて抱きしめられた。私たちは骨ばかりでかたくて、お互いきっと抱き心地などよくなくて、それでも安らかだった。温度はなくて、かたい手触りだけの抱擁だった。黒くてかたくてつめたい私たち。夢ですら、謝らせたくはなかったけれど、その言葉は謝罪の意味ではないのだと思った。勝手なことだけれど。
現実の私のからだは空白だらけなのになぜかとても重たい。もっと簡素でありたい。夢の中のように。
労働。トマトを切り、いんげんを茹でたまごを茹でる。いんげんとたまごはマヨネーズとすりごまで和える。
六月十一日(火)
いつだって、かなしくてくるしい。安らかなのは夢の中と、まぶたを閉じている時だけだ、と思う。
労働、歯医者、買いもの。
頭の中がうるさい。誰かに言い訳ばかりしているみたい。
六月十二日(水)
白くて丸くてたぷたぷとした水風船のようなお腹を叩く夢。そのあとで、ブローチ屋を試みる夢。
夜中に目が覚めると、いろいろな音がする。昼間よりも鮮明な音。
ベランダのフランネルフラワーを剪定し、掃除をし、ためていた家計簿をつけ、化粧パフを洗う。いんげんをごまで和え、ひじきを煮、たまごやきを焼く。朝はくもっていたけれど次第に晴れてくる。
江國香織『スイートリトルライズ』を読む。「薄いトーストにスクランブル・エッグ、ミルク紅茶に桃」という朝食が出てきて、なんて完璧な朝食、と思う。
六月十三日(木)
労働、買いもの。
たまごやきを焼き、キウイを切りはちみつで和え、トマトを切り、きゅうりを切りピクルス液に漬ける。まいたけを切り豚肉と炒める。
ベランダのラベンダー、枯れてしまった大半をざっくりと剪定していたら、わずかに残っていた緑の部分からつぼみができていた。
OSAJIの雨音と落陽が廃盤になるのは知っていたけれど、もう一人とざらめも廃番だなんてかなしすぎる。私の愛用している色と、ずっと欲しくて保留し続けている色ばかりがなくなってしまう。
六月十四日(金)
目が覚めると、ただただかなしい。
労働、買いもの。とても暑い。クーリッシュのベルギーチョコレートを買って帰り、飲む。至福。でもお腹が冷えそうだな、と思う。
なす、ズッキーニ、トマトをオリーブオイルで炒め、塩とローリエで煮込む。
六月十五日(土)
夫は日帰りの社員旅行へ。私はスーパーへ。
今日はなんだかメイクが上手くできた気がする。上まぶたにOSAJIニュアンスアイシャドウの寄り道、下まぶたにニュアンスシャドウスティックの杖、という組み合わせがかわいいことに気がついた。杖はとても万能だと思う。頬はニュアンスフェイスカラーの曙がいちばんしっくりくる。
午後、チャイを煮出して飲む。
六月十六日(日)
トマトを切り、いんげんを茹でごまで和え、人参と玉ねぎをマリネにする。たまごやきを焼き、ズッキーニと鶏肉を焼く。化粧パフを洗う。『スイートリトルライズ』を読み終える。
毎日なんとかかんとかやり過ごしているけれど、澱がたまっていくようだ。最低限のさらに最低限、やるべきことはできているのかもしれないけれど、そこからこぼれ落ちていくものでからだが重たくなっていく。こぼれ落ちていくものの方がもしかしたら重要なのかもしれないということにはうすうす気がついているのに、すくい上げることができない。枯葉だらけの真冬のプールみたいに、私の内側は朽ちていく。
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