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悠久~星野道夫さんのこと。

動物園で、シロクマを見ていた。
目を見開いていたまま、彼はしばらく、じっとしていた。
ここに来る前のことを思い出しているのだろうか。あるいは、やっぱり、帰りたいと思っているのだろうか。
星野道夫さんなら、わかるかもしれない。
アラスカの地図を見ると、カナダの西側にあって、ブルックス山脈があり、その先にバロー岬がある。ブルックス山脈とアラスカ山脈を切るようにユーコン川が流れている。
ここに星野さんはいた。
いるのである。
ひと月以上も人間に会わず、話さず、ただ野生と自然と向き合っている。人と話すということ、言葉を忘れそうになっても、ブルーベリーを美味しそうに食べるクマや、ムース達の足音は、忘れなかった。雪嵐ではテントを持っていかれないように、しがみついていたら、眠ってしまったこともあった。焚き火をしながら、読む本は、これ以上にない幸せを感じていた。
動物たちを見ていると、自分たちと平等にある時間のなかで、動物も同じように生きているということに世界の面白さを感じていた。私たちから、はるか遠く離れた場所にも自然があり、時間が流れているということ。
アイザック・ディネーセンの「アフリカの日々」から、「朝、目が覚めて、まず心に浮かぶこと、それは、この地こそ自分の居るべき場所なのだというよろこび」という言葉が特に好きだ。まさに、星野さんではないだろうか。常に自然を見つめては、生と死を思う。
アラスカにも四季はあって、半分は、冬であり、マイナス50度にもなる。それでも星野さんは、冬がいちばん好きだという。冬があるからこそ、雪の下に眠る春や夏が楽しみだった。季節のめぐる瞬間をいつも見ていたのだ。
星野さんの写真を見ていると、動物たちの、”今だよ”という声が聞こえてくる。明らかに、今を生きているという、その瞬間にしか見せない表情から。
シロクマに雪を見ていたのかもしれない。シロクマの静まりかえっていた表情に日本の雪景色の、しんしんと降り積もる景色を見て、懐かしんでいたのかもしれない。
人が生きるということは、本当は、とてもシンプルなことなんじゃないかと思う。日常の忙しさのなかに、もうひとつの景色を持つということ。そしたらもっと豊かではないだろうか。どこかへ行き新しい景色を見るより、新しい景色を見る目を持つこと。星野さんは、そんなふうに教えてくれる。
まだ10代の頃、学校に通いながら、ふと、ヒグマのことを考えてしまう星野さんのことを思います。
私は、星野さんの本を読んで「悠久」という言葉を初めて知りました。とても大好きな言葉です。

「いつの日か、年老いた時、僕は今のようにアラスカの冬を好きでいられるだろうか」
星野道夫

ご冥福をお祈りします。


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