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呪縛

ごま豆腐と目が合ってハッとした。呪縛されていたことを突然思い出して。

それはスーパーへ行ったある日のこと。いつもなら豆腐コーナーで木綿豆腐をカゴに入れてすぐ納豆コーナーへ移動する。

でも、その日は違った。なぜか目を上げた。そこにあったのがごま豆腐。しっかりと目が合った。


5年以上前になる。そのころはごま豆腐をよく買っていた。おかずの品数を増やすために。器に移せば一品になり日持ちもするごま豆腐やもずくなどは重宝した。

一汁三菜にこだわらないまでも、ごはんと何皿かを食卓に並べるものと思っていた。当時は会社員。早く帰宅したひとが夕食をつくる暗黙の了解。

品数をつくるのは夫の方が得意。つくるひとに任せることも暗黙の了解だったから、気にする必要はなかったのだけど。いつの間にか品数の呪縛にとらわれていた。


晩ごはんの献立を汁飯香の一汁一菜と決めた今、品数を意識することはない。

あ。「ない」と言い切ると嘘になるかもしれない。4歳になった子どもがおかずを欲しがることもある。おかずを食べたいがために「お父さんがつくって!」と希望する。ある日には「お母さん、おかずつくれる?」と訊いてきた。

「卵焼き入りのお弁当をつくってきたのはわたしですけど」と心の中で独り言と苦笑い。同時に「つくれる」と「つくる」の間にある大きな隔たりを感じる。

家族の希望に添って日常の食事で品数を増やそうとは思わない。品数の呪縛はもういらない。つくりたい気持ち、時間と心のゆとりがそろったときにだけつくればいい。

眉間にしわを寄せてつくった食事がおいしくできあがると思えない。汁飯香、わたしの場合は具沢山味噌汁、ごはん、ぬか漬け。これなら毎日楽しくつくれる。おいしく、飽きが来ず、消化にも合っている。最高だ!


献立を考えない毎日、品数の呪縛から解放された毎日。いいでしょ?


誤解がないように書き添えておく。ごま豆腐は好きだ。今も買うことがある。味噌汁の具になる確率がとても高いだけ。

「毎日のちょっとずつでわたしが変わる、社会が変わる」につながるインプットや活動に使わせていただきます!使い道はnoteでお伝えしますね。