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何度も殺してきた才能と個性の芽をまた育ててみたい。

※決して明るくない&非常にドロドロとしてます。
センシティブな言葉も多いです。
楽しい気持ちになりたい方は絶対に読まないでくださいね。
(最後は明るくなってるとは思います、きっと)

2023年4月28日。

中学時代まで暮らしていた地元へ足を運んだ。

小さい頃からずっとある駅前の本屋さん。

たまたまそこで見かけた『漫画版 天才を殺す凡人』が気になって購入。

本書を近くのミスドに入ってハニーオールドファッションを片手に読み進めていくと、私の心の奥底にある邪悪な黒い塊がうずめいた。

黒い塊の正体は、何なのか。
それについて明らかになってきたから、それをスタエフで吐き出そうとしたけど感情の起伏が激しくてなぜか涙が止まらない。

なぜ、泣いているのかもわからない。
とにかく涙も嗚咽もまったくとまらない。

ひとつだけわかるのは「苦しい」「悔しい」「葛藤」の気持ちがうずめいていること。

とても話せる状況ではないから、noteに吐き出すことにした。
正直もう仕事も何も、やりたくない。

完全に、無気力状態だ。


小学1年生。隣の席にいたS君との会話


過去を振り返ってみると、私がありのままの自分で振る舞っていた最後の年は7才だと思う。

当時となりの席だったS君と話す時間が、たまらなく楽しかった。

どれくらい楽しかったかというと、19年も前のことなのにどんな話をしたか覚えているくらい。

お互い英語と音楽を習っていたから、音楽の世界観について話したり、音楽を通してどんな気持ちをのせてるか?を語り合った。
(S君はピアノとバイオリン、私はエレクトーン)

英語の楽しさについても語りあった。

私は英語が4才の頃からとにかく大好き。
幼稚園が休みの日は何時間でもCDを流して英語を夢中で楽しんでいた。

小1の時には現在進行系や最上級の英語を喋るようになり、でも学校で英語の授業がなかったから、S君とよく英語でクイズを出したり話したりして遊んでいた。

ほかにも将来の夢、大人になったらどんなことで活躍していきたいか?みたいな話もした。
何の職業を言ったかさすがに思い出せないが、本当にワクワクする話だったことだけは覚えている。

算数の15分計算ゲームが大好きで、いつもどっちが早く解けるか競い合い。
私がたくさん勝つ日もあれば、S君が勝つ日もあった。

とにかく自分自身を開放して、毎日思いっきり生きていたことだけは間違いなかった。

この頃は自分の感性を自由に表現して、自分ができることを思い切り発揮して、お互いの持っている感覚を共有して「それいいね!」なんてやっていた。毎日が最高に楽しかった。

クラス替え。独りで過ごす時間が増えた。

3年生でクラス替え。S君とは別のクラスに。
他の仲良かった友達も転校ないしクラスが別れてしまった。

新しいクラスで、とにかく馴染めない私。
何がキッカケかというと今でも覚えているけど、小学2年生の頃からコナンが好きになった。

でも好きになった理由は別にキャラクターがどうとかではなく、犯罪トリックが面白かったから。

殺人の方法、死因の種類、トリックの仕組み、そういうのを知るのが面白かった。

勘違いしないでほしいが、別に人を傷つけることには興味はない。
ただ「これはどういう仕組みなの?」「普通の殺人と暗殺って何がちがうの?」「なぜ一酸化炭素で人が死んじゃうの?」などを探究するのがたまらなく楽しかっただけ。

だから、4月の自己紹介シートに「最近おもしろいと感じていること」やら「好きな言葉」みたいな部分に上記のコトをひたすら綴って、教室の外に掲載された。

まあ、変な奴。って思われた。やばい奴ってなる。
いまの私でも、さすがに大丈夫か?と思う(笑)

まともに話せる友達がいなかったので、教室でずっと自由帳を開いてマンガを描いてた🎨

当時はドラえもんが大好きで、自分でストーリーをつくってキャラクターはドラえもんっていう半分借り物、半分オリジナルのマンガ。

それを描いてたら、なんか話かけてくれた子がいて。

「見てみたい!」って確か声かけてくれて見せたらすごく面白がってくれて、自由帳が交換ノートみたいに回ってったことだけは覚えてる。

ちょっとでも白い紙があればマンガを描いてた。
余白がすくなければ、4コマで。

マンガ家になりたいと思ったこともあって、4年生のクラブではアニメクラブに入ってひらすら絵を描いた。

サンタさんからは、漫画家になる的なストーリー仕立てのDSソフトをプレゼントしてもらったくらい、旗からみても相当絵を描くことにハマっていた。
10才のときには水彩絵の具にも手を出して描いていた🎨
(ちなみに中学1年の頃も美術部に入った)

そんなわけで小学3、4年生の頃はクラスにあまり馴染めないものの絵をずっと描いてクラブでも絵を描いて、あとは習い事のダンスとエレクトーンと英語で自己表現を楽しんで何とかやり過ごした。

ただ、私の邪悪な黒い塊の問題は、ここから。

S君のいじめ。「普通」に染まろうとした。

5年生。11才になり、クラス替え。
正直この年に自分は2人の人間を殺したと思ってる。

クラス替えがあって1学期が終わる頃だったかな。

どうやらS君が新しいクラスでいじめられているようだった。

私は「なんで?」とまったくもって理解できなかった。

とにかく優しくて賢くて話も面白くて音楽もできて、世の中をよくしたい!って思いも持ってる最高な友達が、なんで?悪いことなんてするはずない!と思って噂をたどった。

すると、逆だった。

それらがあっさり出来ちゃうのが、気に食わないらしい。

当時の私は信じられなかった。

てか、至って普通ではないのか?と思ってたし、なにがどう気に食わないのか?まったくわからなかった。

だけど、

周りの仲間はずれにする空気が、とにかく恐ろしかった。

勉強や将来について話すこと、英語が喋れること、音楽とかバカバカしい、そんな感じの風潮が、自分も否定されている気がしたから。

結論、私はS君と仲良かったことを隠してしまった。

要は、見て見ぬふりをした最悪な奴ってこと。

そこから、私は音楽の話もしなくなった。

むしろ音楽の授業で歌を歌わなくなった。

音楽=くだらない。ダルいフリをするようになった。

勉強も、授業以外でやらないようにした。

英語も、ワケあって最悪な辞め方をした。

あんなに大好きで毎日のように何時間もCDを聞いて話してたのに「二度とやるかよ!」と親に怒鳴って辞めた。

ぜーんぶ、学校で周りからハブられることに恐怖を覚えたから。

このとき、私自身を殺したし、S君のことも間接的に殺してしまった気がする。

この小学生時代の暗黒の塊が、「マンガ版 天才は凡人を殺す」を読んだときにフラッシュバックした。

あー、だから未だに才能を発揮するのが怖いんだなぁ。

記憶をたどりながら書いてるから文章が支離滅裂だけど、ここまで読んでいる人なんてゼロに等しいと思うから、とくに見返さず続きを書いていく。

親からは才能を否定され、学校では才能を妬まれた

英語をやめた話にもつながるが、要は母親には「ダメな子」とみられてた。

小1のときに、仮定法だか不定詞だかの文法を間違えてテストで98点を取ってしまったときに、ものすごく怒られて目の前でテスト用紙を破り捨てられた。

「なんで他の問題は解けてんのに、こんな初歩的な文法で間違えてんの!!」

破られたテスト用紙の残骸とか、家のカーペットの色とか、今でも鮮明に覚えている。

7才ながらに「こんなことも出来なきゃダメな子なのかな」と思って並大抵になれるよう英語の勉強をがんばる日々。

おかげさまで公文の表彰式には7才の頃から毎年呼ばれていて、高校生とかが並ぶ横に自分も並んでオブジェを贈呈された記憶がある。あれは凄く嬉しかった。

毎年呼ばれて5つ目の表彰式。
つまり5年生のときのこと。

「みゆで貰えるって大したものじゃないんだから、今年は行かなくていいんじゃないの?あとホコリ被って掃除面倒なんだよねソレ。」

と、言われた。

なんか自分に自信がなかった私が唯一モチベーションになってた表彰式に行くことを拒否された&オブジェは邪魔だって言われて本当に悲しかった。

「ああ、これは誰でも貰えるようなモノなのか。」

そう思ったら自分の英語力も何もついてない気がしてきた。

小学5年生になって、仮定法過去完了や受動態(子供の頃1番ニガテだった文法)とか、そもそも難しく感じてきたことも自信喪失を促進した。

(いま思えば、7才で最上級とか不定詞を英語で理解してただけでもよう頑張っとるよ。って自分の頭をポンポンしてあげたいけどね。)

別に特別スランプに落ちてたわけでもないのに、色々と溜まってたモノが爆発して急に「もういかない!英語なんて二度と話すか!」と母親に暴言を吐いて英語を辞めた。

そんなわけで、自分=ダメ人間と本気で思っていた。

ところが、学校に行くと今度は逆のことが起きている。
(S君の話とかに戻る)

音楽の楽器演奏に図画工作に勉強に、普通にやってるだけなのに「早く解けたからってなに?」とか「絵描いてるとか地味だね。」とか言われた。

別に私は1mmも自慢げになったことはない。
だって、さっきも書いたとおり自分は何をやってもダメ人間だと思っていたし。

なのに、学校に行けばなぜか妬まれる。
なんで?なんか悪いことした?って毎日思ってた。

ピアノのオーディションがあったときも、私はピアノを持ってないから友達が弾いてる姿を観察してペダルの踏み方とタッチの感じを覚えて、感覚でピアノをなんとか習得した。

結果的に、10年習い続けている子ではなく私が選ばれたときも、相手の子が大泣き。皆からの避難というか気味の悪い共感祭り。

「なんでこんな叩かれなきゃならないのかな。見て弾いただけなのに。◯◯ちゃんは練習をしてなかったのかな?」

みたいな疑問の嵐。

何かが出来れば周りに反感やら嫉妬心を買い、母親には「こんなことも出来ないの?」と言われる毎日。

いま思えば、親からは才能を否定され、学校では才能を妬まれたって感じで。

自殺する勇気はなかったチキン。

ちなみに言うと、小学生の頃に家の包丁で自殺しようとしたことが何度かある。

自分の存在が誰にも喜ばれないうえ、相当な自己嫌悪感。
おまけにS君へのいじめを見てみぬふりするゴミ人間感。

私は生きてる意味あるのか?って思ったから。

でも結局、痛そうだなぁと思ったら刺せず。

その時も「ああ、死ぬ勇気もないダメ人間だ」なんて思った。
失望に近い感覚。生きるしかないんだなって諦めた。

包丁の銀色の部分が冷たかったことだけは、覚えてる。

自分を殺して周囲と仲良くなる術を身につける


まぁそんなこんなで自分らしさもクソもないけど、とりあえずいい感じに生きるために共感力とかを高校生ぐらいから超絶意識してつけた気がする。

人が何をしたら喜ぶか?とかパソコンとかスマホでめっちゃ調べた記憶がある。

まぁ、結果的に高校以降はそこまで反感買うことはなかったけど、先輩から歌の技術を妬まれたりして周囲に私の愚痴をあからさまに話しまくるようになった。

(大して練習してないクセに、顧問から満点評価でベタ褒め&手本にされたのが気に食わなかったらしい)

「またこのパターンかよ。」と散々な気持ち。

あと数ヶ月我慢すれば自分たちの代だったけど、全国大会に行く目標を捨てて部活をその日に辞めてしまった。

結局、自分の感性を表現すると攻撃されるっていうパターンは続いてた。

「一体どこなら普通に生きられるんだ」

って思って、てか未だに思ってる。

とはいえ、正直7才の頃にあったほどの感性は死んでしまっている気がする。
それが、とっても悔しい。

26才って、遅すぎるのだろうか。
19年前の感覚、あの自由に開放していた感覚はまだあるのか。

てか、あったとしても心理的ブロックを外せるのか。
ここに書いた内容はほんんんんの1%のできごと。
他にも妬みに嫌がらせに親からの卑下にもう数え切れん。

普通に生きてるだけで妬まれるこの意味のわからなさ。
自分を殺してしまうのも、無理はないと思いたい。
物理的な自殺は精神的な弱さからできなかったけど。

とはいえ、やっぱり自己理解とかやって自分のことやっとわかってきたのに、くすぶってるのももったいないと思う。

別に、いまは死にたいとか思ってないと思う。

それでも、才能の種をまた育てたい

正直、もうよくわからん感情。
なんか知らないけど涙が止まらないし、たぶんなぜ息苦しかったのかが「天才を殺す凡人」を読んで過去の体験が一気にフラッシュバックして明確になったからだと思う。

とはいえ今の自分は周囲に適応する力がつきすぎてしまったから、手遅れなのかなぁとか。種だけでも残っていれば育てられると思うんだけどね。

周りに「いいね!すごいね!」って言われるモノはすべて後からつけたスキル。共感なんて、殺されないために努力して訓練してきた。

それを評価されればされるほど、死んだ自分を二重で否定された気持ちになる。「やっぱこっちじゃないと受け入れられないのか。」って。

だけど、最近はソレじゃやっぱ良くないと思ってきた。

きっと自分みたいに、まぁ同じ経験でなくても似た状況の人って一人くらいいてもいいと思ってる。

S君は今なにやっているかわからないけど、とにかく彼みたいな人が素晴らしい芽をブチ抜いちゃ絶対にダメだから。

そのためにも私は自分の芽を少しずつでいいから伸ばして行く必要があるのかな。もっかい育てて一人でもいいから見せられるような親友、仲間、居場所を見つけてちょっとずつ自分を開放していく必要があると思ってる。

ただ、とっても怖い。
自分で言うのもアレだけど相当に傷ついてきたと思っている。
でも自分の種を育てて、誰かの役に立つなら(立つかわからないけど)、それは私は絶対に育てるべきだと思う。

もう何書いてるかわからなくなってるけど、もう誰も読んでいない日記みたいなもんだからいいよね。

とにかく自分の感性を思いっきり出せる人に出会う必要があるけど、違うんだよ。まずは自分が思いっきり出さないと同じような人にも出会えないもの。

子供の頃から大事にしてること。
まずは自分から。背中をみせてから。

だからまずは練習として、ここのnoteに自分の「ありのまま」を綴ってみている。これだって、なかなか勇気いる自己表現だもん。

誰も読んでなくても、まずは自分の思いや痛みをアウトプットする。これが今できる第1歩目と思ってやってみた。

でもね、誰にもわかって貰えてないとは思ってない。
ほんの数人いる。その人達の前では安心していられる。

ただ、まだ自分のこういう部分をさらけ出せてないから、出してみようと思う。そこからスタートかな。

仮に否定されたり引かれても、そんなん子供の頃から何百回と味わってることだから今更、ね。

涙も気づけば収まってた。やっぱ書くと心が落ち着くね。

8才の頃から文章を書くのが好きで、動物園の感想だけで作文用紙21枚とか書いてたんだけど、やっぱ書くって楽しいな。

今日の文章は26年間生きてきて一番ぐちゃぐちゃだしまとまりもないけど、今までで1番等身大の自分で書けたし、本音を書けたから嬉しいし、1枚殻を破れた感覚!

もう、6,200字超えちゃってるし。

たぶん意味のわからない文章になっているけど、少し気持ちが落ち着いてきた気がする。

なにも解決していないけど、今が向き合うべきタイミングなんだと思うから、手遅れとは思いたくないな。
26才ってまだ若い部類でいいよね?ちょっと遅すぎたけど。

「天才を殺す凡人」を書いて下さった北野唯我さんには本当に感謝です。直接お礼を言いたいくらい。そうでなければ自分と向き合ったり、S君の出来事をなかったことにして思い出すこともなかったので💭

じゃあ、そろそろ眠くなってきたからこのへんで💤

あのとき、チキンで死ななくてよかった。
って言える人生にするぞ🍀焦らずすこしずつ🐢


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