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コロナで京都は寂れた古都と化す

東海道本線は偉く空いていた。
例年ならGWはそこそこ混むし、外国人も多かったのに、まるで幽霊列車にでも乗っているかのようにガラガラだ。
新型コロナウイルスは「感染したら死ぬ!」と言わんばかりに恐れられ、外国では外出禁止令ロックダウンなんてものも敢行されていた。
そりゃ他府県ナンバー狩りなんてされるようなコロナ騒ぎで日帰り旅行なんかするのは度胸があるか酔狂な人間かのどちらかだ。

琳華リンファは度胸があるタイプで「伝染ウツったら伝染ウツったでしゃーない、何とかなる」と言うのがスタンスだ。

対する私は酔狂で、正直生きていて愉しみも無かった私にとってコロナで死ぬかどうかなんてどうでも良かった。

そう、緊急事態宣言なんて出されている時世に京都へ行くのは度胸と酔狂以外の何者でもなかった。

京都駅で琳華リンファと合流した後で清水寺に向かったら、まるで寂れた古都の姿がそこにはあった。

「おーお、この時期やのに偉い空いてるなぁ、去年までの京都やったら鬱陶ウザいほど観光客おったねんて。
外国人観光客受入政策インバウンドなんてやったら来たの殆ど中坊チャイナ韓国人コリアや。
まぁ私のおかんも中国人やけどな(笑)」

精華町アンタとこと同じくらい静かやな(苦笑)
ホンマ誰もおらんて…」

多くの店でシャッターが閉まっていた。
店舗も少しだけあったが、本当に僅かな店が開いているキリだった。

・新型コロナに感染したら死ぬ
・マスクは転売ヤーに買い占められて安く買えない

そんな不安がある上に緊急事態宣言なんか出るのだから、開けているお店なんか無い状態だった。

「あー、この店は開いとったんやな。ここでしか買えへん麻辣醤あるから買ってこか」

京都でしか売ってない麻辣醤。
だけど製造工場は千葉県柏市だのだから苦笑いする。

清水寺にも殆ど人影が無かった。
一組の老夫婦とすれ違った程度で誰もいない清水。
とても旅行雑誌で見るような華やかさは感じられなかった。

産寧坂を降りて寧々様の道に進むほど人は少なくなり、ほぼ無人で静まり返った円山公園を見ると、今の自分の境遇はまだマシな気がした。

仕事はある。
潤沢じゃないけど貯金もある。
この混乱に乗じて株を買っていたくらいのお金はあるのも、まだ恵まれた方なんだろう。

円山公園から八坂神社を出て祇園に出ても不気味なほど静かだ。
「こういうの見てると早う夜の仕事辞めて正解やったわ」
今でこそ営業職として成績の良い琳華だが、元々は夜の仕事をしてたのだという。

「ほれ、難波ってエロ街あるやろ? 祇園も似たようなもんや。
もともと私はこの辺の短大で保育学んでたねんけど、保育士なってみたら給料安くてそれだけではあかなんだったわ。
せやから辞めて祇園のキャバで働いてたねんけどな。
こうしてアカン祇園を見てると、営業に転職して良かた思うで」

そう、彼女はもともと保育士をやっていた。
面倒見が良い性格はその影響もあるのだろう。
それでも保育だけでは生活はやっていけず、夜の仕事は若さを求められるため、ずっと続けられるものではないと悟り、20代の内にウチに転職してきたらしい。

「琳華は今の仕事は楽しいと思う?」

「んー、面白オモロいかっちゅうと微妙やなぁ。
でも今は面白オモロくなくてもええんちゃうか?
取り合えず職は繋げとるわけやし、コロナかて~永遠ずっとやないやろ。
そのうち好機チャンスは来ると思うわ」

こんな事態になっても琳華はやっぱり強かった。
仕事が辛くても、こうして京都の惨状を前にして、何とかもう少し頑張れる気になれたのは、皮肉としか言いようが無かった。

<登場人物>

わたし

埼玉県出身の30代。
短大卒業後、池袋で働いていたも30歳を目前にして大阪へ飛ばされる。
大阪で埼玉出身の中華料理チェーンを食べられるために長居に住む。
週末は旨辛麺を食べながら飲んだくれていた。


祝園琳華

難波出身の30歳。
日本人の父と中国人の母を持つ。
京都の短大で保育を学んで保育士になるも給料が安くて離職。
短大在学期間と保育士離職後は夜の街・祇園で働いていた。
とある目的で夜の仕事から足を洗った後、精華町に移り住んでいる。

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