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体育の先生になりたい

みなさんお元気ですか。
スプリントコーチ の秋本真吾です。
子供たちからトップアスリートまで人の足を速くするという仕事をしています。

今日は手段と目的の話です。

将来の夢「体育教師になりたい」

中学校の時の卒業アルバムに僕はこう書きました。

中学生の時に授業を受けながら、「なんでこの先生の授業は楽しいんだろう」とか、「この先生俺たちと向き合うことを放棄してるな」とか、どこか俯瞰している自分がいました。

「自分だったらこんな風に話すのにな」とか、「こんな授業構成なら楽しいんだな」とか、自分に向き合ってくれない、贔屓してる、評価してくれる、どこか冷静に見れていました。

俺ならもっといい先生になれるという思いが心のどこかにあり、体育の先生になりたいと思っていました。

大学で順調に教職の授業を取り、念願の教育実習。高校の母校へ行きました。僕は全くと言っていいほど学力が低いのですが、進学校でスポーツというよりかはどちらかというと勉学に力を入れている学校でした。

当時の恩師には常々「1に勉強、2に陸上」と言われていました。陸上部は放課後に行われる課外授業には絶対参加。勉強が嫌いな僕は恩師に見つからないように、課外授業をすっぽかし学校近くの河川敷で1人で練習をし、課外授業が終わったタイミングでしれーっと合流するか、課外授業に出ても陸上競技マガジンを机の下で読んでいました。

話は戻ってそんな勉学に勤しむ進学校に体育大学でバリバリ動ける先生が教育実習生として行くので、体育の授業やその後の陸上部との部活では生徒からすると異次元の動きをするわけなんです。

そうなると、生徒からもチヤホヤされます。人気者になったかのように錯覚します。ただ、1ヶ月が経過し教育実習が終わる頃、あることに気付きました。

「もし陸上部がなかったらどう思うんだろうな」と

日々、授業計画を立てて教壇に立つ。
学級運営や3年生になれば進路についても共に悩み考える。数えきれないほどやるべきことはあると思います。ただ、そこには十分やりがいがあるなと感じました。

ただ、放課後の部活動。
全く自分の経験のない運動部を任された場合、知識がないことを生徒にどうアドバイスを送ればいいんだろう。必死に勉強をしても経験していないスポーツをコーチングできるんだろうか。結果を出したいと本気で思っている生徒がいてどんな先生が顧問になってくれるかワクワクしている時に全く経験がない自分が来たら生徒はどう思うんだろうか。もちろん任されたからにはやるしかない。だけど、そもそもそれをやる前に放棄できるんだとしたら先生という道を僕は選択しないかもしれないと思うようになりました。

結論、僕は体育の先生になりたかったのではなく、陸上部の顧問になりたかったんだ。と言うことに気付きました。

同期と久々に電話で話すと、「今働いている学校に陸上部なくてさ」「今違う部活見てるんだよ」と明らかに楽しそうでない現実を知った時に自分の中のロジックが正しいかもなと思うようになりました。

先生はあくまで手段でした。
その先にある「走り方をコーチングしたい」を達成するためには体育の先生しかないと思ってました。

もちろん、簡単に今の職業を確立できたわけではないですが、自分がこうなるんだと決めていたこと、所謂「夢」が変わることになんの問題もないということです。

僕のアイデンティティの一つに「自分の経験してこなかったものは否定しない」があります。先生になることを否定しているわけではありません。

今はかなり拓けてきていると思いますが、僕が学生の時は毎日同じメンバーと同じ会話を繰り返す4年間。陸上以外で外に出るという感覚はこれっぽちもありませんでした。どんどん視野も狭まり、4年間で唯一社会的な経験ができるチャンスは教育実習、介護等体験、バイト、ぐらいではないでしょうか。その中で、自分がヒーローになれる経験は天職だと錯覚を起こします。つまりは自分の経験の範疇以外のことをやってみようとは思えないわけです。

今の学生さんと話す機会もないので、どういう学生生活を送りどんな将来のビジョンを持っているか分かりませんが、自分がどれだけ知らない世界を知ることができるかが大切だと感じます。

そのためにはたくさんの価値観に触れること、広い世界で生きることが重要だったと思います。


ギリシアの哲学者ソクラテスは「無知の知」という言葉を残しました。

「知らないこと」よりも「知らないことを知らないこと」

この言葉を見るたびに今の自分のやりたいこととやっていることはベストなのかと自分自身に問いかけます。

一番重要なことは、職業の先にある、達成したいゴールを見つけることなんだと。










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