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おかしな話

どうしようもなく満たされない。

憧れだった、編集者、ライターという夢に近づけた気がした。漸くだ。ずっとずっと待ち望んでいたことだった。

「音楽文」というサイトに投稿した文章が9月の月間賞 最優秀賞に選ばれた。
目指していたものだった。初めて投稿した時からずっと。

「音楽文」に限った話では無い。
どんな時でも賞を取りたいと思っていたし、評価されたいと思っていた。
僕は傲慢な人間だから。
弱い人間だから。
誰かに認めて貰えないと作品にも自分にも自信が持てなかった。
思った通りにいかなくて泣いた夜は数えきれないほどある。
それでも文章を書くことを辞めなかったのは僕にはこれしかないと思っているからだ。
厳密には、「辞められない」だけなのだ。

そんな日々の苦しみが、努力が身を結んだかたちが今回の「最優秀賞」である。
初めて「最」がつく賞を貰えた。

rockin’onからのメールが届いた時、手が震えていた。驚きのあまり涙も出なかった。
嬉しかった。文字通り飛んで喜んだ。

それなのに

何故僕は今こんなに満たされていないのだろう。
何故こんなに馬鹿みたいに泣いているのだろう。

……それは
やっぱり、僕は自分に自信がないからだった。
自尊心や自己肯定感と呼ばれるものが極めて低い。

素直に喜べないのだ。

「やばい、やばい……」と語彙力の欠片もない言葉を零しながら飛び跳ねているときも、何かが引っかかっていた。純粋な、100%の喜びはそこにはなかった。

「本当に僕の文章はあの賞に見合ったものだったのか」

どこからともなくそんな科白を拾ってきては、ふと冷静になる自分がいる。

自傷行為。

余計なことをしなければいいものを、わざわざ拾ってきては、自分に刺すのである。自らの手で。

でも、それは自己防衛のためだ。
仕方の無いことなのだ。

僕はどうしようもなくビビリだから、自惚れて自分が立たされている状況が把握できなくなるのが怖い。
気がついたら、周りには誰もいなくて、深い暗闇の中に一人取り残されているのではないか、と怯えている。そうなりたくないから、自惚れるな、と自らを傷つけるのだ。

でもやっぱり痛い。

加減が下手くそすぎていつもやりすぎてしまう。
有難い称賛の声を受け取っては、片っ端から粉々にぶっ壊して投げ捨てる。
そこまでしなくていいのに。
もう少し素直に受け取ればいいものを、ひとつ残らず踏みにじる。

そうして結局は空っぽになる。
満たされるわけがないのだ。

でも、きっとこうすることでしか生きていけないのだ。

自傷行為は"生きる"ための行為だ。

僕にとってこの行為はこれからも文章を書くために、即ち、これからも生きていくために必要な行為だ。

満たされない、満たされない、と嘆きながら、満たしてくれるはずのものを壊して、投げ捨てて、踏みにじっているのだから本当に訳が分からないと思う。
でも、こうするしかない。

それがどうしようもなく苦しい。
かと言って、書くことを辞めることもできない。
やっぱり苦しい。
逃げられない呪いみたいなものだ。
それでもこれを背負って生きていくしかない。
残念ながら他に方法が見当たらないのだ。

不器用である。

今日は1人で泣くことも出来なかった。
情けない。

音楽の力を借りて漸く泣けた。

吐くほど泣いた。
こんなに泣いたのは久しぶりだ。

賞が欲しかった、と泣いた夜より賞を取れた時の方が泣いているのだから本当におかしな話だ。
しかも嬉し涙じゃない。

それでもやっぱり書くことを辞めることはできないから、こうして言葉にしてしまっている。

やっぱりおかしな話だ。



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