去年の閉鎖病棟入院のこと

2022年10月下旬、私は医療保護入院の形で閉鎖病棟に入院した。
きっかけはデエビゴや頭痛薬など処方薬を手元にあるもの全て、120錠程度飲んだことだった。なにが服薬を誘引したのかわからないが、私のせいであることは言い切れる。
30分程度かけてPTPシートから薬を取り出し飲む作業をした。暗い作業だった。吐き気がしたが、無理やり水を飲んで止めた。
数時間眠ったあと、知り合いの方と通話をしていたらしい。声が聞こえたと母が話していた。正直ここ辺りの記憶がない。
その朝、陽が登る前に私は母に「薬を飲んだ」と伝えた。手元にはあらかじめ同じようなことを書いたメモがあった。あれよあれよという間に救急車の常駐する場所に連れて行かれ、一旦自家用車を経由して救急車で近くで最も大きな病院へ向かった。
救急車の中では救急隊の方々が「薬を飲んだの?声出せる?」と声をかけてくれており、返答したつもりだったがきちんと言葉になっていたかは定かではない。
病院に着き医師の診断を受け点滴。左腕の肘の内側に点滴を刺されていたにもかかわらずその腕を曲げてスマホを弄っていた。痛いな〜などとふんわりしたことを思いながら「これから入院します!」などと呟いていた。
母が入院処置のための書類にサインを入れ終わったらしく、何もわからないまま車椅子で運ばれる。私は車椅子に乗ることが久しぶりで、他人に体が動かされる感覚が楽しかった(様々な方向の方に失礼だとは思います。攻撃などの意図はないです)。笑いながら遠くなっていく母に手を振っていたのを覚えている。母は涙を流していた。
閉鎖病棟に入院して1~5日程、窓のない個室にいた。鍵はかかっておらず廊下との行き来が可能で、廊下にはテレビがあった。他の患者さんが彼ら自身の部屋から椅子を持ってきてテレビを眺めていた。私の隣の部屋の人は飛び降り?転落?が原因となり入院したらしく、首にコルセットに似たものをつけていた。食事は廊下に机を出し、患者皆で一斉に摂った。思うように手が動かずもたもたと食べていた。後から隣の部屋の人に聞いたのだが、私は入院して数時間後に部屋に来た頃は医師と臨床心理士、またもう1人の医師に向かって「どうして精神科に入院なんか」などと途轍もなく失礼なことを泣きながら伝えていたそうだ。あとは5日目まですることがなかったので廊下をひたすら往復していた。
6~20?日目では窓のある部屋に移った。棟も違うらしく外が見える。窓を覗くと金木犀の葉がさわさわと揺れて、学生が登校している風景が見えた。ここでの生活は割愛。つまらなかったので。

去年の入院で、一時的に服薬や自傷をやめられとても健康的になった。しかし今では自傷が悪化してしまい、かなり深い傷跡が現在進行形で腕にできている。

つらつらと退屈なことを並べてしまってすみません。ここまで読んでくださった方がいらっしゃればありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?