見出し画像

こだまが響くスピード時代の幕開けに輝き始めた六連星登場の1958、59年国産車

終戦から干支も一回り以上が経ち、新時代へ向けての鎚音がいっそう大きくこだまする1958年=昭和33年〜34年
東京と大阪をそれまでに無い6時間台のスピードで結ぶ特急こだま(登場時は20系電車)は、新しい空気枕台車に空調完備の嵌め殺し窓が新鮮な車体で、クリーム&レッドのツートーン・カラーの車体が東海道を彩りました。特急あさかぜに用意された20系客車寝台もまた、軽量車体に空調完備のデラックス車両。ブルー・トレインは、やがては札幌から九州までの幹線輸送に俊足を発揮しています。
東京にも民放テレビ局が相次ぎ誕生し、バラバラだった電波発信塔を一元化するための東京タワーが完工します。

そんな昭和33年の初頭に庶民たちを踊らせたのはユニークな形をした大衆のための乗用車、スバル360の発売でした。

画像1

フォルクスワーゲン・ビートルにも似た卵形のフォルムは軽量化と省資源に基づく飛行機屋=旧中島飛行機由来の合理的なもの。空冷リアエンジンと四輪が独立したサスペンションは意外な乗り心地の良さで大評判に。10年以上にわたってモデル・チェンジしなかった処もワーゲン譲りと言えようか?でも庶民の平均年収にくらべたら40万円前後と言う価格はまだまだ高嶺の花に過ぎませんでした。

個人で購入できる軽と言えばまだまだ商用車が圧倒的におおかった時代、大ヒットのダイハツ・ミゼットにはライバルも少なからず存在した.広島で三輪トラックを量産していたマツダもk360と言う3輪軽トラックを発売。ミゼットよりも大型の車体に二気筒エンジンをミッドシップ配置。ハンドルも最初から丸型でクルマらしさではミゼットの上をゆく出来だった。

海の向こうでは翌・1959年、スエズ動乱に端を発した石油供給不安から,超経済車の開発が急務でした。名門オースチン社の開発したado=15;ミニは日本の軽自動車規格の3mを僅かに上回る程度のサイズ。当時の先進的軽自動車スズライトと同様、前輪駆動の2ボックスには欧州のオトナ4人が無理なく座れた他、以後の小型車開発の教科書ともなる存在でもあり、結局世紀末を迎えるまでこの形のままで残りました。日産がいち早く採用した前輪駆動チェリーのメカニズムもミニに多くを学んだものでした。

このオースチンの4気筒エンジンを積んだ小型スポーツカーがヒーレーとオースチン社の協業で誕生します。スラントした低いボンネット上にはカエルの様に飛び出した目玉が特徴のデザインで、兄弟車のMGミジェットとは多くを共有していました。こちらは北米向けに大型の衝撃吸収バンパーを備えて70年代末まで生き延びた英国魂です。

日本でもダットサンの古いセダンのボディを軽快な二人乗りオープンカーに載せ替えたダットサンスポーツ1000が生まれています。日産は戦前からロードスタータイプのスポーツ車を揃えており、老舗のスポーツカー生産メーカーと呼ぶことも出来ます。この改良版がフェアレディと名付けられた最初のモデルになりました。
その系譜は代々のフェアレディにも受け継がれ、2022年にはいよいよ最新型フェアレディZが登場予定です。
多摩川の河川敷に置かれた戦前のレース場で覇を競った日産は2022からこの新型フェアレディZをGT選手権に投入します。
ダットサンスポーツの車台はまだ旧い200系のままでしたが、ダットサンのセダンは独立したトランクルームもある乗用車らしいデザインの310系に刷新され、ブルーバードと言う商品名を貰い受けます。サイドモールを挟んで二色に塗り分けるツートーンカラーを採用したり、女性向けにちょっとお洒落な装備を揃えたファンシーデラックスを誂えるなど商品力向上にもチカラが注がれました。トヨタではコロナに相当するクラスで,両社による販売合戦はBC戦争と呼ばれる事になります。

初代コロナには翌58年、商用車版のコロナラインというライトバンが追加され,クラウンの営業車版ますたーにもますたーラインと呼ぶライトバンが追加。これはやがてクラウンと共通の顔に昇格します。
スカイラインにも1959スカイウェイと言う商用車=ライトバンが追加されますが、それまでのスカイラインの豪華版がグロリアと呼ばれる様になります。

この頃200社とも言われる二輪メーカーのうち一つホンダが実用的な原付50ccスーパーカブを発売。21世紀中にその販売台数は100000000台を超え地球上で最も量産されたエンジン付き移動手段となります。寿司屋さん蕎麦屋さんの出前が右手だけの片手ハンドルで運転できる自動クラッチの画期的なギア付きで泥跳ねから衣服を守る樹脂製のレッグシールドなど、バイク造りに大きな変革をもたらす存在でした。

恐竜時代と呼ばれたアメリカ車のテールフィン時代の最後を飾る様にシボレーブランドから、名デザインのインパラが登場する。トランクフードの中心から左右に翼を拡げた様な大胆なデザインは未だ人気の衰えないキーアイテムでした。

そんな1950年代の最後の年、いすゞからキャブオーバートラックの初代エルフが登場します。まだまだ3輪トラックが町中に溢れていた頃、2トン以下のクラスの4輪車はまだまだ少数でしたが・・・・

日本レコード大賞が制定され水原弘の「黒い花びら」が大賞を受賞した1959年、ヒットチャートにはペギー葉山、ザピーナッツ、まひなすたーず等が名を連ねていました
現在の上皇さま夫妻、当時の皇太子さまがご成婚とあって,TV受像機の普及が飛躍的に増えたとされます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?