見出し画像

1992 バブル景気終焉とケネディの再来は、実は30年続く長い下り坂のはじまりだった!?

 就職氷河期と呼ばれ始めた時代の到来,それはクルマを初めて手に入れる購買層にも少なからぬ影響を残した筈だった

携帯電話の売り切り制が始まった事も、アメリカで2ドア車の保険料が高騰した事も影響したかもしれないが、少なくともバブル経済の崩壊が2ドア車の販売や若者の購買力に大きなマイナスになったことは否めない。デート・カーと呼ばれるセリカやシルビアはバブルと共に日本から消え去る運命を辿るのだった。

いつまでも続くかに思えたバブル景気が実はもう終わりかけていた1992年、アメリカではケネディを尊敬する若き民主党候補B.クリントンが次期大統領に当選します.時を同じくしてNY5番街を見下ろすパンナムビルが売却され、お馴染みだったロゴも保険会社のロゴに架け替えられてしまいます。

スバルはレガシィの大ヒットの陰で、旧レオーネよりワンランク大きくなったレガシィと小さなジャスティの間を埋めるカローラ、シビックサイズのインプレッサを投入します。これを機に2リッターエンジンを自主規制枠一杯まで馬力アップして得意の四輪駆動を武器に、レガシィで参戦していた世界ラリーにもこのインプレッサで参戦する様になり、翌年には早くも一勝目を挙げました。これが宿敵ランサー・エボリューションとの長い戦いの第一歩です。

武蔵・小次郎のバトルの様な関係はルーツを辿れば太平洋戦争中の航空機メーカーに行き着きます。三菱はあのゼロ・ファイターを産んだ名門.一方陸軍の傑作機=隼など数多く名機を産んだ中島飛行機のあった場所は今のスバル本社工場.この両者が国際ラリー選手権という戦いの場で相対している事に気付いた外国人はどのくらいいたでしょう?

三菱はギャランVRー4の心臓部をコンパクトなランサーセダンに搭載したGSRモデルのスペシャルバージョンとしてEVO(エヴォリューション)モデルを走らせます。

インプレッサはWRX、ランサーはエヴォリューションの年次モデルを毎年の様に更改し、お互いしのぎを削り合います。のちにトヨタがセリカGTーFOURの規定違反発覚を機に退いたあとはこの二者のバトルがラリー界をリードします。

サイズ的にはランサーもインプレッサもカローラサイズ。そのカローラ/スプリンターにはまだ4ドアHT人気が盤石と見えてセレス/マリノと言うスタイリッシュな4ドアが追加されました。カリーナEDとは違いピラーを残したサッシュレスの4ドアでCM曲は平松愛里、藤井郁弥が担当し若い世代にアピールしていました。が、バブル期が終わったら1代限りで生産終了しました。他方2ボックス版の3ドアFXは軸足を欧州に向け始めます。

レガシィ・ワゴンの人気ぶりを横目にトヨタはカリーナ・サーフを発展させた5ナンバーワゴンのカルディナを立ち上げますが多くのパーツはコロナと共有、事実上のコロナ・ワゴンでした。

ホンダF1は連覇を狙ったセナが開幕3連勝で伝統のモナコGPに臨みますが宿敵マンセルの猛追に遭い、辛くも4連勝.しかしルノーエンジンにアクティブサスペンションのハイテクを備えたウィリアムズのマシンに抗する事は出来ずタイトルを逃してしまいます。

セナも開発に協力したNSXにこの年追加バージョンのtypeRが加わります。エンジンも強化、徹底的に軽量化された新たなNSXの注目度はことの他高いモノで、ホンダにとってはかけがえの無いイニシャルに成長します。が、それはまだ数年先のこと。

シビックにはドマーニという兄弟車が生まれます。この車はいすゞジェミニの後継車としてOEM供給されることにもなりますが・・・北米でも人気のCRーXはそれまでのスポーツ・クーペからは大変身し、2人乗りでオープン・エア・ドライブが楽しめる新機軸を打ち出し、業界をあっと言わせました。ここにもユーノスロードスターが業界に与えたインパクトが窺い知れます。

デルソルというサブネームを貰った3代目CRーXのルーフは脱着式でタルガ・トップスタイルに変身出来るものでしたが、そのメカニズムが世界をあっと言わせます。トランク・フードがモーターで頭上高くせりあがったかと思えば、中からフォークリフトの様に爪が伸びて来てルーフをトランク内に引っ張り込む、実にアナログな手法で自動的にオープン化するものです。幌の折り畳み式に頼らないホンダらしいやり方でした

トヨタもマツダにこそ先を越されたもののルマン制覇に見せる執念は相当のもの。ST010で果敢に挑戦した結果は2位.そこから優勝までの道のりは途方も無く長いものとなりましたが…

絶好調だったマークⅡブラザーズもようやく3ナンバーボディを与えられ全面刷新。と言ってもすでにバブルの絶頂期は過ぎており株価もマークⅡの売り上げも下降が始まっていました。

人気力士と婚約を発表した宮沢りえがCMに登場するのはダイハツ・オプティ、可愛らしいルックスは軽乗用に機能以上の付加価値を求めるオシャレな女の子が明らかにターゲット。織田裕二を据えたスズキ・セルボとは好対照でした。

ぎゃらんの兄弟車エテルナが生まれ、4ドアHT人気に呼応する形でエメロードが、ランサーワゴンから名を改めリベロが誕生します。

販売店系列の増加で、系列ごとに少しずつ意匠を変え名称も異にする。アメリカGMが得意とした商法が日本でもごく当たり前に見られる時代だったのです。参考までに国内では2023年現在ギャランもエテルナもエメロードもリベロもその暖簾はみあたりません・・・・・・



日産店のレパードもカルト人気の2ドアクーペから4ドアに戻されて尻下がりのデザインはブルーバード同様に。V8、V6エンジン搭載のセドリックの兄弟車に昇格したものの、大きなギャンブルに終わります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?