見出し画像

GTRが流行らせた「R」がトヨタ車にもウケた訳は?

オイルショック以前の乗用車は大抵がタイヤ・ウォールを白い塗装で飾ったホワイト・リボンタイヤが標準的でした。今の車よりホイールも小径でタイヤのゴムが見えている面積も大きなものだったことが影響していたのか?でもこれは、1973年を境に消える運命でした。

オイル・ショックを経て車もガソリンもジワジワと価格が上昇し始めます。軽乗用なら30万円台、大衆車なら50万円前後で、百万円を超える乗用車は滅多に見かけません。それが10年と経たないうちにほぼ倍の水準にまで上昇し、50万円でも買える軽乗用車が見当たらない、と言う70年代末を迎えたのでした。

コストが上昇するさなかに少しでも車両価格を抑えようと、コスト・ダウンの波はホイール・キャップの存在にも及びました。華美なメッキの装飾を施した大型のものは姿を消し、代わりにむき出しのホイール・ナットをメッキ処理して、センターキャップという小さな帽子をかぶせただけの質素なものがデファクトになってゆきます。

これには実は伏線がありました。1969年発表のスカイラインGT-R。虚飾を一切排して軽量化が施され、ラジオやヒーターさえもオプション。雨どいのメッキ・モールもバンや営業車同様に省略。足元を飾るのは黒の裸ホイールにメッキされたホイール・ナットだけ。そんなRの威光と質素なたたずまいが、よりスポーティーに感じられる!と気づいたのはライバルのトヨタだけではありませんでした。

パブリカやカローラのスポーティーモデル=SLからラジオなどの快適装備を取り除いて、足元を飾ったのは四本のメッキ処理されたホイール・ナットのみ。SR(セリカはGTV)と銘打たれたバリエーションはサファリ・オレンジやダーク・グリーンのやや地味なボディカラーに太いテープのストライプをあしらって、人気モデルのSL(GT)より若干お手頃なプライスでもあり、後にレビン・トレノが登場した時にもこれに倣ったものでした。

そして迎えたオイル・ショック。日本中の乗用車が右に倣えした感があります。メッキを施した豪華なホイール・キャップは樹脂製の小さなものに替わるか、メッキのナットを締めた黒、またはシルバー塗装の(裸の)ホイールに置き換わって行ったのです。

KPGC110ことケンメリGT-Rではフロント・グリルを軽量で平面的な独自部品に変更していますが、これは同じ日産のチェリーに用意されたスポーツ・モデル=X-1に倣ったもの。メッキの枠部分は残してメッシュの網目でグリルを覆うシンプルな構成でオーナメントとウィンカー・レンズだけを置いたシンプルなものでした。専用部品を用意するのは当然コストアップにつながり、軽量化と言っても多寡が知れた部品ですが、そうそう真似するクルマもありませんでした。本来は200セットくらいしか作られなかったはずのケンメリR用グルルのはずですが・・・・・・

裸の鉄チン(スチール)ホイールに代わり、足元を豪華に見せてくれるアルミホイールは2代目のセリカが登場したころから目立ち始めるようになります。オイル・ショックから立ち直り、再び国産車が豪華さを競うようになっていく頃、70年代も残り少なくなっていきました・・・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?