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大阪万博とサニトラが生まれた1970年は載せきれない未来で荷台がいっぱいだった話

大阪関西万博の会場工事が思うように入札されていない・・・・・開幕までに幾つのパビリオンが出来上がるんでしょうか?都市博(東京1995)開幕間際になって中止の英断を下した青島幸男元都知事のことが思い出されます・・・・

さて、前回の万博の年1970年からずっと姿を変えずに21世紀まで生き延びた隠れ国産名車があります。
日本ではもう絶滅種にも等しい、ボンネットのついたピックアップ・トラック
・・・・・・そう、北の国からで五郎さんが足代わりに使っていた水色のトラックのあの形・・・・
サニトラ、の名称でいまだに愛好家が少なくなく、南アフリカで生産された最終モデルをはじめとして都心でもたまに見かけることのできる日産の商用車です。

そもそもはカローラに対抗して一足早く生まれ変わった二代目サニーb110系のトラック版として用意されたもので(カローラには当初からトラックはなく、パブリカ・ピックアップがその役割を担っていましたが)軽トラを上回る乗り心地や積載量、乗用車よりも安い税金と小回りの利くサイズが魅力でした。

何よりサニーの最大の魅力はレスポンスと燃費の良いA12型1200ccエンジンで、これを搭載したサニークーペGXは生産終了後も10年以上ツーリングカー・レースの世界で今のハチロク並みの人気を誇ったものでした。

そんな素性を持つサニトラですが後継モデルの開発もなく、愛知機械という元飛行機屋の手で細々と生きながらえ、海外でも継続して生産されていました。丸型2灯のヘッドライトは角形に変更されたものの、三角窓のついたサイド・ウィンドウは当時のまま。板ばねのリアサスはシャックルを延長してホット・ロッド風にドレスアップするのも簡単でした。

そんな半世紀前のクルマが最後まで残していたのが運転席斜め前の三角窓でした。
70年代に入るとあっという間に淘汰されてワーゲン・ビートルの後継車たるゴルフですら3代目ではその痕跡すら残っていなかったものです。



三角窓の効能はその換気能力の高さと効率でヘビースモーカーならその恩恵はご承知のはず.90度以上回せば外気を嫌と言うほど導入してくれます。反面これがクルマ泥棒にも愛されていて、この窓が盗難時の便利なツールと化していたことも否めません。

三角窓を排する代わりに強制換気のシステムが充実しました。ダッシュボードには三角窓の代役を担うエアの吹き出し口が必須となりデザインのアクセントにもなっています。

あれからサニーのエンジンは度重なる排気ガス規制の壁を乗り越えましたが、サニトラのインパネは珍しくこの吹き出し口の無いシンプルなデザインのままでした。新鮮なガソリンを継ぎ足してやれば今でも立派に公道を走ることができます>(首都圏ではNOx規制未対応車を除く)

ハコスカやローレルにハードトップが追加されたのと同じ年に生まれた車が2008年まで新車で購入できたことも驚異ですが、今のクルマに圧倒的に劣っているのかと問われれば、返答に困ってしまうのもまた事実です。


そんなサニトラがもうすぐ目にする2度目の大阪万博。この間に自動車はどれほど進歩したのか?

交通戦争と叫ばれて年間の事故による死者が今より数倍も多かったあの頃には衝撃吸収バンパーもアイサイトもプロ・パイロットももちろん存在しません。シートベルト、ヘッドレストの装着がようやく義務化された程度で、ナナハンですらもノー・ヘルメットで運転が許されていた時代でした。

何よりピックアップトラックの需要はほとんどが軽トラや2トン車に置き換わり、このカテゴリーの新車は日本国内では望むべくもない状況。アメリカ等ではこの種のトラックが国民車と言ってもいい人気ぶりですが、最近では4ドア車や豪華装備を満載したSUV風が王道を行っている感じです。

昔のサニー・トラックの荷台には夢と希望がいっぱい載せられました。
少子化高齢化や環境問題で頭がいっぱいの昨今ではどうやって命を繋ぐか?未来社会の課題が山積しているような・・・・・
もうサニトラの荷台に載せられる希望や未来は軽トラでも運べる量になってしまったのかもしれません・・・・・

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