五輪カー?

Tokyo2020オリンピックが一年遅れでなんとか無事にスタートしました。

さてクルマとオリンピックの関わり合い?ですがズバリ車名にオリンピアの名を使った車がありました。
と言ってもドイツが戦前に開催した五輪にちなんでドイツ・オペルが採用していたオペル・オリンピアという旧型で、戦後まで生産されたあとはカピタン、レコルト、カデット、アドミラル、ディプロマットといった海軍士官らの階級を表す車名に受け継がれました。カデットはVWビートルと販売合戦を繰り広げる最も大衆的なクラスで、後にいすゞジェミニの原型ともなった車種です。

そんな中にあってオリンピアの名跡が復活した時期がありました。60年代末、カデットが大衆クラス人気車種として定着した頃、上級クラスに位置するレコルトとの隙間を埋めるために、カデットのクーペ/上級版として装備を豪華にし、価格もちょっと高めのカデット版・オリンピアを復活生産したものです。もっとも名跡以外はカデットと大差なく、マーケティングの末に生み出された戦略車種とも言えそうです。
実は日本でもこれに多くを倣っているのが日産で、サニー・エクセレントに始まり、スタンザ、ティーダの上級版ラティオ、(サニーが母体の)ローレル・スピリット、最近ではノート,AURAの例もあります。

カデット・シリーズは親元たるGMグループのグローバル戦略に組み込まれ,70年代にはTカーとして各国の仕向け先にあわせたアレンジの末、世界中にデリバリーされました。本家GMでもシボレー・ブランドのシベットとしてアメリカ版が、初代いすゞジェミニとして日本でもおなじみの存在になりました。というのも70年代のいすゞはGMの資本参加を受け入れておりべレットや117クーペといった個性的な独自路線から大GMのアジア戦略の一翼を担う立場へと方針転換を図ったのでした。

ポンティアックファイアーバードに倣っていち早く(法人向けを除く)日本の乗用車市場にソリッド・ブラックのボディカラーを取り入れたのもそんな背景があったからでしょうか。

五輪ならぬ五重奏のクインテットに由来する車名が日本にありました。前奏曲の意、プレリュードに続くホンダの新機種5ドア・ハッチバック専用車、クイントはヨーロッパ風の5ドアを備えたファストバック・スタイルが斬新でしたが、二代目では3ドアや4ドアも追加、名前もクイント・インテグラとサブネームが加わって人気を博します。やがて5ドアが消滅し、名称もインテグラのみとされ、タイプRを追加するなど人気は上昇しましたが本来の名称、クイントも5ドアもいつしか忘れられた存在となり、そのインテグラもやがては消えてしまいました

フロント・グリルに4個の輪を並べたアウディも五輪とはひとつ違いの惜しい存在ですが四つの輪は元々現在のAUDIのルーツとなるドイツの老舗4社を象徴するもので、そのAUDIも今では大フォルクスワーゲン・グループの一員。でも技術的には現在のゴルフに繋がる前輪駆動メカニズムやルマンを含む各レースを制した数々の技術、空力を重視した独特のボディ・デザインなど、グループの引っ張り役/世界的なトレンド・セッターとしての重要な役目を果たしています。

スバルのエンブレムに輝く六連星も当初の富士重工を形成する六つの会社を象徴するものとされています。元を辿ればプリンス自動車と同じく戦前の名門・中島飛行機の血統です。片や日産に吸収合併され、片やトヨタ・グループの一員にと、その命運は大きく分かれる結果となりました。看板車種のツーリング・ワゴンはレオーネの時代から海外でスキーチームの公式車両として活躍しているので(冬季)五輪ともまんざら無縁ではありません。

オリンピアを生んだオペルも仏プジョー・シトロエングループと縁組した上、フィアット・クライスラーとも併合されるという大連合の一員に。AUDIにしろスバルにしろ、大きな連合の中にあって埋没しないだけの存在感を示し続けています。

一昔前に日本への輸入が途絶えたオペルでしたが、近年再度導入のプランもあり、再び日本でも伝統のマークを拝むことが出来そうです。

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