見出し画像

毎日はすごい早さで

外出自粛が予想以上のストレスになっている。  子どもが生まれたこのタイミングでテレワークになったことは不幸中の幸いだと思っていた。育休ではないけれどコロナで仕事が停滞してる上に自宅で作業となると育休に近いものだ。
音楽、ラジオ、読書、映画、お笑いなどインドアなものが好きだから、外出自粛なんてそんなに辛くないだろうとタカをくくっていたが、いざ経験していると結構ダメージを与えてくる。

 今いるのは普段住んでいる家ではなく、里帰り中の嫁の実家でコナンのようにマスオさんのように生活している。
好きなものが散りばめられた家ならばまだしも、自分が住み慣れていない空間にずっと居るのは結構辛い。1人の時間が上手く作れず、感情が尖る。一体、マスオさんはどこで息抜きをしているのだろうか。
 テレワークでDVが増えたというニュースを聞いた当初、「アホか」と思っていたけれど、なるほど分かる。同じ人とあまりにも一緒にいすぎるのはとにかく疲れる、ギスギスする。
その疲労感がピーク時に達すると、相手の声色が自分の思い描いているトーンと少し違うだけでも苛立ちを感じる。
付随して、殺人は家族間が多いという話にも納得がいくようになった。
一番近くにいる家族だからこそ、加減がわからなくなってしまうのだろう。物理的にも精神的にも叩きやすい距離にいるし、どれだけ叩いても最終的には許してもらえるような気さえしてくる。そんなはずないのに。
追い込まれていくうちに、自分とはあまり縁がないと思ってた人の感情がなんとなく分かるような気がした。人としては最悪のことをしていても、その感情自体には寄り添えてあげられるのかもしれない。肯定するわけではないけど。   先日、このままじゃ危害を加えてしまうかもしれないと危機感を覚えて、散歩に出かけた。外出自粛という言葉に縛られすぎて、家族が壊れてしまったのでは元もことない。
昼間の太陽はとても気持ちよくて炭酸を飲んだ時のように爽やかな気持ちになった。
決して一人きりでは生きられない世界で、一人でいれることはある意味で最高の贅沢なのかもしれない。

 夜泣きによる寝不足で頭痛が続く。
ミルクは3時間に1回と病院の方から言われていて、細切れにすれゃ寝れないわけでもないなと思ってたし、元々ホテルの調理師をしていたので、基本は泊まり勤務体制だったから1日に2〜3時間しか寝れなくてもイケるだろうと思っていた。
 それもすべて机上の空論だったことをまなんだ。

ミルクを上げても寝ない時は1時間くらいは寝てくれない。嫁があやしても自分であやしても、オムツを変えても、さらに少しミルクを飲ませても、何故か寝ない。好き勝手に泣かせ、疲れさせようともしたけれど、上手くいかない。赤ちゃんの泣き声には人が何か不安になる成分とかが含まれているのだろうか。泣き声が脳内でリフレインする。それが夜中となると、感情を失うほどの疲労や嫌悪感がのしかかる。
予想以上に声がデカい。約4キロのこの体のどこにそんな爆発的なエネルギーがあるんだろうか。もっとウェスパーに、美しく、Charaみたいな感じで泣いてほしいと願ってやまない。

 そういう負荷が積み重なっていくうちに、子どもがかわいいという感覚が少しずつボヤけていく。こんなにも思い通りにいかない生き物のことを、誰しもが無条件でかわいいと思えるだろうか。そうだとすると自分は人として何かが欠落しているのではないだろうかと怖くなる。    「子どもは泣くのが仕事」なんてわざわざ言われなくても分かる、から言わないでほしい。
というか仕事にしては働きすぎだ、と軽口を叩ける時はまだ健康で、寝不足の限界がくる朝方5時ごろにはそういうウェットで温和なジョークが1ミリも浮かんでこない。事務的に作業をこなし、とても書けないような妄想を描いてはハッとしてすぐに消して思考を停止させる。限界に達してる時は思考停止が唯一の希望だなと感じる。

 停止といえば、Wi-Fiが急に止まってしまった。自宅ならまだ対処が出来るけどここは嫁の実家。適当なことをして再起不能にさせてしまっても困る。Wi-Fi回線がなければパソコンがネット環境に繋がらず仕事が出来ない。育休みたいなものと前記したけれど、あくまでもみたいなものだ。休んでいられるわけではない。水分を奪われていくような気持ち。

 更に停止していることがある。部屋の家賃だ。更新の手続きが上手くいっておらず2ヶ月未納になっていたと連絡がきた。調べていくとどうやら振り込んでいた口座が間違えていて、自分が振り込んだ金は消費者金融会社に振り込まれてたようだった。
その話を銀行にして、振り込みを取り消してもらい、向こう金融会社から了承を得て、戻してもらい、早急に正しい口座に2ヶ月分振り込まないといけない。その関係の書類や手続きが非常に多い。自分で自分の首を絞めているのは分かっているからこそ、気持ちのぶつけどころがなくて途方にくれる。
 ミスの修正にかける時間、育児に費やす時間が障害になり、テレワークで仕事の時間は減ったのに毎日がすごい早さで過ぎていく。自分が削られ目の下のクマが深くなる。
でも悪いことだけではない。

 今までは泣き声だけしかあげなかった子どもが、最近涙を流すようになった。
泣き止まない子どももあやし疲れていた時にふとそれを目にして、じんわりとわずかな成長を感じた。
赤ちゃん肌という言葉があるように、赤ちゃんは潤いがあってきめ細かい肌をしているものだと思っていたけど、実際に生まれた子どもは肌がカサカサで赤切れもあって年老いた老人のようだった。今までが湿度100%の場所にいたのだから良くよく考えればカサカサで当たり前か。その肌も日に日に潤ってきて人間らしくなっているのを文字通り肌で感じている。

砂漠でも生き物がいるように、耐久レースのような日々も、少し立ち止まってみると、ちゃんと潤いがあるだなと気がついた。停止することは悪いこととは限らない。世間でも、個人でも大きい変化が訪れていて、そういう時に救ってくれるのは、スーパーヒーローではなくて意外と小さなものかもしれないなと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?