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生後10ヶ月の小さくて偉大な背中よ

ヒナと2人で寝る生活が続いている。きっかけ巴産後うつが生後9か月頃に多く現れるというニュースを見てからだ。
英気を養えるように、妻にはリビングで1人で寝てもらって自分は基本的に右手を枕にされながら眠りに落ちている。
実家にいた時、飼っている猫と眠るのが好きだった。暖かくていつのまにか寝落ちしてしまう感覚。その記憶が蘇った。暖かくて小さい生き物は人を全てのストレスから解放する。今日も一緒に眠れることに喜びを感じる。ちょっとの寝不足も気にならない。
朝になると鼻を掴んだり髪を引っ張って起こす高機能な目覚まし時計に早変わり。
鏡を見るたびに引っ掻き傷のようなものが増えている。なんてことないただの傷も見方によっては親の勲章であり、父と娘の絆であり、立派思い出である。


ヒナは少し前から手押し車にハマっていて、ひたすら押して歩いている。凱旋パレードのように笑顔を振りまきながら。とはいえ、うちの家は丸の内通りではないのですぐに障害物にぶつかって動けなくなってしまう。一日に何十回も手押し車の向きを変えていたが、ある日ヒナは大きな発見をした。

"壁にぶつかったら反対側から押せばまた走れる"
ということだ。立ったや歩いたに比べたら、なんでもない動作だけれど、確実に能が発達していることを痛感させる出来事で、感動した。


あとは絵本にハマっている。
ページを捲ると違う絵が出てくるのが面白いみたいで声を上げてひどく興奮しながら見ている。
本棚から絵本を引っ張ってきては床に落とし、自分でページを開く。そのため基本的に本棚に絵本がない。ほぼ常に床に散らばりっぱなしだ。本人が気に入っている以上、さわれない場所に本を移すのは違うような気がして、あえてそのままにしている。コンマリならば発狂してしまうかもしれない。

そしてその絵本を親のところに持ってきて、目の前に置いてくる。間違いなく「読め」というメッセージだ。場合によっては一回で終わらず何度も読ませる。その間は自分の作業が何も出来なくなってしまうので、嬉しいような面倒くさいような、でも嬉しいような、気持ちになる。自分も本が好きなので、本が好きな子に育ってくれると嬉しいというのは歪んだ親のエゴだろうか。


成長するにつれて、イタズラも絶えなくなった。手に届く「箱」は全部出してしまわないと気が済まないらしく、全部ひっくり返されてしまう。誰もが通る道とほとんど諦めているけれど、最近小さな転機があった。
小箱に入っている子供用のクッキーを全部箱から出していた。と思ったら全部出し終えたあと何故か箱に戻したのだ。
この「お片付け」を父と母は盛大に褒めた。外にあったものが箱に仕舞われるおかしさに加え、褒められたというのも重なって、その日はずっとお菓子の箱を離さなかった。
「これ、このまま褒め続けたら片付けが出来る子になるんじゃないか?」と淡い期待がチラチラとこちらを覗く。

2月7日をもっていよいよ10ヶ月になった。思い通りにならないと怒る、ということも相まってまた一段と人間くさくなっていく、手押し車を押す小さな背中がキラキラ輝いて見える。

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