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フジロックオンラインレポート。見れて良かった、はず

フジロックが開催された先週末、PCをYouTubeに繋ぎ、配信ライブを見た。
配信とはいえ、こうやってしっかりとライブに触れたのは本当に久しぶりだった。
週末とはいえ、子どもが居て妻がいる以上、日用品の買い足しや家事、子どもの面倒など、全身全霊をかけて画面に噛り付けたわけではなかった。最も見たかったのは初日のmillennium paradeだったのに、子どもの寝かしつけをやっているうちに自分が寝てしまって起きたのは0時。なんたる失態、一生の不覚。

かなりショックだったが、それでも次の日もライブがある喜びの方が勝った。
初日一発目、KOTORIのライブは爆発力あるライブアンセムをやるのではなく最新作『We Are The Future』を中心にした聴かせる、心に響かせるセトリだった。叫べないなら叫べないなりにライブのスタンスを作れるバンドは強い。これから先が、さらに楽しみになったライブアクト。


 
プールに入っていた子どもが眠ったのは12時半頃。ステージに立っていたのはyonigeだ。
3年くらい前に、JAPAN JAMで早い時間にやっていたライブを見て以来、最後にきちんと音源を聴いたのは『girls like girls』。この日のアクトは自分のなかのyonigeが更新されたライブだった。
JKを中心に人気に火がついた頃とは大きく異なっていた。セトリもかなり攻めたものだったように思う。切なさで心がどうにかなりそうな歌詞が注目されていたが、この日のライブは歌詞よりも音が存在感を放っていた。

最新EP『三千世界』に入っていた『催眠療法』はインパクトがあった。アイルランド民謡のような、バグパイプの音がサビ以上にキャッチーだった。バグパイプと牛丸が描くしっとりとした質感の日本歌詞が生み出す、良い違和感。2年前にフジロックにRed Hot Chilli Pipersが来たことを思い出したりして、面白い瞬間だった。
良くも悪くも“マイヘアの女性版“とキャッチコピーが付けられていた頃からは想像もできない、オルタナティブ性を持ったyonigeを今後も追いたい。
余談だが、ベーシストごっきんのツイッターはユーモラスでかなり面白かった。いつの間にか居なくなってしまったが、どこかでまた見たいとも思う。


"ながら"見したのはTempalay。
子どもに買ったトーマスのプラレールを組み立てつつも、耳だけは苗場に。
もちろん集中は出来なかったし、本当はちゃんと見たいライブだったけれど、これはこれでヘンテコで面白いとも思う。配信ライブだからこその苗場と家庭の混ざり合いがシュールだった。

 
最終日のTHA BLUE HERBとGEZANも良かった。
一方はヒップホップで言葉と想いを紡ぎ、一方は鋭利なロックで切り裂いていく。
鳴らす音、その編成、ジャンルと何もかもが違えど、同じ熱量を持った者が、フェスの存在ひいては音楽の存在意義を問うベストアクトだった。一アーティストのプレイでありながら、フジロックからのメッセージとしても受け取れた。




個人的に一番心に響いたのはサンボマスターだ。
まっすぐな想いと愛と、ロックはリアルだろうが画面だろうが関係なしで刺さった。PCの画面を見ながらボロボロと泣いてしまった。

ピンチの局面で一番強いバンドだと再認識させられる。、個人的な局面でも勇気をくれたのはサンボマスターだったが、世界レベルでの局面でもそれは1ミリもぶれなかった。シンプルでかっこいいパンクロックを鳴らして、心を灯してくれる。後半には近藤が他のエリアに移動して演奏する寸劇が挟まれた。
巨大モニターではステージをはけた近藤が飲食エリアにいる映像が映し出されている。いつものように雨が降りしきる現地、映像は晴れていた。
寸劇が始まった当初は本当にどうしたのだろうと思った。元来、小細工をするバンドではないからだ。演奏して、盛り上げて、元気づけて、去っていく。
そんな直球バンドが寸劇をしたのは、愛によるものだった。


近藤はやがてフジロックから離れてしまう。そしてモニターには映されたのはサマソニ、ロッキンの会場で楽しんでいる近藤の姿だ。
やがてステージに戻ってくると今度は京都大作戦を始め、様々なフェスのタオルを掲げた。
同業とはいえ、ステージで他のフェスを取り上げるためにはそれなりの手数がいるだろうし、簡単ではないはずだ。この演出を許したフジロック側も、敢行したサンボ側も、愛しかない。

余計なお世話で申し訳ないが、しきりに足元を見ていたり、コメントに微妙な間が空いていたりと、寸劇に慣れていないボーカル山口も良かった。慣れてなくても苦手でも関係ない、俺たちはこうしたいんだという想いがヒシヒシと伝わってきて号泣してしまった。不器用な父親が娘の結婚式で手紙をしたためたような、とびきりの愛情が感じられた。

コロナに対してはもちろん、10年経った震災への想い、そして気持ちを届けようとしていたライブが出来ないことなど、複雑な想いが吐露された熱いMCも、演奏に負けないくらい見どころだった。
 

ひとしきり感動した後で、ふと我に返って思い出すのは観客の姿だった。
違和感がなかった。今まで見てたフェスとそこまで違いがないかもと思ったのは人が密集していたからだ。今年の春フェスは“ならでは”だった。前方はマスで囲われていて、適度に距離があり、ツイッターなどでこまめに情報が共有されていた。特にviva la rockは徹底的だった。

現状をさて置いて、それでも楽しんで配信を観ていたのは、少しでも現実を離れ、音楽を、自分が好きなもの楽しめる空間をどうしても見たかったからだ。

配信を見ている時は幸福感に溢れていたが、時が経ち、本当に今、開催して良かったのかという気持ちも少しずつ芽生えている。千葉県であった、感染した妊婦が自宅で緊急出産後に新生児が亡くなってしまったニュースは本当に心が痛む。どんな言葉でも形容できないような悲しみに沈んでしまう。
でもラブシャ中止のニュースにも心が痛む。
さらに言えばネット上に溢れかえっている、ろくに見もしないでフェスを叩くコメントには反吐が出る。春に行われたフェスが、またロッキンがやろうとしていた対策も良く知らないくせに、と思う。
どれも嘘のない本当の自分の気持ちだ。ダブルスタンダードになってしまっている自分に気づきつつも、どちらに合わせたら良いのか自分でも良く分からない。いろんな情報に晒されて本当の自分の意見が分からなくなってしまった。



フジロックのライブの配信は凄く良かった。前向きな力がもらえた。明日も頑張ろうとも思った。
しかし、この気持ちが抱えた人が正解なのか、この気持ちに否をつける人が正解なのか、分からない。
今出来るのは、音楽を好きな自分が感染しないことと、このまま感染者が出ないことを心の底から祈ることだけだ。
何もなく2週間経ってくれ。

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