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友達の結婚式

酔ったまま書きたい。少し雑だったとしても。
2月22日、生まれて初めて結婚式に呼んでいただいた。

5年ほど前、新卒入社した会社の同期である"さっこ"という人が好きだった。
誕生日に行ったディズニーシーで、友達に「実は今日はサプライズでさっこが来てます〜!!!」と言われて意気揚々と振り向いたら同じ名前(違う苗字)の"さっこ"が立っていて、そこまで仲良くなかったのにも関わらず「お前かよ!」と叫んで突き飛ばした。

それが元職場の同期、"さっこ"(違う苗字の)との出会いである。出落ちのような出会い方にも関わらず、有り難いことに退職した今でも仲良くしてもらっているのが嬉しい。そこからは自分と"さっこ"と友達を含めて3人。会えばたまりに溜まった鬱憤を晴らし合うような関係になった。
チャリ通勤で怪我をして思うように働けない、辞めるタイミングが分からない、中堅の立場になってきて後輩を叱ると怖がられる…といった具合に前向きなことを話した記憶はほとんどない。

そんな"さっこ"にも人生を連れ添ってくれるパートナーがいる(それも同期)という話を聞いたのが3年くらい前。それが、やがて結婚。
まさか人生初の結婚式が、愚痴マスター"さっこ"の結婚式になろうとは微塵も思わなかった。

会えば愚痴の関係性だから、結婚式に行ったところで茶化して美味しいご飯を頂いて終わりだと思っていた。
のに、予想外に感極まってしまった。

東京出身の新郎と大分出身の新婦。縁がなければまず交わらないはずの点同士が、線になったことがすごい。寡黙そうな新婦の父が「大分に縁ができた」って言ってらっしゃったのが心に響いている。偶然と言ってしまえばそこまでになってしまうのかもしれないけど、美しい繋がりだよなとしみじみと感じた。

そして新婦の両親を考えると、どうしても涙腺がやられる。
父はどんな気持ちで望んだんだろう。当然、嬉しくもあっただろうし寂しさ切なさだって同等、いやそれ以上にあったはずだ。陳腐な表現では言い表せないくらい複雑な想いで望んだ娘の式が、いろんな人におめでとうと言われて、どう変化していったのだろうか。到底言葉にできない。
更にはお母様。
どんな出産だって命がけだ。母親は無事に"さっこ"を産んで育てた。その時の産声だって今でも脳裏の片隅に残っていることと思う。悪阻や陣痛も含め、その時の苦労は娘がどれだけ成長して立派になっても忘れられないだろうなと思う。父だって育児に参加していなければ、あんなにしっかりと芯のある人間にはならないと思う。今の今まで、ほとんど仕事場での付き合いばかりだったけれど式を見て、愛されて育てられた子なんだなってことが、親御さんと交わした軽い乾杯や式中の立ち振る舞いに滲み出てた。親だけじゃない、兄弟にも太い繋がりがあるのを痛感して、また涙腺が緩くなる。そしてそれは新郎側も同じだ。愛情をもって、信念をもって育てていかないとあんなに裏表のない人間にはならない。

新郎、めちゃくちゃかっこよかった。
まざまざと男の覚悟を見た。自分ではない誰かを喜ばせたいって気持ちが心に絶えずあってそれが形になっていた。予め用意していたのかどうかは定かではないけれど、言葉にしっかりとした重みがあった。あの重みは、考えて考えて考え抜かないと出てこない代物だと思う。少し冷たささえ感じるくらい、真っ直ぐな性格が物凄く羨ましくなった。
羨ましいと言えば、新郎の父の残した「好きなことを仕事にしている息子が羨ましい」(あくまでニュアンス)って言葉も響いている。息子に対して羨ましいなんて、素直に言えるだろうか。単純に考えると「息子が誇らしい」とかで纏めてしまうのが一般的なのに、新郎の父は羨ましいで締めくくったところに、家族以前にある、男と男の力関係を感じた。羨ましいと言い切ってしまう父の潔さも凄まじくかっこよく、刺さった。
あんなに幸せそうに笑う"さっこ"を見て安心した。いつも愚痴しか聞かないから。
いつもなら何かしらの話のネタが出てくる距離感にいるのに、会話をするタイミングすらあんまりなかった。アイドルかと思った。けれど、アイドルで良かったとも感じる。これだけいろんな人に祝福されている人間がアイドルじゃないわけがない。何やかんや言ってるけど、愛されて、愛されて、その愛をちゃんと返して、大勢の人に囲まれているんだなと痛感した。それが凄く良かった。
なぜか外国人に誓う、誓いの言葉は嘘くさいとずっと思ってた。今日実際にそれを間近に見ても、どこか偽物くさい言葉だなと感じたし、返事は1つしかないような言わさせているような空気感も正直感じた。
夫婦だから苦しみは分け合って半分、幸せは2倍。今生きてる世界はそんなに綺麗じゃない。言いたくても上手く言えないこともあるし、相手の幸せに心の底から同意できない瞬間だって生きている限り、いつかあるだろう。

でもそれを信じてみたくなった。
自分だけじゃなく、家族として括った先には、やすやすと言葉にできないような美しい風景があることを信じてみたいと思った。新郎新婦、そして家族の方々がとても幸せそうだったから。
明日にはこの多幸感も忘れるかもしれない。
茶色く髪を染めた高校生が、スプレーとかで一瞬で黒髪に戻るみたいに、生活に押し潰されて、いとも簡単に忘れてしまう感情かもしれない。
そうだとしても、心に残しておきたい風景だった。

新郎のとよしゅん、新婦の"さっこ"、改めておめでとう。いつまでもいつまでも幸せでいてね!

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