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二尊院

4年前、僕は「神」を発見した。
そして本を書いて、神の存在を証明してみせた。

旧約聖書の中で神とほとんど同じ意味で描かれている「契約の箱」
あれは神の化身であった。
エルサレムの神殿に神を祀っていたとき、契約の箱を聖なる場所に座らせていた。
古代イスラエルの王は、契約の箱の御前にて、神と会話していたのである。
人々は人智を超えた力を持つ契約の箱を、神と呼んでいたのである。


①契約の箱が置かれていたエルサレムの神殿(現在の岩のドーム)
②現在、契約の箱が納められているエチオピアのアクスムにある教会

この2箇所に向かって、伊勢神宮の外宮からGoogle Earthで線を引いたとき、日本の聖地をいくつも通る。
外宮からエチオピアの教会を結ぶ線は、奈良の東大寺や春日大社や平城宮など世界遺産や国宝群、複数の天皇陵墓を通る。
その精度は非常に高く、因果関係を否定する方が難しいほど正確である。
さらに、奈良を通り抜けた線は、出雲を通る。
出雲の塩冶神社を正確に通る。古事記・日本書紀において、神宝が出雲から大和へ渡る物語の舞台となったヤムヤの淵。もともとヤムヤ社と呼ばれていた塩冶神社を正確に通るのである。



そして伊勢神宮の外宮からエルサレムの神殿を結ぶ直線は、京都の伏見稲荷大社、東寺、出雲大神宮を通る。絶対に偶然ではない。



聖書の中で契約の箱と一緒によく使われる言葉がある。ー「神の栄光」
僕が発見したのは、きっと神の栄光である。

2000年以上、1つしかないと思われていた契約の箱は、実は2つあるのではないか。ONE PIECE of Two piecesなのではないか。
2つは互いに共鳴するように光の線で結ばれていて、昔の人にはそのラインが見えていたのではないか!それこそが古代の神の姿なのではないか!

かなり簡単に書いたが、それが4年前の発見である。

4年が経った。
仕事はしている。そして細々と音楽を作っている。
何回も仕事をやめていて、もう履歴書に書く欄がない。
今は工事現場の仕事で全国を点々としている。


ネガティブな意味ではなく、もういいんじゃないかと思っている。
何も後悔がないのである。
行きたい国にも行った。いろんな人に会えた。
南米のスラムとか、アフリカの村とか、シリア難民キャンプとかも行った。
大学も首席で卒業できた。やりたい研究もやった。
こんな素晴らしい発見ができたし、心は晴れやかだ。

貧しい家に生まれ、母さんが自殺して、親父に金をせびられながら這いずって生きていた頃がある。汚い指を見られるのが恥ずかしかった。希望なんてなかった。毎日が苦しくて、生まれてきたことを呪っていた。

あの頃、こんな素晴らしい人生が待っていると思わなかった。
だからもう満足。もう野心がない。



2021年1月。
仕事で京都の工事現場に来ている。
会社が借りた部屋に住んでいる。

ふと気になって、Google Earthを開いてみた。
心臓は高鳴った。
そんな気がした。

どうやらまだやるべきことがあるらしい。
信じ難いことだが、僕の部屋は外宮からエルサレムの神殿を結ぶラインのすぐ近くにあった。あの時と同じ、奇跡が降ってくる感じがした。
しかも4年前の全く同じ日付だった。



4年前の発見の後、僕は京都を訪れているが、レイライン上にある聖地の全てを回ることはできなかった。この機会に行ってみようと思うと嬉しくなってきた。


スニーカーを現場に忘れた代わりに安全靴を履いて帰ってきたので、安全靴に合わせてコーディネートして出かけた。


ー 嵐山 ー

安全靴の音だけが響く。
日本に生まれて良かったと思える、豊かな道を歩いた。
竹林の散策路は外宮からエルサレムのライン上にあるパワースポットである。






歩いていると宮内庁が管理する天皇家の陵墓。
やはり「ここにも」あったか。そう思った。



地図を見ていると「百人一首の歌碑」とあった。
これに反応した。

中学生のとき、3年生が修学旅行に行っている間、1、2年で百人一首大会があった。1年の時も2年の時も全部勝った。一回も負けなかった。

静かな道を歩いた。


(そういえば、なんで百人一首得意なんだっけ)

安全靴の中の外反母趾が痛くなってきていた。

広場に石碑があり、百人一首の歌が刻まれていた。



辺りには誰もいなかった。風の音もなかった。




たしか小学生のとき、百人一首のかるたが家にあって、母さんが読んでくれてたんだ。


市営アパートの狭い部屋で、やってたなー。

真ん中の弟はすぐ飽きてたなー。


1番下の弟は「オケツ白浪」で笑ってたなー。


だから覚えてるのか。あの頃は楽しかったな。



あ、ころもほすてふ。
母さんが好きやったやつや。少し泣いた。




目的地の二尊院へ向かった。
二尊院は外宮からエルサレムのラインにある。
京都の中心部を挟んで、伏見稲荷とは反対側の山の麓です。

特別な場所に違いなかった。






本堂の裏の階段を登る。
1番上まで登る。




外宮からの栄光が、山を超えて、伏見稲荷大社、東寺を通って、ここまで真っ直ぐ届いてたんだな。そしてエルサレムまで繋がっている。


街が一望できるこの場所に、時雨亭跡はあった。



「時雨亭跡 藤原定家鄕 百人一首 選定の遺蹟」と書いてあった。


時代を越えて現代に残っている百人一首が、外宮とエルサレムを結ぶこの場所で撰定されたとなると、全く意味が違ってくる。
百人一首は暗号なのではないか。そう思った。

僕はずっと景色を眺めていた。
特別な感情を噛み締めながら、時間に身を任せていた。
安全靴を履いていることも外反母趾が痛いことも忘れて、見えない光を見ていた。

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