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大阪をこぐ ①

今思えばただ冬休みの終わりが

年に一度、祖父母が暮らす関西に親族が集合する。大抵はその集まりが終わり次第さっさと帰るのだけど、今年はなんだか心持ちが違って、いっちょ10年ぶりに大阪を観光してみるか~と思い立った。東京に帰る前夜の布団の中で。

どこに行く

行くぞ!と決めたのはいいものの、「大阪 観光」で調べて出てくるのは食い倒れか大阪城。人通りが多いところはしんどいし一人で食べ歩きもな…。博物館や美術館はまだ年始休みだし、だからあんまり大阪観光する気にならなかったんだと早々につらい気持ちになってきた。

ウンウン唸って、また思いついた。デイリーポータルZ大阪R不動産をみてみよう。

デイリーポータルZには建築やその土地にしかない食べものなどガイドブックには載らなさそうな、でも好奇心がそそられる記事が多くある。大阪をキーワードに記事を調べると早速いくつもヒットした。 

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で、数ある記事の中からやってみたい!と思ったのがこちら。

大阪に来たら巨大ループ橋を巡ろう

ドライブだと綺麗だな~と思いつつ一瞬で通り過ぎてしまうやつだ。この足で橋を渡りたい。気が済むまで存分に堪能したい。目指す場所がひとつ決まった。

そしてR不動産は個性的で面白い物件を多く紹介している不動産サイトです。

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実は全国各所のR不動産がある。

ここで紹介されている物件から、地域性を割り出して好みの場所を見つけようという算段だ。チェックしてみると早速、良さそうな物件が紹介されていた。

大阪の記憶を胸に
遡ること明治元年の1868年、文明開化の到来とともに大阪は開市開港、つまり東京や神戸と同様に、諸外国に開かれた都市となりました。その後すぐ、大坂船手会所(大阪湾と木津川、淀川への船舶の往来管理をする幕府の施設)があったこの川口の一帯が、外国人居留地として洋館が建ち並ぶ西洋風の街に区画整備されていきました。現在「旧川口居留地」と呼ばれる場所が誕生したのです。
現在の街並みからは想像しづらいですが、かつてここには移転前の大阪府庁舎や大阪市庁舎も建てられ、明治のはじめにあって「ハイカラな」飲食店などが並ぶ大阪の中心地でした。宣教師などの住まいもあり、今なお残る川口基督協会にその名残を見ることができます。その後居留地制度が廃止されると今度は貿易業を営む華僑が入居しはじめ、一大中国人街となったそう。

紹介にあった建物ひとつだけでなく、エリア全体が面白そう。頑張って南下していけばデイリーポータルで見た橋まで行けそう。そんなわけで、今回の大阪観光は西区・港区の建築巡りに決定です!

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自転車を借りて出発だ

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さて起きたら心斎橋で自転車をレンタルして観光スタート。

大阪はレンタルサイクルが発達していて、中でも今回利用した HUBchari は市内150箇所で自由に自転車を借り、返すことができるそう。しかも運営母体はホームレス問題解決にあたるNPOで、レンタルサイクル事業の収益が路上生活者への支援に使われるとのこと。

道中、高速道路や橋、線路が立体的に交わり構成されているその隙間で路上生活している人の姿をちらほら見かけた。私が自転車を借りたポートは偶然スタッフの人がいたので、どんな活動をしているのか詳しく聞いたらよかったな。

1.西区川口~港区市岡山

さて本題。心斎橋から西区川口エリアをめざします。一人見知らぬ土地でのサイクリングだから、鼻歌も気兼ねなく歌えるし、いいな~と思ったらいいな~~!!!って言える。それだけでもう楽しい。

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だいたいこんなルート。橋を渡るまでは大道路沿いをひたすら走る。自転車専用レーンも整備されていてかなり走りやすい。ただ信号が待ちきれないのか自転車乗りの老若男女はガンガン信号無視します。

大通り沿いは会社のビルや集合住宅が目立つ。

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アンテナみたいな不思議なオブジェと、その横の高さで曲面が組み合わさっているところが好き。コンクリートの曲線っていいよね。このあともたくさん見つけて嬉しかった。

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70~80年築のマンション群。それぞれ個性があってギュッと集まるとかわいい。賃貸サイトで調べたら最上階2LDKで10万円とかだった。

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また一段と年月を感じさせる建物だ!!

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細野ビルヂング。銘板かっこいいな~~!!!

右から読む表記になっている。それくらい古い建物なのか~と思って調べたら1936年築だって。元は白いタイル張りだったそう。細野ビルヂングを建てた細野組は、その後大阪や兵庫の高級住宅地の開発を引き受ける大手ゼネコンに成長したということで、細野ビルヂングは会社の広告を兼ねた建物でもあった。

今も創業者のお孫さんが細野ビルヂングの手入れを続けていて、常にテナントは満室、アートイベントも定期的に開催。誇りが引き継がれている‥!

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そうしてあちこち目移りしながら自転車を漕いでいると、唐突にダンジョンが現れる。思わず大きな声がでた。

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このあたり。

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何重もの重なり!かっこいい!ヒュウ~!!

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シンプルな装飾が洗練されていて、グレーのグラデーションなのに華やかさすらある。

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さて目的地にたどり着いた。目印の教会は1920年頃に建てられた、川口居留地時代の象徴のような建築。大阪港開港当時はたくさんのキリスト教会が生まれたけど、土地が栄えるにつれてもっと広い土地を求めて拠点が川口から離れていったんだそうだ。

教会を通り過ぎて反対側に目をやると

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わ~~!出た~~!通称川口アパート。おそらく1928年頃に建てられたと言われる連棟建物群は今も居住・事務所区画として現役。

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古いし、テナントによってはちぐはぐな改装をされているところもあるけれど、それでも滲み出る優美さ。

入口の装飾と上下階の間のレリーフが目を引くけど、よく見ると門灯の磨り硝子や扉の取っ手もかわいいな‥

さて住宅地から離れ、島?のヘリまで行くと川の交差点がある。

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橋と道路が交差して立体的でたのしい。よく見ると船も停まっている。

橋で折り返し、島の反対側沿いを行くと工業地域ぽさが増していく。

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ヒビを隠しているのかな?ペイントがグラフティのような倉庫。

後でわかったことだけれど、この倉庫にたどり着く前に住友倉庫本社というモダンな倉庫があった。

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すぐ横をずーっと通り過ぎていたようだ。大きすぎて見えてなかった。


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三榮工業株式会社。カーブを描く角や丸窓もかわいいけれど、窓枠や庇の細かい立体感がアクセントになっていて素敵。

細い道にに入るとレトロな家屋が点在している。

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雨戸の横のさり気ない装飾が気になって撮った。これも洋風建築に見られるレリーフの一種とのこと。

川幅が狭いせいで外国人貿易商が神戸に転出し、宣教師達は広い土地を求めて出て行き、中国人街ができたと思ったら日中戦争激化で多くが帰国してしまった、なんだか不憫な土地川口。でもこの土地の職人さんたちには技術が残り、人々の文化的土壌としてもきちんと根付いていたのだろうと思わせてくれるさり気ない装飾。

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同じ顔が並ぶ長屋で、一際緑が目立つ玄関には「地区班長」って札が掛けられていた。建具の木材もしっとり艶やか。正面は経年変化をそのまま残しているけれど、側面は綺麗に塗装されていた。

隣接していた建物がなくなると、側面の汚れがすごく目立つんだよな。そういうところはきれいに見せようとしているのだろうか。地区班長、美意識がすごいな。

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2階部分の、古びた木のデッキがとてもいい。あそこで夜風に当たりながらビール飲みたい。

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鉄筋ブロック造?かなり不安になる外観だけど、まだ中は現役のようでした。

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かわいいタイル発見。青と緑が混じった深い色、不思議な模様。

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初めて見た大柄の磨り硝子。うねうねくるくる

段々と日が傾いてきたので先を急ぎます。

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思ったより長くなるので②につづく。

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サイゼリヤの間違い探しだ。

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繁栄商店街。なんていい名前。


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