見出し画像

「観心本尊抄」※背景と構成

「現代語訳 観心本尊抄 池田大作先生監修」から掲載(抜粋メモ)させていただきます。 (なお、青年部教学試験一級と被っている部分は割愛してます。)

・文永八(1271)年十月十日には、流罪が決定し、大聖人は佐渡に向かわれた。
・佐渡に渡る直前、寺泊(地名)から、冨木常忍にあてて書(「寺泊御書」)を送られた。
・動揺する門下に対して、法華経に予言されたとおりの難であり、法華経の身読であると教えられた。
・その中(「寺泊御書」)で、門下も抱いていたと思われる、大聖人に対する四つの批判
 ①衆生の機根(仏法を受容し理解する能力)を知らずに折伏で乱暴な議論をするから難に遭うとの批判
 ②法華経勧持品に説かれる忍難弘通は、修行の進んだ菩薩が行うもので、初心者に向けた安楽行品の教えに背いているとの批判
 ③自分たちもこのことは知っているが、あえて言わないのはどうなのか。との批判 (法華経が最も優れた唯一の成仏の法であり、それに諸宗は背き謗法に陥っていること)
 ④教門しか説いていない。との批判 (観門<成仏のための実践にかかわる教え>は説いていないから。)
 
・その四つの批判を打ち破ることを、大聖人は佐渡で試みられるのである。
・佐渡で過ごされた約二年半の間、劣悪な環境の中で、大聖人は衣食も不足する不自由な生活を強いられた。それだけでなく、たびたび命を狙われるという厳しい状況であった。

cf.【寺泊御書】に書かれている四つの批判のうち三つまでを【開目抄】から打ち破り、四つ目の批判を【観心本尊抄】で打ち破られた。
 
 



 次に、構成にも若干の違いがありましたので、池田先生監修の方も掲載します。

大段第一 一念三千の典拠を明かす

第一段 一念三千の典拠を示す

第1章 『魔訶止観』第5の文

一念三千を説いた文を踏まえつつ、日蓮大聖人ご自身の「観心の本尊」が明かされていく

第2章 『魔訶止観』の前の4巻などには一念三千は明かされていない

一念三千こそが天台大師の最高・究極の教えであることが明かされている

第3章 一念三千は前代未聞の教え

一念三千は天台大師が最晩年に講じた「魔訶止観」(の第5巻)において初めて明かされた


第二段 一念三千は有情と非情にわたる


第4章 一念三千は有情と非情にわたる

草木国土という非情も縁にあえば、仏果を現し、成仏することが明かされている


大段第二(1) 観心を明かす

第三段 あらあら観心を説明する

第5章 観心の意味 

観心の本尊の「観心」の意義を明かす


第四段 詳しく観心を説明する

第6章 十界互具の文を引く

地獄界から仏界の十界それぞれが十界を具えていることを明かした文を挙げ、十界互具の文証とされている

第7章 難信難解を示す

凡夫には自他の生命に十界(とくに四聖)を見たことがなく、とても信じ難い、との疑問

第五段 心にそなわる十界

第8章 自身の心に具わる六道

四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)は、日常生活ではなかなか現れにくく見かけることがない

第9章 自身の心に具わる三乗

凡夫の生命にも声聞・縁覚・菩薩の境涯が具わることが示される

第10章 凡夫の心に具わる仏界

大聖人は、人界に仏界が具わるということを、現実に存在する証拠、「現証」によって信じるべきであると論じられていく

第六段 受持即観心を明かす

第11章 教主に関して尋ねる

末法における一切衆生の成仏の要諦である受持即観心の法門を明かす重要な問答が始まる

第12章 経典・論書に関して尋ねる

質問者はどうしても、爾前の諸経こそ事実であり実語であると主張し、一念三千の法門は誤った考えや伝承であると論難している

第13章 経典・論書に関する難問に答える

法華経と爾前経との間に根本的な相違があることについて、経文自体に説かれる内容によって明らかである

第14章 教主の難問に答えるにあたり、まず難信難解を答える

偉大な教主釈尊のような仏の境涯が凡夫の心に具わるとは思えないとの疑問に答える(難信難解)

第15章 教主に関する難問に答える

偉大な釈尊が凡夫の劣った心に具わるのかという最大の難問を解決

第16章 受持即観心を明かす

この疑問に対する答えとして「受持即観心」の法門を明かされている


大段第二(2)

第七段 あらあら本尊を説明する

第17章 権経・法華経迹門の国土

末法の衆生が受持すべき本尊について明かされていく。その中で、爾前経・法華経迹門で説かれた熟益の本尊について論破されている

第18章 本門の国土

法華経本門の本尊を明かされている

第19章 本門の本尊を明かす

末法の衆生のための「本門の本尊」が明かされ、本門の肝心たる妙法蓮華経の五字は、ただ地涌の菩薩のみ付属されたことが説かれている


第八段 詳しく本尊を説明する

第20章 末法に出現する本尊を尋ねる

正法・像法時代にいまだ出現しなかった「本門の本尊」が末法に出現すると説かれ、その詳細を説いていく

第21章 一代三段・十巻三段を示す

特に「五重三段」を明かすことを通じて釈尊一代に説かれた諸経のすべては、まとめると一経となる

第22章 迹門熟益三段を示す

迹門は、過去の下種・結縁を調え成熟させるという熟益を目的とする。ゆえにこの三段は、迹門熟益三段と呼ばれる

第23章 本門脱益三段を示す

法華経迹門では、十界互具・百界千如が確立。法華経本門では、久遠実成が明かされ、十界の久遠常住が示された。さらに、真実の国土世間が示された

第24章 文底下種三段の序文・正宗分を明かす

仏種の法ではないものを信受すれば、どんなに機根の優れた人であっても、最悪・最低の境涯になってしまう


第九段 文底下種三段の流通分を明かす
第25章 法華経で成仏する対象の中心

法華経の迹門・本門とも、末法の衆生のために説かれたことが示される。そして、末法に流通すべき法は、下種益の妙法たる題目の五字、すなわち南無妙法蓮華経であることが明かされている

第26章 本門の序文の文を引く

法華経の本門が序・正・流通ともに末法の衆生のために説かれたことの文証を挙げつつ、末法における地涌の菩薩の弘教を明らかにされていく

第27章 本門の正宗分の文を引く
①寿量品は滅後のための法門

本門が末法を正意とすることについて本門正宗分の一品二半の中から文証を挙げ、本門正宗分が末法のために説かれたことを述べられている

②流通の人と法を明かす

日蓮大聖人は、特に寿量品の「良医病子の譬え」に説かれている「使い」とは誰か、「この好き良薬」とは何かについて論じられ、末法弘通の「人」と「法」を示されている


第28章 本門の流通分の文を引く
①別付属の文を引く

法華経本門の流通分から神力品第21の四つの文を挙げられている

②別付属・裙拾依属を明かす

人力品第21の後の ゾク累本第22に 総付ゾクについて言及されている

第十段 地涌の菩薩が出現する時を明かす

第29章 地湧の菩薩が出現する時は悪世末法
①地湧の菩薩が出現する時を明かす

地湧の菩薩が正法・像法ではなく末法に出現することが明かされている

②正法・像法時代の教・機根・時について検証

なぜ正法・像法時代に地涌の菩薩が出現しないのかという点について「機」や「時」や「教」の観点から述べられていく

③四菩薩の振る舞い

末法の「時」「応」「機」「法」について述べられていく


第30章 仏の予言を明かす
①地涌の菩薩出現の予言

地涌の菩薩が必ず末法に出現することについての仏の未来記(予言)を挙げられて、日蓮大聖人がその未来記に当たる存在であることを結論されていく

②本門の本尊の建立を明かす

前節の末尾で引かれた伝教大師の文にある「闘じょうの時」とは、日蓮大聖人当時の自界叛逆・他国侵ぴつの二難を指すことを明かされる

③地湧の菩薩出現の前兆を明かす

 最後に地涌出現の先兆が明かされる

大段第三 総結

第十一段 総結

第31章 総結

 本抄全体の結論を示し、末法の凡夫に対する御本尊の絶大な功力が述べられ、本抄が締めくくられる。