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近江の光明寺へ【不思議な夢の話】

2016年私が42歳の頃、こんな夢を見た。

当時私は初めて介護士として老人ホームで働くようになっていたのだが、この日の夢にはそんな職場の職員の一人、Tさんが現れた。

Tさんは少しやんちゃで勝ち気、話の上手いひょうきん者だが、どこかうっすら影のある男性だった。

私の夢に現れたTさん、いつも職場で冗談を言う時とは違って、少し悲しげな苦い笑いを浮かべ私の前に立った。職場でもいつもそうだが、立ち姿のポーズがどことなくかっこいい。

彼に何があったのかと不思議に思って見つめる私の視線を避けるように、Tさんは目を伏せた。そして両手を捧げるように私の方に差し出し、両手のひらを広げてみせた。

(うん、なんだろう?)

気になって彼の両手のひらの中をふと覗き込むと、そこには文字が浮かんでいた。

「磯野 員昌」

Tさんの手のひらに文字が浮かんでいる。

「磯野 員昌?」

なんと読むのだろう?

(いそのいんまさ?)

この名前、若い頃、戦国ゲームをプレイしたときに見た覚えがある。まだ戦国B●SARAというゲームが発売されたばかりだった。このゲームがきっかけで戦国ブームが始まったのでよく覚えている。

当時私はこういうゲームをやるのは初めてだった。ゲーム機を持っていないので友達の家に泊まり込んで遊んだ。私は三十代前半だった。

あの時ではないだろうか?この名前を見た覚えがある。BAS●RAだったか、他のゲームだったか判然としないが、たしかモブキャラの頭上にこの名前があった気がする。

「磯野 員昌?変わった名前だな。なんて読むんだろう?」

そう思ったので強く印象に残っていた。確かあれは、浅井の家臣ではなかったか?

その夢を見たあと、続けて戦国時代の夢を見た。

そこは大きな屋敷だった。庭に面した広間の外周に沿って廊下が渡らせてあり、壁となる戸板や襖なども開けてある。建物は屋根のついた渡り廊下で他の建物と繋がっている。

どこだろう?住居というよりは、なんだか役所にいるようなお堅いイメージがする。

日差しがあるようだが、広間は日陰になっていて風通しもよく気持ちがいい。冷たい板の間が涼しげだ。

広間に、五十代くらいの武士が座っている。きちんと侍烏帽子をかぶって正装した姿だ。庶民的ではあるが、どことなく穏やかで品のある人物に見える。

(あれ?私、この人どこかで会ったな……)

広間には他に、彼と向き合って他の武士が座っている。二人の会話が聞こえてきた。

品のある五十代の武士が、ボソボソと思い出話をしている。

「私の母は、生前、近江の光明寺によくお参りしていました…」

在りし日の母を思い出してか、彼は懐かしそうに遠い目をした。

そこで私は目が覚めた。


この人どこかで会った、知ってる人のような気がする。一見穏やかな人柄だが、内に燃えるものを宿した、そんな人物……

目が覚めて、まずTさんが見せた名前について検索した。磯野 員昌いそのかずまさと読むらしい。員昌は『かずまさ』だったか!そしてやはり浅井の家臣だったことがわかった。

しかしなぜ、職場のベテラン介護士(とはいえ私より若いw)であるTさんが私に『磯野 員昌』の名前を示すのか?そこがまったくわからない。

それから、もうひとつの夢で五十代の武士が言っていた『近江の光明寺』というのも、一応何かのキーワードだろうか?

いやしかし、あれは彼のお母さんの思い出話だから、特に意味はあるまいな。


その日、私はいつものように出勤したあと、昼休みになるのを待ちTさん本人に声をかけてみた。

「昨夜、あなたの夢を見たんだけど……」

Tさんは、私がこの手の話をすることにすっかり慣れていた。

というのも、以前私が彼の息子さんについて夢を見たことなどをすでに何度か話していたからだ。

その件は以下の記事に少し書いてある。そもそもTさんは、私が長年謎だと思っていた鈴鹿山中で織田軍を襲撃したゲリラの正体を、偶然ではあるが教えてくれた人でもある。

昨夜見た夢の話を説明すると、Tさんは首を傾げた。

「いそのかずまさ……?、さぁ、わからんなあ?」

やはりわからないか…、Tさんはあまり戦国時代に興味はない。前回、彼の息子さんが蒲生氏にまつわる前世を持っているという話をした時にも彼は首を傾げていた。

ただ後日、
「友達にな『蒲生』って話したら、オレその名前知ってるわ!って言うてたわ」
と報告してくれた。

彼自身は知らなくとも、もしかして彼の知り合いで心当たりがある人はいないか、私はそこに望みをかけているわけだ。

「うーん、オレにはわからん。」

「そうか、そうだよねぇ…」

「でもさぁ、行ってみたらええやん?」

「え?」

「その夢で、武士が『光明寺』って言うてたんやろ?ほな、三寅さん、その寺行ってみたらええやん?」

「えっ……」

「行っといでよ。三寅さん、きっとその寺行かなあかんねん。」

「そ、そうか……」

「うん、きっとそうや!」

Tさんの言葉に私は今までにない感覚を覚えた。

私は長年、戦国時代の夢をたくさん見てきたが、夢で見た場所に行くという経験はほとんどしたことがなかった。

祖母の介護で家を出られないことが多かったせいでもあるが、そもそも夢で見た場所に行きたいと思うことがほとんどなかった。

「そうか…、行ってみればいいんだ」

Tさんの言葉に背中を押され、私は夢で見た武士が言っていた、『近江の光明寺』について調べてみた。夢によれば戦国時代にはすでにあった寺だ。古い寺の名前などが載ってある本を調べねばならない。

図書館で地名辞典を当たってみたところ、光明寺という名に近い寺はあるものの、どうにもピンと来ない。これではないという気がする。

仕方なくネットで探してみたところ、とあるサイトがヒットした。

直感が降りてくる。
「これではないか?」

このサイトさんの記述が本当であれば、この寺の歴史は古く、最澄さんにもゆかりがあると書いてある。

「これだ!」

根拠はないが、なんとなくこの光明寺で間違いないという気がする。

地図で調べると、場所は『東物部(ひがしものべ)』というところにあるらしい。地図によれば『西物部』もあるらしい。

もしかしてこの辺りは物部氏に縁でもあるのだろうか…

次の休みの日、私はお母さんに無理言って祖母の介護をお願いし、一路近江国の光明寺を目指した。

私は滋賀県は好きである。若い頃、自分がいつの時代かの前世で比叡山の僧侶だったことを思い出した。私には複数の前世の記憶がある。その前世を調べるために何度か滋賀には遊びに行ったものだ。

琵琶湖が好きだ。前世で竹生島を訪れた記憶もある。

とはいえ、祖母の介護を始めてからは家にいなきゃいけないことが多く、もう、ずいぶん長いこと琵琶湖を見る機会もなくなっていた。

大阪から琵琶湖線に乗り、米原を超え長浜で乗り換え、着いた駅は『高月』と言った。

来る途中に見た『虎姫』という駅名がやけに可愛くて気になった。今度行ってみようかな…

光明寺への最寄駅は高月らしい。駅を降りた私は地図を頼りに光明寺を目指した。

わりと歩いた。駅から少し距離があった。

のどかな住宅地の中にその寺はあった。ひっそりとこじんまりした寂れた風情だ。

きっと古くは立派な寺であったろうが、現在は無住のお寺のように見えた。

観光向けではなく、地元の人達の手によって大切に守られた地元の人のためのお寺といった印象だ。

ご本尊は通常非公開のようだし、中も見れないとあって、それほど長く参拝もしていられない。参拝したらすぐ帰ることにした。

きた時と同じ高月駅に向かう。

うーむ…

そうして高月駅に戻った私は、そのまま電車に乗って帰宅したのであった。

うーーーむ…

「なんも感じなかった!」

わざわざ大阪から行ったのに、とくになんも感じるものがなかった。Tさんから行くように促された時には、何かすごい発見があるのではないか?そう思ってわくわくしたが、蓋を開けてみると特になんもなかった。

その後、Tさんからも特に「いそのかずまさ」について何か情報が入ってくることもなかった。

なかった。

なんもなかった。

一体なんだったんだ。なんでTさんは磯野員昌の名を示した?

夢で見た武士の言ってた『近江の光明寺』はなんだったんだ??


結局、よくわからないまま一年が過ぎた。

ある日ふと目についた書籍を購入した。タイトルに惹かれたのだ。

ここに磯野員昌についての項があった。気になったのは員昌が織田に仕えるようになったあと、津田信澄を養子にさせられたと書いてあるところだ。

信澄というと、かつて信長公から家督を奪おうとして殺された信長の弟のその息子だ。

この信澄については、以前私が夢で見た印象ではかなり怪しい人物だった。信長公に反抗心を抱きコソコソするところがあった。本能寺の変にもたぶん一枚噛んでる男だと思う。

員昌はそんなやつを養子にさせられたのか…、もしかして大変な目に遭ったのではないか?うーん…

やがて彼は突然織田家を逐電したと書かれてあった。なにか信長公と意見が合わなかったのだろうか?

私の記憶というか、なんとなくのイメージでは、員昌という男は正義感の強い男だったような気がする。曲がったことは嫌いだった。それゆえはっきり意見も言う男だった。

クソ真面目な員昌に、いったいなにがあったんだろう…?

本によるとその後の員昌は、

磯野氏の発祥地である伊香郡高月の磯野村(現伊香郡高月町)に蟄居し……

『信長と消えた家臣たち』より

と、書かれてある。

えっ!?
高月?

伊香郡高月町というのを地図で見てみる。伊香郡高月ではなく、現在では合併により『長浜市高月町』に変わったらしい。

『長浜市高月町』というのは、やはりちょうど去年光明寺のために行った高月駅の周辺のようだ。

なんだ、私は一年前、知らぬ間に磯野員昌の夢に導かれて、本当に磯野氏ゆかりの地を訪れていたらしい。

員昌が蟄居したという磯野氏発祥の磯野村がどこにあったのかまだわからないが、『長浜市高月町磯野』という場所があった。高月駅からは離れるが、光明寺には近い場所のようだ。

員昌はその地で1590年に没したらしい。ネット情報によれば帰農していたという。

さて……

うーん…

ではあの夢で見た、50代くらいの武士、「母は近江の光明寺によくお参りしていました」と、懐かしそうに話していた彼は?

彼こそがもしかして、Tさんが夢で示した磯野員昌だったのだろうか……

では、Tさんと員昌の関係は……?わからない…、なんなんだこれは…

こうして謎がまた深まったのだった。


🤨Tさんの前世については、甲賀衆の話に少し触れねばならない。そのお話はまた今度……


【あとで気づいたので追記】
この記事にちょっと触れた『役所みたいなイメージの建物』とは、たぶん城ですな!



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