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【不思議な実話】私の夢供養⓬

占い師いわく

私は子供の頃、右と左がわからなかった。左右盲というらしい。実は今でも左右をよく間違う。「右に曲がって!」と言われてとっさに左に曲がる。視力テストでは指先で左右を指すことにしている。口で言うと言い間違うからだ。

私には人よりできないことが多い。

人の話はよく聞き間違うし、見間違う。

好きなこと以外、まったく記憶に残らないので勉強もからきしダメだったし、そもそも人の話も聞いてない。

私は手先が器用で、絵を描いたりものを作ることの上達は早い子供だったが、他のことはからきしダメだった。そもそも興味がないことはまったくやらない。そこは我慢できない。

私は好きなことしかやらないし、それしかできない子供だった。

15歳の頃の、付けペン画

手先が器用だったので、細かい図を描くのが得意だった。細かければ細かいほど、熱中して長時間書き続けた。休憩や食事も忘れるほどの過集中だった。一度集中すると、疲れていても疲労を自覚できないので止まれなかった。

17歳の頃の油絵

油絵は15歳の時に初めて学校で描いたが、初めて描いたとき先生から、「初めてでこう塗れるのか、普通の子はこんなにすぐにはできないんだよ」と言われた。左右の区別もできない不器用な私は、人から「器用だね」と言われるのが何より嬉しかった。

大人になって絵の仕事をするようになったとき、人間関係に大きくつまずいた。これまで絵しかやってこなかったことが災いした。このとき、相談相手がいなかった当時22歳の私は、たまたま家にあった雑誌に掲載されていた占い師さんに相談した。

その時の占い師さんは、自分の心を知ることの大切さを教えてくれた。そして幼少期のトラウマが現在に影響することを。人と人はそれぞれ別の視点でものを見ているから、相手にもそれなりの言い分があるということを……

大変良いアドバイスを受けて三万五千円支払った。大満足だった。そして最後にこう勧められた。

「ペンネームの画数が悪いので変更した方がいいですよ。今のままではやがて築き上げた成果を全て、自らゼロに戻してしまいます」

当時、自分には才能がないことを自覚して悩んでいた私は、占い師のこの言葉に怖くなって新しいペンネームを名付けてもらうことにした。

後日、占い師から「新しいペンネーム候補がふたつ出来た」と連絡があった。ふたつの候補を見て驚いた。ひとつ目のペンネームはお香に由来する名前が書かれてあった。それはまぁいい。私はお香が好きなので。しかし問題は……

「千曲川…?」

もうひとつのペンネームは、苗字が”千曲川“と書かれてあった。下の名前は忘れた。苗字だけがあまりにも衝撃的で今でも忘れられない。

だって、見たこともない、どこにあるかも知らない川の名前だったからだ。

「なんで知らない川の名前を苗字に頂かねばならんのだ!?」といぶかしく思って占い師に電話したら、

「あなたのことを思い浮かべると、まず最初にお香のイメージが見えたんです。そして次に『千曲川』が見えてきて……」

と、ずいぶんいい加減なことを言う。お香のイメージはきっと、前回会った時に私からお香の匂いがしたためだろう。そして『千曲川』は、たぶん画数がちょうど良かったから採用したに違いない。

全然納得できないペンネームだったが、依頼は依頼。「ペンネームを名付けたのだから約束通りお金を払ってくれ」と言われ、ペンネームひとつに二万円、出来た名前はふたつなので計四万円支払った。

占い師が思いつきで名付けた千曲川に二万円……   ムダなお金を払った。

不安を煽られて、つい依頼してしまった自分の愚かさに腹が立った。


聞き間違い

えっ!?

いま、なんて…!?『さなだ』?……さなだって、あの真田か!?

『はなだ』じゃなかったの?私ずっと『はなだ』だとばかり…

マジか… 十年以上『はなだの城』を探したのに、そんなオチって…

2022年、極度の眼精疲労で4月半ばから一ヶ月以上も寝込んでいた私、朝夕の区別なく、かわるがわる枕元に現れる霊たち。私はあの世とこの世のはざま、夢うつつの世界を昼夜さまよっていた。

『戦国時代の双子の男女・布都ふつ布留ふる』が、長い沈黙を経てまた現れた。前に会ったのはもう十年以上も前のことだ。彼らの言った新たな事実に驚いて私は目を覚ました。

布都ふつ布留ふるが十年前に言ってた”はなだの城”って、はなだじゃなくて、”さなだの城”だったのか…」

まさかの、私の聞き間違いというオチ…

なんてことだ…

私はリアルでも人の言葉をよく聞き間違える。聴覚に異常はないのだが、聞いた音声を脳内で言語に変換するときに問題が起きやすい。

たとえば、母が「雨が止んだら”れんらく”しなきゃ!」と言っているのを聞いて、

「れんらく?どこに連絡するの?」と私。

「“連絡”?ちがうちがう、“せんたく”!雨が止んだら"洗濯"するの!」

「ああ、“洗濯”かぁ…」

といった具合である。この場合は五十音の『え段』と『あ段』の聞き間違いだ。

母の言葉が私の耳には「雨が止んだら”eんaく”しなきゃ!」と聞こえて、とっさに私は「れんらく」と連想したことになる。と同時に、「雨が止んだら」と事前に次の言葉を連想させる情報が入っていることも見落としている。

普通の人ならば、「eんaく」と聞き間違えたとしても、「雨が止んだら」という情報から連想できる単語のリストが頭にパッと浮かんで、「雨が止んだら洗濯する」と、即座に推測できるのだろう。

ところが私にはそれがなかなかできない。脳が聞こえた音声を言語として情報処理する部分になんらかの不具合があるのかもしれない。

とはいえ、幽霊の言葉まで聞き間違うとは一体どういうことなんだろう?

そもそも幽霊は音声ではなくテレパシーのような『念』で思いを伝えてくることが多い。『念』だから言語の違う外国人や、古語や方言の強い昔の人間とでも自由な会話が成り立つ。

幽霊によっては、『念』で伝えにくいメッセージを文字で伝えてくることもある。この連載記事の冒頭には、夢に『根津』という文字が出てきた話を書いた。幽霊は『念』以外に文字も使う。




他に絵を使うこともあるし、リアルな映像や地図を見せてくることもある。

そしてどうやら音声もときには使うらしい。おかげで聞き間違いをしてしまった。

『はなだの城』ではない。

正しくは『さなだの城』だったのだ。


真田の城

どういうことだろう…?

極度の眼精疲労による激しい頭痛とめまい、嘔吐の症状に苦しむ私はまだ家で療養中だった。この日もあいもかわらず、私は布団の上でぐったりと横たわり動けない。ただ頭の中で考えだけをめぐらせる。

(どういうことだろう?)

  • 十年前、夢に出てきた戦国時代の謎の双子の男女・布都ふつ布留ふる

  • 2019年6月、夢に『根津』という文字が浮かび、「根津神社に行き、記憶力の祈願をせよ」という声を聞いた。

  • 夢で言われた通り、東京の根津神社に参拝した私は、その夜ホテルで『石上いそのかみ一族』と名乗る武家の老いた貴婦人の亡霊を見た。

  • 貴婦人の亡霊は、石上一族は武田信玄に滅ぼされたと、武田への尽きぬ恨みを語った。

  • 貴婦人の亡霊は、自分たちは遠く奈良・石上神宮の神官の一族を祖先と仰いでいると言った。石上神宮といえば物部氏の神社。つまり私の夢に現れた彼ら一族は物部氏ということになる。

  • 石上一族の亡霊の謎を追い、私が初めて石上神宮に参拝したときに、十年前に夢に出てきた謎の双子・布都と布留の名前が、石上神宮の宝刀に由来することがわかった。

これらが今までわかったことだったが、ここにもうひとつ情報が加わったことになる。

かつて布都と布留は夢の中で、幼少の頃「はなだの城で籠城戦を経験したことがある」と私に語った。『はなだ』は『さなだ』の聞き間違いであることがわかったので、

  • つまり布都と布留は「幼少時代、真田の城で過ごしたことがある」ということになる。

「真田……」

ずいぶん有名な武家の苗字じゃないか。しかも武田だよな……?昔、ゲームで覚えた。真田幸村が武田信玄を「おやかたさまぁぁぁあああ!!」と呼んでいた。2005年の頃だ。あの頃、友達の家で初めてそういうゲームをプレイしたんだ。

当時の私は、不思議な戦国時代の夢を見るようになったものの、夢に出てくるものが何なのかさっぱりわからなくて困っていた。竹林で二羽の雀が遊んでる図の描かれた鎧の夢を見て、友達から「それは伊達の家紋だよ」と言われても全然意味がわからなかったが、戦国ゲームをプレイしてようやく理解できた。

大河ドラマなどは苦手で観ていられないのだが、ゲームというのはわりと楽しかった。なにより本当の歴史とは全然違うのが良かった。当時気に入っていたのは戦国BA◯ARAの真田幸村だった。理由は特にない。キャラクターの性格や造形が、底抜けに明るく可愛かったからだ。真田が好きとか、そういう思い入れは全くなかった。

その後、戦国BA◯ARA2が発売された直後プレイして以降、次第に戦国ゲームはやらなくなった。だいたい私が31歳から33歳くらいのことだ。

まだあの頃は霊感も弱く、戦国時代の夢を見ることについても自分自身半信半疑で捉えていた。戦国時代の悪夢が壮絶になっていったのは37、8歳の頃。その頃になると、織田信長公が武田信玄に騙されて罠にかけられた夢を見た。武田信玄に内通した織田の古参家臣によって、織田と浅井が対立するよう仕掛けられた夢を見て、心底はらわたが煮えくりかえる思いがした。

武田信玄のせいで、どれほどやらなくてもいい戦争をやらされたか。前世の自分が武田をどれほど恨み憎悪したか……

戦国ゲームの真田幸村が「おやかたさまぁぁぁ!」と叫んでるのを見て、「アハハ、可愛いなぁ!」と喜んでいた若い頃の自分に背後から蹴りを入れてやりたくなる。しかし、まだ若かった頃の私には、真田にも武田にも特に偏見はなかったし、そもそも彼らが何をした人なのかよくわかっていなかったのだ。

今でも真田幸村やその一族がどんな歴史を残したのか私はほとんど知らない。知らないが、布都と布留が「真田の城」と言ったことで、ようやくおぼろげなイメージが浮かんできた。

なんとなく、もやもやと怖い感じがしてくる。真田はやはり敵なんだろうか…?

そして、布都と布留は真田とどう関係があるんだ?

あの双子は、私をどこに導こうとしているんだろう…

甲斐じゃない

(真田の城って長野県にあるのかな?長野といえば、松本城?)

「ううう~~ん!」無理矢理身体を起こす。まだ車酔いのような気持ち悪さが続いている。目を開けるのも辛いが気になる。スマホを手に取って検索してみる。

「あら…?松本城全然ちがうやん!でも真田って長野県の武将だよなぁ?」

「えーーーっと…」ポチポチと検索ワードを入れる。

出てきた。

「上田城…、ああ、聞いたことがある」

真田というと有名なのは『上田城』らしい。

「あれ?この川は…」

地図を見ると上田城のそばに川が流れている。天然の堀だろうが、もしかしてこの川って…… 地図を拡大すると文字が出てきた。


『千曲川』

(えっ、千曲川…… これが… )

22歳の頃、占い師が言ってた「あなたのことを思い浮かべると、千曲川が見える」というのは、もしかして、嘘じゃなかったのか……

にわかに点と点が繋がった。私と千曲川とを結ぶかすかな線が見えてきた。

「いや、待てよ!?そもそもこれって、上田城って、長野県……」

「信州、信濃国……」

私、ずっと前から自分で言ってたよな?

『わたし、信濃だけには行きたくないなぁ。もしわたしが信濃に行ったら、織田に滅ぼされた武田の家臣の怨霊がそこで待ってる気がするんだもんなぁ?』って。

「違うよ、武田は甲斐国・山梨県だよ!」

何度間違いを指摘されても覚えられなかった。武田は信濃国だと思ってた。信濃国には、織田軍を恨む武田の武将たちの霊がいる。

あれはこのことだったのかもしれない。

「甲斐じゃなかったんだ。信濃なんだ。」

おそらく布都と布留は、私を信濃国に誘っている。

これは、敵の罠ではないのか……?



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