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【不思議な実話】私の夢供養❻

遠き神々

私は二十歳になるまで、神社仏閣というものにお参りしたことがなかった。

晴れ着姿で賑わう昭和の賑やかな初詣の様子を、幼い私は不思議なものを見るようにテレビの画面から覗いていた。私はいわゆるカルト宗教の二世である。

母親は私が生まれたと同時にカルト宗教に入信し、私が二十歳になる頃までその宗教活動をしていた。そのため、私はカルト以外の宗教施設に行くことをかたく禁じられて育った。

修学旅行で伊勢神宮に参拝したときも、同級生たちがお参りしている間、私は離れた場所でうつむいて待っていた。母にそう教えられたからだ。

「神社やお寺はすごく怖いところやから、行くだけで地獄に堕ちてしまう。」

母は幼い私と弟に恐怖心を植え付けた。

小学生の頃、伯父さんの車で従姉妹たちと親戚のお寺に行ったことがある。

その時も私と弟だけは本堂には上がらず、片隅のお地蔵さんのそばで待っていた。お地蔵さんの赤い風車が回るのをじっと見ていた記憶が鮮明に残っている。

私は母が信仰するカルト以外の宗教のことをほとんど知らないままに育った。母の心にある神仏の世界には多様性がなかった。しかし祖母はもっとおおらかだった。母のお母さんである。

家から歩いて2分のところに母方の祖父母は住んでいた。暇になるとしょっちゅう遊びに行ったものだ。すると、だいたいいつも祖母が仏間にいて、パーマ頭の青い鬼にうやうやしく手を合わせていた。

母はそんな祖母をよく思っていないようだったが、私はパーマ頭の青い鬼に祈る祖母の姿が可愛くて好きだった。祖母は穏やかな人だったが風貌は鬼に似ていた。パーマの鬼がパーマの鬼神に祈る様はさながら絵本の世界のようだった。

二十歳になった私は、祖母に連れられて初めて親戚のお寺に行った。そこは叔母の嫁ぎ先である。初めてお堂にも上がらせてもらった。大きな青い鬼の像に初めて対面した。鬼の名は『不動明王』というのだそうだ。

祖母は二十歳の私を連れてあちこちの神社仏閣に行った。二人で四国八十八ヶ所ドライブツアーにも参加した。

私にとってそれらはようやくこの手で触れることの叶った、生々しい日本文化だった。

今まで見てはいけないと禁じられてきた伝統宗教の世界はとても美しかった。

参拝客で賑わう参道、縁日の屋台、楽しそうな晴れ着姿の人々、なにもかもが目新しかった。

特に神社という所は不思議な感じがした。お辞儀してパンパンと拍手するのが気持ちが良い。ピーーンと張り詰めた空気に澄み渡る拍手の音。

(なんで神殿に鏡が飾ってあるんだろう?私の顔が映る。自分の心を見ろってことかな?)

寺のように像が飾られてるわけではないが、どうやら神社には万葉仮名のような読めない漢字の神様が色々祀られているらしい。八百万も神々がいるんだって?ずいぶん多いなぁ…

(──でもどうせ、みんな嘘なんだ。)

私は知っている。宗教なんて誰かが作った架空の神話、架空の世界の物語。

カルト宗教の教育を生まれながらに受けてきた私には、宗教なんてすべて狂人の妄想の産物としか思えなかった。長年カルト宗教の狭い価値観に縛られてきた私は、すべての宗教を軽蔑する大人になっていた。

そんな私のそばにはいつも祖母がいた。

祖母は私と神仏を引き合わせ、最初の縁を結び、どんなに離れてもまた戻るようかたく結びつけた。

こうして私と神仏との長年にわたる腐れ縁は始まったのである。

神の名は

石上神宮のご祭神は三神であるらしい。

布都御魂大神ふつのみたまのおおかみ

神武東征の折、熊野で手こずっていた神武に、建御雷神たけみかづち高倉下たかくらじを介して授けたという霊剣だそうだ。神武はこの剣に助けられ大和を無事平定したと伝わる。

布留御魂大神ふるのみたまのおおかみ

饒速日命にぎはやひのみことが天降りする際に、天津神あまつかみから授けられたという十種神宝とくさのかんだからの霊威をたたえて布留御魂大神ふるのみたまのおおかみという。石上神宮ではこの十種神宝を用いて鎮魂祭みたまふりのみまつりを行うそうだ。

布都斯魂大神ふつしみたまのおおかみ

素戔嗚尊すさのおのみこと八岐大蛇やまたのおろちを退治したと伝わる霊剣・・・・とのこと。

うーーーん・・・・、なんにも知らずに来てしまったが、そうか。布留や布都というのは、古代神話上では超メジャーな名だったのかもしれない。霊剣や神宝の名前だということだから、ゲームの中に登場する格好いいレアアイテムにもなってたりするんだろう。つまり子供でも知ってる名かもしれない。

それを知らぬとはちょっと自分が恥ずかしいが、まぁいい。自分の無知には慣れている。無知をわかった上であえて勉強しないことにしていることも、覚悟の上だ。

しかしそもそもこの神社があるこの場所の名こそ、『布留』といい、さきほど見た灯籠に書かれた『布留社』とは石上神宮の別名であるというからビックリだ。

そうか・・・。

夢で見た可憐な女性、布留さんのことを思い出す。鎮魂の祈りを捧げる神宝の名を持つ少女・・・・

(布留さん。あなたは上野長野氏の子だったんだなぁ・・・)

(そして布都さん。あなたは剣の名に恥じない強い男になろうと努力したことだろう・・・)

私がこの布留の地に来たのは、彼ら双子の導きによるものだった。

神々の背中

それにしても、私は心底ビビっていた。

(なんだかここは普通じゃない神社だ。とんでもなく怖いところだ。。。)

恐怖ではない。『畏怖』である。

昨今では畏怖なきフワッとしたキラキラ系の信仰が流行っているが、もともとは畏怖こそが日本の信仰の要だったのではないか?

よく知りもしないのにそんな気がしてくる。神々はおそろしくて、慈悲深くて、全くなにを考えておられるのか底が知れないと感じる。

いやそれにしても、ふてぶてしい性格の私にこれほどの畏怖を感じさせる物部氏の神とは一体なんなのだろう?さっきネットで検索したらば、物部氏というのは大和朝廷において軍事・刑獄を司った一族だったようだ。

「軍事かぁ・・・、道理で怖いはずだわ」ため息が出る。

立派な社殿を前にして、すっかり怖気付いてしまった。まるでイカついホンモノのお兄さん達の前に不用意に立ってしまったチンピラになったような気持ちである。(どういう表現だ)

「おいそこの小僧、ここをどこだと思ってる?舐めてんのか?」

と凄まれて、「ハイッ、すっ、すみません!実はちょっと舐めてましたっ」みたいなふざけた態度の自分を思い浮かべる。(どういう想像なんだ…)

(ああ、やだなぁ。。。しょうがない。。。とりあえず、参拝しなきゃ。。。)

おずおずと拝殿に向かう。もちろん私のことは祈らない。東京旅行で現れたいそのかみの亡霊について報告し、彼らの冥福を祈る。

この畏怖すべき神々の前で自分のことを願うなんて畏れ多くてできない。こういう時は、誰かの幸せをのみ祈るのだ。

拝殿に礼拝後、いくつかの摂社にも手を合わせる。

(はぁ…、ひととおり参拝は済ませたけど、これからどうしよっかな…)

心が凹んでいる。境内をとぼとぼ歩いて鶏がたくさんいる一角に足を止める。

(鳥は可愛いな…)

尾の長い美しい鶏がササっと私を避けて歩いて行く・・・

私はしばらくの間、鶏たちの間をウロウロしながら記念撮影をした。鳥はせわしなく動き回ってなかなか良いポーズが撮れない。たくさん撮って、あとでいい写真だけ残そう。

神の威厳に圧されて凹んだ気持ちがみるみる回復する。可愛い鶏のみなさん。ありがとう、君たちのおかげでちょっと充電できたようだ・・・・

神の飴と鞭を体験し、私はまたきた道を戻った。家に帰ろう。いそのかみの一族のことは石上神宮に来れば力を貸していただけるかと思ったが、予想より厳しそうだ。

今日は神の背中を見た。力は貸してもらえそうにない。しかし、ヒントはもらった。十年前に夢で見た布都と布留は上野長野氏の子供たちだ。そして少なからず私と彼らにはなんらかの縁がある。

ここから先の答えを探すには上野国の城跡に行くしかなさそうだ。かつて布都と布留が夢で言っていた『はなだの城』も、おそらくその辺りを探せば見つかるに違いない。

しかし群馬まではちょっと遠い。一日で城跡や関連史跡を巡るのは無理だから最低でも二泊か・・・。こないだ三連休もらったばかりだから、休みづらいな。

それに…

それに、武田に滅ぼされた長野氏の城跡に行けば、そこにはおそらく武田の武者たちの霊もいるんじゃなかろうか…

それは…

ちょっと嫌だなぁ。

どうしよっかな。まぁ、とりあえずあとで考えることにしようか…

そんなことを考え始めたのも束の間のことだった。異変はしばらくのちに現れた。東京旅行から数えてちょうどひと月後のことだ。

「足が痛い」

あの時、ディズニーランドで転んで痛めた箇所が、あとになって異常を示し始めた。



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