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歳差運動3-⑨

「あのー…私の長い人生経験と教師経験から、道徳について思ったことを言わせてもらえば…道徳教育のとどのつまりは人はひとりでは生きられない、ということを子どもなりに、その年齢なりに知らしめることだと思っています…」

自分の指先を見ながら恥ずかしさを抑えていた。それは、偉そうなことを言おうとしている負い目を感じているからだろう。

「学校では基本的生活習慣として、たとえば人にあいさつをしましょうとか、約束は守りましょうなどと教えていますが…そこには必ず相手がいます……ひとりで遊んでいるより友だちと遊んだ方が楽しいし、仕事なんかもみんなでやった方が大きな仕事ができますし……逆に、みんなが並んでいるところを列に割り込んだりすれば非難されるわけです。結局、他人とどう関わっていけばいいのかを考えるのが道徳の時間なのではないかと思います……それが実践と結びつくかどうかは二の次というか、学校生活はもちろん家庭生活、社会生活で実践されるというのは別の話かと…」

少し余裕が出てきてみんなの表情を盗み見た。神妙に聞いているようでもあり、頷いているようでもあった。

「ですから…子どもたちが普段、より多くの人たちと関わっているかどうかが道徳の授業の前提条件になる気がします……それなくしては、資料にある場面について道徳的価値に基づく話はできないかと思います。子どもは経験がたくさんあるわけではないので、想像で考えることもあると思いますが、人と多く関わっていればその経験に基づいて意見を言えると思います……」

興奮気味になってきているのを感じた。  それは、もしかしたら、俺の生き方の集大成を話しているのかもしれないと思ったからだ。

「…それで、学校は集団生活をしている場所だから、私たちは子どもがより多くの友だち、大人も含め関われるようにしなければならない。集団生活は家庭教育ではできないので、子どもが多くの人と関わりを持つように仕向けるのは学校の務め、使命だと思います…」

シナリオを事前に考えていたわけではないのにすらすらと話すことができた。背負っていた重い荷物を降ろしたような、喉につかえていた物が取れたような、何とも言えない解放感を抱いた。

だが、話をしながら途中で気づいたことがあった。

~続く