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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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#言葉

「病気についての常識」で、改めて確認してみたいこと。

 なるべく外出しないようにしているけれど、昨日は、出かけた。  帰りの電車は、人がぴったりくっつくほどの距離だった。午後8時くらいになっているのに、乗れないくらい混んでいたから、もう1台待って、それでも、けっこう混んでいた。列の一番前で待っていたから、座れた。隣の男性が少しせきをする。同じ車両の遠くの方で、せきをする声が、複数聞こえる。  この前は、これまでだったら、駅の男子トイレは手を洗わない人も結構いたのに、3カ所ある洗面台の液体せっけんが全部、空だった。スーパーのアル

「一人で抱えこまないで」は、いつも適切な言葉なのだろうか?

 自分が仕事もやめて介護に専念している頃に、一時期、よく聞いた言葉があった。  「がんばらない介護をすることが大事」 がんばらない介護 それは、基本的には正しいし、できたら目標としたいことではあったのだけど、その言葉を目にするたびに、心の中でつぶやいていた。  私も、できたら夜もよく眠れないようながんばり方をしたくはない。だけど、自分しか介護をする人がいないのであれば、どうしてもがんばりすぎくらいでないと、介護を続けること自体が無理だ。  がんばらない介護。とてもいい

「人生経験」という言葉について、改めて考える。

 それほど豊富な知識や経験があるわけではないけれど、例えば、女性が友達の彼氏を紹介されて、どうほめていいのか分からないとき、「優しそうな人ね」と言うらしい。  それを知ったときには、かなり納得もしたし、自分のこととして思えて、そういえば、「優しそう」みたいなことを言われた記憶が蘇り、他の言われ方もしていないことも思い出し、ちょっと落ち込んだ。 「人生経験」という言葉 自分が若いとき、例えば自分よりもかなり年上の世代の人と話をしたとき、圧倒されるほどの人もいた。それは、ごく

広告の意味と意図。

 ハックする。という言葉は、当たり前に使われるようになっているけれど、なんだか、今も違和感があるのは、個人的には、なんとなく横暴な気配を感じているせいだと思う。  だから、「街をハックする」という言葉があると、それだけで、ちょっと警戒してしまう癖がある。 ハッカー 確か、最初に耳にすることが多かったのは、ハッキングや、ハッカーという言葉だった。  それは、コンピュータの、自分にとっては高度で縁遠い「操作」であって、映画やドラマなどで、素早くタイピングをして、何かをして「

「だまされる方が悪い」と、どうしていまだに言われているのだろう。

 録画したドラマを見ていた。  その中で、気になる言葉があった。  詐欺事件がテーマになっていて、被害者に対して、「だまされる方が悪い」と言われていたことだ。それは、別のドラマでも聞くようなセリフだったから、意外と広く言われているのかもしれない。  そして、ドラマは、現実を反映して制作されているのだろうから、まだ、こんなことが言われているのだと思うと、ちょっとショックだった。  悪いのは、だます人だ。  だから、詐欺罪という犯罪として裁かれ、刑務所に入ったりもするの

「食事」と、「罪悪感」もしくは「背徳」について。

 いつからかよく覚えていないのだけど、特に夜中に、おいしいとしても、カロリーが高い食事をするときに、「罪悪感」などといった言葉を使うようになった。 背徳感 二つの表現がどう違っているかはよく分からなかったのだけど、カロリーが高いものを食べるときに「罪悪感」だけではなく「背徳」という表現も使うようになっている。  そういえば、いつの間にか、特に高カロリーの食べ物と「罪悪感」を結びつけて使っていることに、それほどの抵抗感がなくなっているのは、それだけ日常でも多用されているせい

「ジャーン」は、そろそろ「更新」しても、いいのではないだろうか?

 ドラマを見ていて、登場人物が、何かを取り出すとき、人に見せるとき、今も発する言葉がある。  ジャーン。  もしくは、ジャジャーン。  そこに手の動きや表情などもセットで表現されるのだけど、そういえば、このオノマトペは、現実の世界でも、かなり広い世代で使われているし、長い時間、耳にしていることに気がついた。  そして、ふと、そろそろ、こういう場面で、「ジャーン」にかわる、次の言葉は出てこないのだろうか、と思った。 オノマトペ「ジャーン」というのは、オノマトペだという

現代の「未来のリーダー」って、どんな人だろう?

 学習塾の看板には、今も「未来のリーダー」という言葉があるし、出世という表現は現役だし、出世観音、というのは、昔からあったけれど、「出世」というのは、元々は、どんなことだったのだろう。  昔ほど、誰もが知る存在ではなくなったかもしれないが、金太郎伝説の金太郎は、(と書いて、最近はケイタイのCMで出ているから、再び知名度が上がったかもしれない)山に住んで、熊を相手に相撲をとっていた、どこの誰だかわからないような男子だったのが、最後は、武士になるという話で、それは「出世」をした

「トリハダ」と「腹落ち」と「わかりみ」を、多く目にするようになった理由を考える。

 いつの頃からか、覚えていないけれど、それなりに近年の現象だと思っているのだけど、「トリハダ」という表現を多く目にするようになった気がする。 「トリハダ」 もちろん「鳥肌が立つ」という体に起こることも、その言葉もあったけれど、どちらかといえば、気持ち悪い、もしくは単純に寒い、という時に使われてきたのが、近年になって、少し使い方が変わってきたのが、「感動する」や「驚く」などにも多用されるようになったことだ。  そして、場合によっては、自分の感動を表すために「ほら」といって、

「悪い結果」は、存在できなくなっているのだろうか。

 いつの頃からか、スポーツプレーヤー達は「結果」は出すもので、しかも、「結果」=「いい結果」だけ、と思っているようだ。  試合で勝った後、活躍したプレーヤーがインタビューされると、少し高揚した様子で、こうしたコメントをする。 「結果を出せて、よかったです」。  特定の誰かとか、ある種目だけではなく、いつの間にか、こうした言葉使いが当たり前のようになった。 「結果」の意味 今年の1月に購入した辞書で「結果」をひく。  他にも、すでに、こうした意味も「運用」としてあげら

「迷惑をかけちゃいけない」と、「迷惑をかけたくない」。その二つの言葉の違いについて、考える。(後編)。

「迷惑をかけちゃいけない」と、「迷惑をかけたくない」。どちらも、多く聞かれる言葉だけれど、実は、意味合いがかなり違うのではないか、と思っている。  その上で、「迷惑をかけちゃいけない」という言葉を使いすぎるのは、特に教育的効果として、好ましくない場合もある、と言われるようになってきた。  その一方で、「迷惑をかけたくない」という言葉は、高齢者が使うときは、特に意味が重いし、決して軽んじられることではないとしても、それが、未来の明るさにつながるわけでもないと思う。  では

「迷惑をかけちゃいけない」と、「迷惑をかけたくない」。その二つの言葉の違いを、考える。(前編)。

 「迷惑をかけちゃいけない」ということは、昭和の時代から、あちこちで言われていたけれど、時代が進めば「困ったときはお互いさま」の方が盛り返して、もう少しバランスが取れるかと思っていたら、21世紀になって「迷惑をかけちゃいけない」が強くなりすぎているのが、やはり、不自然だと思う。 「迷惑をかけちゃいけない」を、内面化すると「迷惑をかけたくない」になるはずだけど、その二つの言葉と、そこに込められた意味や思いは、実はかなり違うのではないか、と思うようになった。 「迷惑をかけちゃ

「頭が良さそうに見せること」は、ほぼ100%「失敗」するような気がする。

 誰でも自分のことは「まとも」だと思っているし、少なくとも「ばか」だとは思っていない。もちろん、私自身も例外ではない。  クルマに同乗させてもらった時に、どれだけ運転が粗い、と思ったとしても、その運転する本人が、自分が「運転が下手だ」と思っていることは稀で、なぜか「運転がうまい」と思っている人が、体感的には9割を超えているような気がする。  それは、ある意味では健全なことで、自分を否定してしまっては、とても生きづらくなる。 「頭が良さそうに見せたい」と思わなかった  こ

「世界を変える」ということ。

 こんな言葉があった。  実際に戦争が起こってしまっていて、それを元にした言葉だから、ある種の不謹慎さも問われる可能性はあるけれど、でも、とても重要なことを示しているように思った。 世界史に影響を与える  これまで、会田誠の言う通り、さまざまな大きな出来事のたびに、表現者と言われる人たちが、何もできない、といったことや、普段の生活の中でも影響力の少なさを、ある種の嘆きと共に語られてきたような記憶がある。  確かにその時は、聞き手としても、そうかもしれないし、そのことは、