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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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#高齢者

「病気についての常識」で、改めて確認してみたいこと。

 なるべく外出しないようにしているけれど、昨日は、出かけた。  帰りの電車は、人がぴったりくっつくほどの距離だった。午後8時くらいになっているのに、乗れないくらい混んでいたから、もう1台待って、それでも、けっこう混んでいた。列の一番前で待っていたから、座れた。隣の男性が少しせきをする。同じ車両の遠くの方で、せきをする声が、複数聞こえる。  この前は、これまでだったら、駅の男子トイレは手を洗わない人も結構いたのに、3カ所ある洗面台の液体せっけんが全部、空だった。スーパーのアル

「5類移行後の世界」に、望みたいこと。

 もうすぐ、新型コロナウイルスは、季節性インフルエンザと同じように、ゴールデンウィーク明けの2023年5月8日から、「5類」に移行される。 5月8日からの変化 この変化に戸惑いはあるし、今後、感染者数が増えるのは予測されるものの、とにかく、コロナ以前の日常に戻したい、という意志を感じるし、それは、多くの人の願いでもあるのだろうと思う。  この状況では、私のように体が弱く、気管支炎を持つ家族がいる人間の「5類移行後の世界」へのささやかな願いなど、かき消されてしまうように感じ

「目的のためには手段を選ばない」は、間違っている。と思った出来事。

 選挙になるたびに、投票率は話題になる。  自分の投票した地区のことも気になった。  やはり、投票する方が少数派になっている。 「若者よ、選挙に行くな」 そうすると、SNSなどで、投票を呼びかける人も多くなる。  それが、どの程度、有効なのか、あまり詳細に検討もされていないのだけど、今回は、自分のような情報に弱めの人間にも、届いてきた動画の話題があった。  それは、たかまつなな氏が、3年前に公開したyoutubeだった。 「若者よ、選挙に行くな」という動画で、3年

「感染拡大」を防ぎながら、「経済を動かす努力」を、これからも続けるべき理由。

 実質的に、感染者数を減らすというよりは、とにかくコロナ禍は終わった、という印象を強める方向へ、政策が進んでいるように思う。 現実逃避 例えば、2023年5月に新型コロナウイルスの分類を「5類」に移行後は、感染死者数の発表は、最長で5ヶ月後になる、という報道も出ていた。  もちろん、現場である病院の負担を減らすことは大事だと思うのだけど、専門家の指摘のように、そんな変更があったら、現時点での感染状況が、実質的には「見えなくなる」。  こうした動きは、感染を少しでも減らし

「マスク」のことよりも、「丁寧に説明」してほしいこと。

 新型コロナウイルスは、その扱い方について、5月に「2類」から「5類」に移行するだけではなくて、その名称も変わるらしい。 「コロナ2019」という名前にすると、今は2023年だから、まだ感染が収束していないのに、かなり過去のものという印象にはなる。 「ノーマスク」への誘導 今、「コロナ」に関して、もっとも多く議論されているのは、「マスク」のことのように思える。それも、「個人の判断」と表現しながら、暗に、はずすことへの誘導がされているような気がする。  これは、2023年

社会が提供すべきなのは、「マスクのない卒業式」だったのだろうか?

 実際のコロナ感染状況と感染死者数を見れば、決して収束しているとは言えないが、その事実と、社会の空気は必ずしも一致はしていない。  これは、2023年の1月。コロナ感染死者数が過去最多を更新していた頃の記事なのだけど、でも、そのときでも、健康で老いていない人たちにとっては、気持ちとしては、もう「コロナ明け」になっている感触があった。というよりも、もうコロナは終わっているのに、といったいら立ちのようなものまで漂っているようだった。  この記事↑の中で挙げられている「医療機関

「コロナ感染」で亡くなるのは、圧倒的に「高齢者」だから、対策が急がれないのだろうか?(後編)

 新型コロナウイルスは「5類移行」が決まり、マスクを外す・外さない議論は活発にされているが、感染死者数を減少させる対策については、ほとんど聞いたことがない。  それは、亡くなる方が「高齢者」が圧倒的だからなのだろうか、という疑問と、もしかしたら、社会の中の「高齢者」への憎悪が高くなっているのだろうか、といったことまで考えたのが(前編)だった。 特殊詐欺と高齢者 最初は「オレオレ詐欺」と言われ、その後、犯罪として、さまざまな手法が開発されて、今は「特殊詐欺」と呼ばれるように

「コロナ感染」で亡くなるのは、圧倒的に「高齢者」だから、対策が急がれないのだろうか?(前編)

 新型コロナウイルスに関しては、まだ決定的な治療も、十分な医療体制も整ったというニュースも聞いていないのに、すでに、季節性インフルエンザと同様の「5類」に移行することになっている。  その「正常化」の中には、感染死者数が、増え続けていることに対して、それを減少させるという項目は含まれているのだろうか。  マスクを外す、外さない、の議論はよく聞いた記憶があるが、死者数を増やさないようにするという「制度設計」に関しては、私が情報弱者のせいなのか、ほとんど聞こえてこない。 高

これからも、「マスクの着用」を続けようと思っている理由。

 2023年5月から、新型コロナウイルスが「5類移行」になるのは決定したそうなのだけど、その変更項目の中で、どうやら誰もが知っていて、今、最も議論になっているのが、マスクに関することのようだ。  これまでも、法的な強制があったわけでもなく、基本的には「個人の判断」だったはずなのに、まるで強制があったかのような表現にするのは、もやもやする。 マスクを着用する理由 これからは、「個人の判断」に委ねられるそうだけど、私自身の方針は決まっている。  屋外などで周囲に誰もいなかっ

この社会は、コロナ感染死者数を、本気で減らす対策をとる気はないのだろうか?

 コロナウイルス感染によって、亡くなった人は、6万人を超えた。  昨年12月1日に5万人を超えたばかりで、1カ月余りで1万人増えた。  この事実は、災害レベルで死亡者が急増していると示しているはずなのに、話題になることが少なくなったし、何より、その話題への注目の度合いが低くなっているように感じる。 「5類移行」 それよりも、対策緩和の方が急がれているようだ。  岸田首相がコロナ感染した時に、素早く治療を受けられたように、日本に住む誰もが、いつでも、そうした対応を受けら

「ウイズコロナ」とは、どんな「社会」のことなのか?を、改めて考える。

 新型コロナウイルスへの警戒心が、かなり薄れてきたような気がする。  それは、これだけ感染者が増えると、身近な人や、自分自身が感染することもあって、場合によっては、あまり症状が出ないことさえあるから、実感として怖さが薄れてきた、ということも大きいと思う。  コロナ感染した時の「療養期間」も短縮された。  社会は、だんだん「ウイズコロナ」の時代に移ってきているようだ。  だけど、それは考え過ぎかもしれないけれど、感染しても気にしない、という方向へ進んでいるだけ、のように感

「迷惑をかけちゃいけない」と、「迷惑をかけたくない」。その二つの言葉の違いについて、考える。(後編)。

「迷惑をかけちゃいけない」と、「迷惑をかけたくない」。どちらも、多く聞かれる言葉だけれど、実は、意味合いがかなり違うのではないか、と思っている。  その上で、「迷惑をかけちゃいけない」という言葉を使いすぎるのは、特に教育的効果として、好ましくない場合もある、と言われるようになってきた。  その一方で、「迷惑をかけたくない」という言葉は、高齢者が使うときは、特に意味が重いし、決して軽んじられることではないとしても、それが、未来の明るさにつながるわけでもないと思う。  では

もう一度、「命を守ること」を、本気で考えてほしい、と思います。

 コロナ禍も3年目になり、そろそろ対策の緩和が、表立って話題になるようになった。  日常的なことに関して、特にマスク着用に関しては、議論されているようだ。  もう少し広く言えば、「水際対策」の緩和も進むようだ。  社会の維持を考えたら、当然のことだと思う。 死者数3万人 今年に入ってオミクロン株の流行による感染者急増に伴い、高齢者を中心に死者数は1万1千人余り増えている。(2022年5月13日) その一方で新型コロナウイルス感染による死者数は増えていき、特に今年

人類は、高齢者になることに慣れてないし、これだけ多くの高齢者が社会にいることにも、まだ思った以上に、慣れていないと思う。

 誰もが、高齢者になることには慣れているわけがない。  そのことを明確に書いたのが、自身も高齢者になった時の橋本治だった。 老いのアマチュア 誰もが「自分の老い」の前ではアマチュアなのです。  人間としての様々な機能が衰えていくという「老い」は、生きていれば避けられないことだけど、特に自分の「老い」は認めたくない。鏡を見ても、「老い」の兆候よりも、できたら「若い」というよりは、これまでと変わらない部分を見たくなる。  だから、慣れていないを超えて、「老い」を恐れている