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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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2021年4月の記事一覧

「シブヤ大学」が、思った以上に刺激的で楽しかった話。

 私は、情報弱者に近いのだけど、それでも動画で、情報を得ることが、以前より多くなった。  本当だったら、同じ空間にいて、話を聞くことで、内容だけでなく、その人の気配も含めて伝わってくる要素が多く、そのことで、内容の細かいニュアンスや、その時の場所の居心地もあるから、より記憶に残る。  結果として、学ぶ総量のようなものが、圧倒的に多くなるので、やっぱり、できたら、直接会った方がいい。  でも、今のコロナ禍では、人と会うことが、とんでもなく難しく、ぜいたくなことになった。

『「ジャーナリズム信頼回復」について、元・新聞読者として、考える」。(後編)

 これまで2回にわたって、「ジャーナリズム信頼回復」について、考えてきた。  そして、3回目は、投稿が遅れ、申し訳なかったのですが、これからのことも含めて、考えていきたいと思います。 「ジャーナリズム信頼回復」のために もう一度、「ジャーナリズム信頼回復」について、振り返ってみる。  具体的には、市民の知る権利の保障の一環として開かれている記者会見など、公の場で責任ある発言をするよう求め、公文書の保存と公開の徹底化を図るよう要請する。市民やフリーランス記者に開かれ、外部

民家を2軒使った展覧会を、細い路地を通って見に行った話。

 キュンチョメという2人組のアーティストのユニットが、神奈川県横浜市内で展覧会を行うことを、ツイッターで知った。 「ここにいるあなたへ」  東日本大震災以降、そのことをテーマにした作品を制作し続けている作家だった。20年前だったらジャーナリストがするような仕事だと思いながら、時々、作品を見てきて、自分達という人間を使って、その関心が自然でありながら切実で、映像作品が多いし、被災地と言われる地域がその舞台になることも多いのだけど、個人的な感想に過ぎないけれど、とても上品な印象

「投票力」を、上げるために出来ること。

 テレビを見ていて、もう昔の放送になってしまうけれど、選挙の話題で、「選挙に行け!の圧が辛い」といった言葉を聞いた。  確かに、選挙が近くなると、急に「選挙に行きましょう」という文字を見ることが多くなる。それは、真面目で、しかも何かしらの理由で選挙に行けない人は、辛いかもしれない、と思ったが、中でも気になったのが、テレビ番組の中での高校生の、こんな言葉だった。  選挙に行って、投票したい気持ちはある。  だけど、中途半端な知識で、下手に投票して、それで変な結果を招くのが怖

ギョウザとシュウマイの格差を埋める「秘策」?!

 社会人になって最初に就職したのがスポーツ新聞だった。その時、派手な見出しが踊る記事がほとんどで、そして文末に「?」「?!」「!」がついているのだけど、それによって、記事の内容の確度に、一応の目安があるということを知った。  どれだけ本当なのか?といった確率で言えば、私が聞いた範囲の印象だと、「?」は3割以下。「?!」は、5割程度。「!」は7割以上。そんなことを聞いたので、自分が原稿を書く時は、それを意識して、文末にマークをつけるようになった。  今は、インターネット上の

「コロナ禍」で、誰かを「悪者」にするのは、やっぱり変だと思います。

 たぶん、正面切って「悪者にするのはやめてください」と問えば、「そんなつもりはない。そう思う、あなたの問題では」といった答えが返ってきそうですが、この1年ほど、政治の世界では「コロナ禍」に関して、「悪者」をつくっては、そこに責任があるかのような「ほのめかし」が繰り返されてきたような印象があります。  覚えているのは、「ライブハウス」や「夜の街」。そして「若者」。さらに「飲食店」は、ずっと「悪者」のように語られてきたように思います。  それも、数字やデータなどをあげて、科学

『「ジャーナリズム信頼回復」について、元・新聞読者として、考える』(中編)。

(前回↑を読んでいただいた方には、次で終わるような書き方をしてしまいましたが、今回を中編として、次回を後編の3回で終わるような分量になってしまいました。すみませんが、よろしくお願いします。また、この回では「新聞のシステム」について考えます、と予告したのですが、その前に「記者と権力との距離」をもう少し具体的に考える必要があると思いましたので、続けます。ご了承ください)。 権力との距離  もう一度、この「提言」を振り返れば、この文中に、「指摘したい問題点」が5点あり、その筆頭に

「成功者の昔語り」の「意味」を考える。

 テレビなどを見ていて、特定の誰、というのではなく、また、どの分野に限った話でもないのだけど、今、成功して明らかに経済的にも豊かになり、年齢も重ねた人物が、「若くて貧乏だった昔」を振り返り、話をする場面は、おそらくは、随分と目にしているように思う。 若い時の印象  その「成功者の昔語り」への印象は、自分の年齢によって、変わってきた。    自分が若い時には、若くて貧乏なのが現在進行形だから、それを、明らかに懐かしさや、下手をすれば「あの頃はよかった」みたいなニュアンスを含め