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「エンターテイメント」と「アート」

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アニメやアートや映画やドラマや音楽やイベントなどについて、書いてきた記事や、これから書いていく文章をまとめていこうと思います。
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#ギャラリー

『私が死ななければならないのなら、あなたは必ず生きなくてはならない』---ワコウ・ワークス・オブ・アート(六本木)。2024.5.17~6.29。

 この「私が死ななければならないのなら、あなたは必ず生きなくてはならない」という、とても強くて、しばらく忘れられないような言葉は詩の冒頭だった。  そういう詩が存在することを、この展覧会で初めて知った。 ギャラリー 30歳を越えてから、急にアートに興味を持つようになって、その中でも特に現代アートといわれる作品を見るようになったのは、今も生きている作家が制作しているから、自分にも近い感覚があったからだと思う。  美術館だけではなく、ギャラリーにも足を運ぶようになったけれど

『会田誠 《混浴図》への道』。2024.4.20~5.19。Gallery & Restaurant 舞台裏-----「とても地道な歩み」

 地元でアートプロジェクトがあって、時々見にいく。近いところで、そういうイベントがあるのは、なんだかありがたい。  この街の中で映像を使ったインスタレーションをおこなったとき、夜間に作家本人が作品の解説までしてくれる催しまであって、それに妻と一緒に申し込んで参加することにした。 スター 夜になって駅の近くに集まり、そこに参加する人が少しずつ集まり、その催しが始まる前に、妻が「ぎゃっ」というような声を出し、後ろ向きに倒れそうになったので、あわてて支えた。  その反応はまる

「ささやかで小さくて、だけど」------『具ささ』。2024.3.2~3.24。青山|目黒。

 この展覧会のタイトルは「つぶさささ」と読むと、ギャラリーのサイトで初めて知った。  もし、文章で使うとすれば、「具に」ということになるらしいし、それは「細かくて、詳しいさま」になるから、「具ささ」という表現が正確かどうかはわからないけれど、おそらくは、細かさ。だけど、その細かさだけではなく、詳しさ、とかも含めた表現なのではないか、といったことを考えてしまう。 キュレーション 最初に目に入ったのはキュレーションした人の名前だった。  遠藤水城。  2017年に栃木県で

蛭子能収「最後の展覧会」。

 蛭子能収の顔をテレビで見る機会がほとんどなくなった。  バスの旅は人気もあったようだし、私もよく見ていて、笑っていたのだけど、認知症を発症したことを発表してから、出演することが少なくなっていったようだ。  以前から、マンガを描くよりも、テレビの方が楽に稼げる、という言い方をしていて、それは、本心なのだろうけれど、それでも、今の状態でも絵は描けるのではないか。その方が、もしかしたら、蛭子能収、という人の凄さを、改めて伝えることができるのではないか。  そんなことも考えた

『繊細な若い才能』------「国川広」展。2023.8.26~9.16。小山登美夫ギャラリー天王洲。

 記憶力に自信がないから、最初にどこで知ったのかも忘れてしまったけれど、確か、美術専門誌のサイトで見た気がする。  このサイトには、いろいろな記事が載っていて、そして終了間際の展覧会は、おそらくより目につきやすくなるのだと思う。  そこで初めて知った作家だった。 国川広 絵画という長い歴史と蓄積を持つ分野でありながら、画像で少しだけ見ただけでも、なんだか新しく見えた。そして、そのプロフィールでも若いことがわかった。  あまり年齢だけにこだわるのは、本人にも失礼だろうし

「作者の視点の再現」-----村松佑樹 『日々』。2023.8.26~9.17。LEESAYA。

 以前、初めて訪れたギャラリーは、昔、友人のアパートがあって、よく通っていた街にあった。それも、あまりアートとは関係のない商店街の隅に、急に現れるようにあって、それも含めて新鮮な経験になった。 駅 そんなことがあって、もしできたら、また行きたいと思っていて、妻ともその話をした。  そして、そこは比較的、頻繁に企画展をおこなうことも知って、その機会は思ったよりも、すぐ来るようだった。  毎週、土曜日に出かける場所から、そのギャラリーのある街は、帰りに違うルートを利用すれば

「アートと、時間」------高橋銑 『聞かれなかった声』(〜2023.8.6)。 LEESAYA。

 気がついたらギャラリーは閉廊したり、新しく開かれていたり、それから、やたらと移転することも多い。だから、気がついたら、知らないギャラリーができていることがある。  今回も、そうだった。新しいギャラリーが誕生していた。  それも、かなり昔、友人が住んでいたから、何度も訪れていた街だったけれど、その時の記憶だと、とてもアートのギャラリーがあるような雰囲気ではなかった。 ギャラリー「美術手帖」という、国内ではほぼ唯一とも言える現代美術の専門誌があって、一時期は特集によってだ

「とても大事な場所」-------Gallery Hasu no hana。

 久しぶりに、戸越公園駅で妻と待ち合わせをして、ギャラリーの「Hasu no hana」に行った。  今回の展覧会は、渋田薫展『サロルンカムイ』だった。 渋田薫 ギャラリーに入ると、入場料500円を払い、作品を見る。  それは、カンディンスキーといった過去のアーティストの作品を、つい思い出してしまうのだけど、絵画だけではなく、展示室いっぱいに、立体も使い、少しそこにいると違う世界にいるような気がしてくる。  動きがある。  その展示室を歩くと、作品を見る角度が違って

「弓指寛治“饗宴”」(~2023.3.21)------- 「今も、そこにある生活と思いと志」。

  弓指寛治(ゆみさし かんじ)というアーティストは、ここ数年でも、特に、独自で優れている存在だと思う。  作品を発表するたびに、今の時代に、絵画を中心にして、しかも、その画風は、個性がはっきりしていて、変わりないように見えるのに、その扱うテーマや、展示の方法が、いつも新しく、それでいて、常に人間の基本から目を逸らしていないようにも見える。  最初に、その作品を見たのが2017年で、その時に作者として、作品の話をしてくれたときの、気持ちが真っ直ぐに伝わってくる視線の印象が

「恩人」の存在を、26年後に知った話。

  2022年に出版された書籍の表紙の写真を見て、その作品をつくったアーティストも、どこで見たのかも、瞬時に思い出した。 「TOKYO POP」   表紙の作品は、奈良美智が作者だった。この作品が設置されているのは、平塚市美術館。それも1996年のはずだ。  それだけはっきりと覚えているのは、この書籍の表題となっている「TOKYO POP」という展覧会は、自分にとって、それまでほとんど興味がなかったアートというものに対して、突然、距離を縮めてもらい、それから自分にとっては