どうもこんばんにちは、斎藤海鈴です。
いきなり物騒な題名ですみません。これは「『自分への』呪縛」という意味です。端的に言うと、己に対し「私は文章を書けない」という刷り込みを押し付け過ぎているような気がするのです。
これまたいきなりな話ですが、私は発達障害(書字障害+アスペルガー)と診断を受けています。まだまだ勉強中ゆえ、詳細への言及は避けますが(寧ろその方が誤解を与える?)、お医者様から見て明らかに人と異なる特性を持っているということになります。
小学校中学年頃までは、純粋に書くことが好きでした。それが高学年、もっと言えば中学受験の対策を始めたことで、書き物にクオリティのみならずスピードを求められるようになり、少しずつ「頭の中にあるものを整然と、すらすらと書き連ねる」行為に対する苦手意識が膨らんでいきました。
中学校や高校では、夏休みの読書感想文は「本は初日に読むけれど、書く内容が定まらなくて最終日に仕上げる」たり、小論文や英作文を一段落も書けなかったり、という事態が増えていきました。英作文は集中授業を受講し、どうにか英検準一級レベルまでは引き上げたものの、試験を境にまた書けなくなっていきました。
そうこうして進学した大学は、運悪くオンライン授業のせいでレポートの分量がやや増えていました。毎日、科目によっては期末レポートでなくてもそこそこのボリュームをこなさなければいけない毎日。はっきり言って地獄でした。今も地獄です。上手く対処法を見つけられなかったことにより、1年次は留年すれすれで進級、支援を受けるようになった昨年も色々と苦しんできました。
まだ大学生活はあと2年あります。レポート(書くこと)に関する成功体験が乏しく、趣味兼訓練として始めたこのnoteも①そもそもネタが見つからない②見つかっても構成がまとまらない③まとめられても筆が進まない④書き上げたはずが内容があちこち抜けている⑤思ったほどの文字数になっていない といった落とし穴に嵌りまくり、折角ネタを掴んでも消費期限を逃してしまい忌避が続いています。
ただ、この「ないない尽くし」は果たして本当なのか。「自分は文章を書けない」という呪縛が強すぎやしないか。最近そう気付きました。
そもそも、日常生活に伴う行動選択の諸々も、私は臆病になりすぎている気がします。「失敗を過度に恐れる最近の若者」という側面は間違いなく持っていますし、時折「自分が××を苦手としているのは、発達障害に原因を求めることもできる」という思考がチャレンジを大きく制限している気もします。
受験期に思い描いた大学生活は、もっと発信・交流や活動に積極的な日々でした。大好きなアニメの二次創作に本気を出したり、色々なコンサートや舞台、芸術展を見に行ったり、新しい何かにチャレンジしたり。そんな日々を自分で実現できず、気が付けば学生生活の折り返し地点に立っています。
就活が本格的に始まる今年度は、自分への呪縛を少しでも緩めて殻を破る一年にしたいです。
今回はひとまずこんなところで。
ではでは、安らかな日々を祈って。
🌊最後までお読み頂き、ありがとうございました。ぜひ感想をお寄せください!🎐
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