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“努力の娯楽化“と”キャリア・コンセプト“ #日々短文随筆

ここ最近考えていることといえば、note でもよく話題にするのだが、自分自身が何に向いていて、どのようなキャリアに進むと良いのか、ということだ。

より具体的にいえば、どのような職業に就くのか、ということになる。

これまで大学などを通して学んできた専門性を生かすこととができるのか、人生を通して育んできた好奇心・探究心を枯らさせない自分の中での将来性があるのか、社会の中で重要性が評価され一定以上の収入ややりがいを持って取り組むことができるのか、などなど、個人と世間の両方の観点があると思っている。

転職というのが一般的になり、業界にとらわれず職場や仕事を変更することに理解が進んでいる。そんな訳で、勢いで深く考えすぎずに就職をしてみる、というのもアリな気はしている。やはり、やってみないとわからない、ということは往々にしてある。

自分に何が向いてるのか、ということ見つめ直して見た時、果たして「向いている」とはどういうことなのか、というところから考えてみると、単に「楽しいと思えること」ではなさそうであり、自分の中では、「努力を努力と思うことなく息を吸うようにできる物事」であるという結論に至っている。

楽しいと思うことを仕事にすることができればとても幸せだろうことは想像がつくが、楽しいと思えることを仕事のレベルにまで昇華させることには当然のように努力が伴わなければならない。
そのような努力を努力と思うことなく息を吸うようにできる物事こそが本当に楽しいと思えることなのかもしれない。

大学生活やインターン(アルバイト)経験、趣味の活動経験を経て至った結論である。

一橋大学教授の楠木建氏は以下の動画のなかで、「努力の娯楽化」というフレーズを使っているが、発想としては似通ったものである。努力をしようと思った時点でそれは本質的に自分には向いている物事ではない、というのは、非常に共感ができる。

努力をすることから逃げる、ということでは全くない。他の人から努力していると思われるようなことを自分の中でそれを努力と認識することなく取り組むことができる物事に出会うことが重要だ、ということだ。

動画の中では他にも「キャリア・コンセプト」というフレーズが使われている。自分に向いている、自分が好きなことというのを抽象的なコンセプトで捉え、そこから具体的な仕事を考えていく。楠木氏自身は「1人でできる」「お客さんからの直接的な評価にさらされていたい」という願望があり、抽象レベルでのキャリア・コンセプトとしては「芸者」である、とおっしゃっている。そして、コンセプトから具体的な仕事のレベルに落としてみると、シンガー、学者、個人タクシーの運転手などがやりたい仕事だとわかったのだそうだ。一見すると業界が全く異なる職業ではあるものの、コンセプトに則っている、という点で理解ができる。

抽象と具体を行き来して考えながら、自分自身のキャリア・コンセプトを形成する、という姿勢は非常に参考になったと同時に、今まで自分自身も同様な方法を自然にとっていたと思ったのだが、楠木氏をはじめとした知識人がすごいのは、こういった思考方法を明確に言語化していることであり、加えてそこに適切なキー・フレーズを定義していることだ。

楠木氏のように、自分自身にどのような願望があるのかと言うのを言語化してみると、「さまざまな分野・領域に横断的に携わる」「コンテンツにインサイト・コンテクストを与える形でアウトプットをする」「社会との接点が近い」などと表現できそうである。このような願望を抽象レベルでのキャリア・コンセプトに言い換えると何になるのか、具体的に言い当てるフレーズは見つけることが今はできていないのだが、具体的な仕事で言うと、データサイエンティスト/データアナリスト、メディア編集者、などが挙げられる。目下、自分の今後の思考活動としては、自分のキャリア・コンセプトを象徴的に表現するフレーズを見つけていきたいと思う次第である。

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