見出し画像

気を遣わせていることを分かってはいる

「今日はきてくれてありがとう。お父さんと二人っきりだったらつまらなかったから。」

帰り際、車から降りるとき母に言われた。

言葉に詰まった。

間が空きすぎると事態の深刻性が増す気して、あまり考えずに

「全然大丈夫だよ。」

と答えたが、熟考したところで導き出される答えは恐らく同じ言葉だった。

その日は母の誕生日だった。


自分も含め兄弟3人はそれぞれ一人暮らしをしている。

そんな中でも、実家からさほど遠くなく、車で送迎ができる距離に僕は住んでいる。

だから、毎週末に近づくと決まって「今週は帰ってくる?」と尋ねられる。
そしてこの文面を見ると、いかにして帰らなくていい理由を作るか、と考えてしまうのである。

正直に言って、僕は実家があまり好きではない。特に、兄弟がおらず両親だけがいる実家が好きではない。父親と母親が嫌いというわけではなく、「空間」として好きではない。

僕は元来無口な人間であることを自覚している。そのため、あまり関係を築けていない人と会う機会などでは意識的に相手に質問することを会話の中で探したりすることで、「こいつ全然喋らないからつまらないな」と思われないように努めている。このスイッチは信頼できる相手になって初めてオフになる。

家族に対してはこう言ったことを意識しない。つまり、相手にどう思われるか、というフィルターの機能を停止させる。これは、無口を全面に押し出すことを意味する。

母親は、自分から話そうとしないそんな息子に気を遣って色々話しかける。息子からすれば気を遣わせてしまって申し訳ない気がするが、これまであまり話さなかったのを今更変えて明るく話し出すというのも気恥ずかしくてできない。家族の前で自分を偽るようなこともしたくない。

話しかけられたとしてもあまり多くを返さないので、食卓の場では沈黙を誤魔化すテレビが救いになる。

父親と母親は兄弟が揃った時は仲が良い感じに見える。しかし、僕だけがいるときは、そうではなくなる。母親はたまに父親が言うことを無視する。そうさせてしまったのは僕のせいかもしれない。

母親はすごく気を遣う人である。客観的に見て、家族の中では特に末っ子である僕に対して気を遣う。

僕を差し置いて、両親の間で会話をすることを避けているのか。僕に孤独を感じさせないようにそうしてくれているのか。
そもそも、良好な関係にない父親と僕とでは全く話さないので(父親との関係性については別の機会に話そう)僕の矢印はほとんど母親にしか向いていないから、ここで会話しなければと意識させているのかもしれない。

実家は両親に気を遣わせていることを毎秒感じながら過ごすことになるし、夫婦仲を悪化させてしまう原因が僕にあるのではないかという罪の意識もあるから、居た堪れない気持ちになる。

だが、母親への感謝を込めた「誕生日おめでとう」の一言のためだけにも帰ろうと思う、そんな居場所だ。


よろしければサポートをお願いします!