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この世界のどっかの違法アップローダーが育てた笑いの感性

自分を形成してきた「コト」「ヒト」「モノ」は何なのだろうか、一度真面目に考えてみることにした。

闇雲に列挙すると終わりがない。どのぐらいの粒度まで掘り下げるかのルールも曖昧だ。だから何かしらの終着点・制限が必要になった。

そこで、又吉さんのYouTubeチャンネル「渦」の企画「百の三」に倣い、まずは思い当たるだけ百個挙げてみて、その中から究極の三つを選ぶという方法を取ることにした。

百の三:
1つの質問に対し100個の答えを出すことで普段出ないような「才能を超えた3つ」の答えを出す
https://www.youtube.com/watch?v=Ye_HwhnlPD4&list=PL5wu9XY_kluhvFzmuVlZf1RqjjT4cGE6e

約一週間をかけて百個の取捨選択を完了させ、その中から三つを選ぶ段階に遂に進んだ。それがつい昨日のことだ。毎週土曜日を目安に投稿すると決めている「書き物」の投稿が二日も遅れたのは、この「個人的『百の三』企画」実施中のためであった。

自分で勝手に定めている締め切りなので誰にも怒られることはない。しかし、文章を書くことを習慣化するために少なくとも±二日の範囲でスケジュールは守っていきたい。でもこれもあくまで「目安」である。一日にまとめて何個かの文章を公開するという形も今後あるかもしれない。



列挙されている百個の「コト」「ヒト」「モノ」を改めて眺めてみると、人に見せることを止めてしまいたい程かなりプライベートな内容にまで踏み込んでいる。そのためこの場で全てを公開することはできない。というより、むしろ積極的に他人に見せることは避けたい。
何かの世界チャンピオンが独自の練習法を非公開にしていたりするみたいに、能力・武器のネタバレになるようなことを自ら進んでやってしまうというのは死活問題なのだ。ちなみに僕は何かの世界チャンピオンではない、が、だとしても、ということなのである。


とは言え、せっかくなので少しは紹介したいという気持ちもある。というわけで、公開できる範囲で選ばれたベスト3を紹介したいと思う。真のベスト3であるわけではないかもしれないが、テーマはとても近いものがある。

ということで早速、

第三位は、、、、、「ソウルフル・ワールド」。

「モンスターズ・インク」「カールじいさんの空飛ぶ家」「インサイド・ヘッド」などを手掛けたピート・ドクターが脚本を務めたピクサーの映画である。

個人的な話だが、今年はとにかくたくさん映画を観るようにしている。そして、そのことを周囲に公言したりしている。だから「なんでも良いからおすすめを教えて」と頻繁に訊かれるようになった。そんな時、「なんでも良い」のなら真っ先に浮かぶのがこの映画である。ここ数年で一番良かった。いや、ライフタイムベスト級と言っても過言ではない。

簡単に言ってしまえば「人生」そして「夢」についての物語。
夢を持ち、それを実現することの素晴らしさを描いた作品はこれまでにもたくさんある。そんな中この映画をお勧めしたい最大の理由は、「夢が見つからない人」「夢を追う人」「夢を実現した人」、これら全ての人を救う作品である、という所にある。
自己実現の先にも「生」は変わらず続いていく。では一体人生において大切なことは何なのか。

アニメーションだからこそ描き得るストーリーの中に、誰しもに響くメッセージがあること間違いない。


続いて、

第二位は、、、、、「VISUALBUM」。

「何を面白いと感じるか」と言う笑いの根幹を形成する上で途轍もなく大きな影響を僕に与えてくれた人物がいる。

ダウンタウン・松本人志さんだ。

YouTuberが職業として市民権を得る以前の日本 YouTube 黎明期、違法にアップロードされたテレビ番組や映像作品が蔓延る中、当時中学生だった僕は「ごっつええ感じ」や初期の「ガキの使いやあらへんで!」の動画に魅せられ、観まくり、「笑い」についてを学んでいった。

つまりこの世界のどこかのYouTube違法アップローダーのおかげで笑いの感性を育てることができた、というわけだ。どこかの誰か様、ありがと。

VISUALBUMは「後世に残るお笑い」を目指し制作された、当時の松本さんの集大成とも言える映像コント作品集である。

時代に先立ちYouTubeを活用したオンライン学習を進めていた自分は後にこの作品を観て、かもめんたるの岩崎う大さんが語るような「”松本人志”の事は自分が一番理解しているつもり」になったのだった。そしてVISUALBUMが発売された年に自分が生まれたと言う事実に運命を感じざるを得なかった。自分と言う情けない存在を肯定する材料をそんなこじつけに見出したかった。

「何」が「なぜ」「面白い」のか、と言うことを分析してみても、そのメカニズムを解き明かし、言語化し、説明を試みることなど一筋縄では行かない。だが、キーワードとして「シュール(超現実)」が挙げられることは確かそうである。

「細かな現実(的)描写」と「丁度バランスの取れたファンタジー」が織りなす「現実を超えた先のリアル」。笑えるかどうか、視聴者を試す笑い。自分の中の「コメディ」の理想を定義づけた作品だ。
そして思うのは、松本さんのように自身の集大成と言える作品を世に放つ機会を得られるというのは非常に尊い、ということだ。そこに到達した景色を自分も見てみたい。


あとこれは余談だが、これから出会う中で大事にしたいと思う人(それはつまり恋人のようなもの)が現れた時、やはり自分が好きな作品とかは無理矢理にでも見せたい。そして感想を言い通わせたい。

大事な人には、自分が大事にしているコト・ヒト・モノを理解してほしいし、自分も相手のそれを理解したい。



そして最後に、

第一位は、、、、、「自意識」。

ここまで三位、二位と具体的なコンテンツを挙げてきたが、最後は最高に抽象的なものになった。だが、これを一位にせずにはいられない。間違いなく僕の中の一位なのだ。

普通、ランキングでは肝心の第一位の説明のボリュームを大きくすべきなのだろう。しかし、自分自身でも解体して説明できるような単純なものではない、人生のありとあらゆることが要因となり形作られてきたのがこの「自意識」なのである。

これまでの人生、「辛い」「恥ずかしい」思いをたくさん経験してきた。その中には誰にとっても絶対的に辛い/恥ずかしい出来事もあっただろう。ただ、それ以外、その大半は、感じなくても良い・感じ取らない方が良い些細なものだ。
小さな水滴も月日を経て岩石を穿つ。わずかな積み重ねだから気づきにくいが、それを自覚するほどに精神は疲弊していた。

しんどいことなんて誰にでもあるとは思うが、みんな平気そうな顔をして暮らしている。だから自分が弱いだけかもしれない。そういう自己否定に陥った時、何度も何度も僕を救ってきてくれたのが「お笑い」「映画」「音楽」「文学」だ。

その救いのおかげでようやく自分の内面の深い部分と向き合えるようになった。そして、それを作品・表現に昇華したい・昇華せずにはいられない、というある種の飢餓感・切迫感さえ湧き上がってきた。

太宰治の「人間失格」、その第一の手記は次のように始まる。

恥の多い人生を送ってきました。

歳を重ねる度に、このたった一文の深みが増してくる。


はっきりと言えることは、「自意識」は僕のすべての創作・表現の源になっている、ということなのである。

幸せなやつは幸せなのだから自分がどうこうしてあげることはない。

自分のようにつらい思いをしている人間を、自分が救われてきたような形で救いたい。そういう思いに突き動かされながら日々を生きている。

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