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麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』第2話:古傷に塩を塗るというエンタメ

発刊されたばかりの、麻布競馬場・著『令和元年の人生ゲーム』(2024年)を、期間限定・無料公開中の第2話だけ読んでみた。

著者の麻布競馬場さんは、「タワマン文学」をTwitterで発信していることで有名。私も、たまたまSNSで流れてきた短い投稿を読んだことがあった。

先日、ダウ90000の蓮見翔さんのラジオに著者がゲスト出演していて、2人がそろって「作品をみた(著作を読んだ)人から、『性格悪そう』と言われがち」みたいな話をしていたのを聞いて、興味を持って読んでみた。

第2話の舞台は、「大手町のキラキラメガベンチャー」。さほど界隈に詳しくない私でも、モデルとなった企業のことが頭に思い浮かび、そこで働く友人のことを思い浮かべながら読んだ。

よく形容されるように、働く人の言動や思考がとても具体的に、ありそうな形で描かれていて、ものすごくイタいんだけど、それが自分にも心当たりがあるようなものなので、ジトーッとイヤーな気持ちになる。でも読んでしまう、「イヤなもの見たさ」を刺激される作品だ。
新入社員時代の、何かになりたくて(なれないと不安で)やたら肩に力が入っていたときのこと、でもその力はホームランを打つ方じゃなくて、腱鞘炎になることにつながってしまっていたようなあの感じを思い出した。
他人の決断の粗を探して、自分の安心材料の足しにしようとするところとか。

朝井リョウさんの 『何者』を読んだ後にも似たような気持ちになった。ジメジメ度を増した 『何者』という感じかな。個人的には。

特に面白いなと思ったのは、主人公と母親との関係の描写だ。

 2年前の秋にお父さんのニューヨーク駐在が決まって、夫婦の話し合いの末にお母さんは日本に残ることを決めた。それはおそらく、就活と、その後の慣れない会社勤めで色々と不安になるであろう娘をサポートしてあげたい、という彼女の強い希望によるものだったのだろう。事実、お母さんは毎日、私のために健康的なごはんを用意してくれた。私が外出している間にリビングやお風呂を掃除してくれた。玄関の飾り棚に置かれた花瓶に、季節のうつくしい花を挿してくれた。その、全く完璧に整えられた家に、私は酔っ払ったまま帰るのが苦手だった。

 それで私はいくつかの抜け道を用意していた。ひとつは帰らないこと。大学の頃は、高田馬場の安居酒屋での飲み会が終わると、下落合あたりで一人暮らしをしている地方出身者の家に押しかけて朝までオールで宅飲みをした。翌朝は電車の中でポカリの大きなペットボトルをがぶ飲みして酔いを覚まして、素知らぬ顔で家に帰る。大学の頃ならそれでよかったが、社会人になるとそうもいかない。もうひとつの抜け道は、お母さんが寝たあとに帰ること。お母さんは夜ごはんの片付けが終わるとすぐにお風呂に入って、テレビを見たり本を読んだりして、23時前には寝てしまう。お母さんが寝る直前の22時半とかに帰ってしまうと、お母さんは私がお風呂に入って、「おやすみ」を言ってから2階の部屋に戻るまで、何時まででもずっと起きている。それが申し訳なくて仕方ないから、お母さんがまだ起きている時間に帰宅しそうになると、23時半までやってる駅前のガストでコーヒーでも飲みながら時間を潰して、お母さんが確実に寝ている時間に静かに鍵を差し込むのだった。そうしてドアを開けた時に、玄関の電気が死んだように消えていて、ドアの隙間からひんやりとした空気だけが流れ出てくると、後ろめたさを孕んだ不思議な安心感を覚えた。

麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』第2話

いやもう、この感じめっちゃ分かる。笑

自分が妙に感心してしまったのは、これを男性である著者が書いているということ。「娘と母親の関係」と、「息子と母親の関係」はだいぶ違うと思うけれど、「娘と母親の関係」をよくこんなリアルに書けるものだ。
作品を読んだ蓮見さんが、作品の登場人物たちと違う世界に住んでいると思える自分でも、「これは実際にありそうだな」と感じられるというのはどういうことなのだろう、実在する人に話を聞くというような手段を取っているのだろうか、みたいなことを言っていたが、私も似たようなことを思ってしまった。

でもちょっと、著者の思う壺感が悔しいというか、著者のドヤ顔が浮かぶんだよなぁ…笑

ちなみにこれ、5, 60代くらいの方が読んだらどう思うんだろうか。全然響かないのかな。それとも。

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