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【連載】黒煙のコピアガンナー 第二十九話 前編 入社祝い

[第二十九話 前編]入社祝い


 それは突然の訪問だった。

 アマンダがピートとのデートから帰ってきて、夕飯のルームサービスを食べながらリズに今日一日あったことを話していると、ホテルの部屋のインターホンが鳴った。アマンダが出ようとすると、リズがニヤニヤしながら玄関に飛んで行った。入ってきたのはアンドリュー・イーデルステインCOOの専属秘書官のロバート・マホガニーという初老の男だった。

 高級スーツに白い手袋をはめたロバートは部屋の中央まで来ると、アマンダにうやうやしく一礼した。

「ミス・アマンダ・ネイル。こちらはCOOからの贈り物です」

 そう言うと、ロバートは仕立ててもらったばかりの黒のパンツスーツをアマンダに差し出した。襟にリヴォルタの社章のピンバッジが取り付けられている。

 スーツの胸ポケットにはメッセージカードが入れられていた。アマンダはそれを出して中身を読んでみた。

「入社おめでとう。明日はこれを着て出勤してくれ」

 メッセージカードにはそう書いてあった。

「わあ……」

 アマンダはスベスベした新品のスーツの手触りの良さに感無量だった。


*      *     *


 翌朝、アマンダは贈り物のパンツスーツを着て鏡の前に立ってみた。そこにはいかにもスーツに着られてしまっている少女の姿があった。かかとの高いパンプスとパンツスーツの相性はいいはずだが、アマンダが着ると何故かちぐはぐに見えてしまう。街中の広告モデルのようにはいかなかった。

 顔立ちそのものがまだ子供というのも重要ではあるが、化粧っけのなさが問題かもしれない。バークヒルズでは気にならなかったが、日に焼けた頬にわずかにそばかすが出ている。リヴォルタ内部での仕事とはいえ、都会で働くにはなんともみすぼらしかった。

「似合うじゃない、アマンダ」

 リズが来て声をかけた。リズは研究職なので服装は自由だ。入社セレモニーに着ていく服で悩んでいたはずなのに、結局普段通りの格好をしていた。いつものダマが出たセーターに暖かそうなコーデュロイのパンツを履いている。アマンダの隣に立って、鏡で見ながらヘアバンドで髪をかき上げている。野暮ったい格好なのにアマンダとは違う小慣れた雰囲気があった。

「髪の毛、こうしてまとめるといいよ」

 リズがアマンダの長い髪をクルクルとまるめて後頭部に集め、持っていたヘアクリップで留めた。アマンダは横を向いて後頭部を確認する。

「いい感じでしょ?」

 黒くて上品なヘアクリップだった。首元がスッキリして、都会で働く女性らしさが少し出てきた気がした。

「ありがとう」

 リズはニコッと笑った。アマンダはその感じに何か懐かしい温もりを感じた。

 アマンダの髪をこんな風にまとめてくれた人がバークヒルズにもいた。ニッキーだ。ボサボサの髪を後ろで結っていただけのアマンダに呆れて、髪をセットしてみてくれたのだ。その時もこんな風に全部の髪を後頭部にまとめてくれた。

 ニッキーは無事だろうか。すっかり変わってしまった自分の姿を横目で見つめながら、アマンダは物思いに沈んだ。

「アマンダ! ぼーっとしてると遅れるよ!」

 リズが玄関先にスーツケースを移動させながら叫んでいた。

「あ、はい!」

 アマンダは慌ててコートを羽織ってホテルの部屋を出る準備をした。

 今朝、ホテルをチェックアウトするよう指示を受けている。退勤後の宿泊施設は知らされていない。リズとピートはリヴォルタのフレイムシティ支社の職員が住んでいる社員寮ではないかと噂していた。アマンダはフレイムシティに来てから驚きっぱなしで、そんなことを考える余裕もなかった。

「おはよう、ピート」

「おう」

 ロビーでは珍しく時間通りに起きてきたピートが既に待っていた。コートの下からダメージジーンズが見えている。

「アンタ、それウェイストランドで破いたジーパンじゃない。そんなんでCOOと直接会うつもりなの?」

 ピートを見るなり、リズが呆れて言い放った。ダメージジーンズだと思ったのは普通に破けてしまっただけらしかった。

「これしか持ってねえんだから仕方ないだろ……って、アマンダ、それ……」

 ピートはアマンダが羽織ったコートの下に見えている上質なスーツに目がいき、言葉に詰まった。

「これ、COOが昨日送ってきてくれたの。どう?」

「アマンダだけズルくね?」

「だから、バディのアンタがみすぼらしい格好しないでって言ったのよ」

「おかしいじゃん。何で俺にはスーツくれないんだよ」

「自分で用意しろってことなんじゃないの?」

 3人は来た時と同じ車に出迎えられてフレイムシティ支社ビルへと向かった。約10分の道程だ。街並みを眺めている間に着いてしまった。

「おはようございます。皆様」

 エントランスでロバートが待ち構えていた。

「ネイルさん。こちらがあなたのIDカードです」

「ありがとうございます」

 アマンダはそれが何なのかは不明だったが、一旦その疑問は置いておいて差し出されたカードを受け取った。カメラの照明に驚いて目を細めた自分の顔写真が見えて苦笑いする。

「ICチップが入っていて、ここにかざすと勝手にゲートが開く仕組みになってるんだよ」

 リズがゲートの手前の”TOUCH”と表示されたパネルにIDカードを重ねる。すると、ポーンと心地のいい電子音が鳴って、奥で人が通るのを邪魔していた板が上へ持ち上がった。リズが通り抜けるとすぐさま元の位置に戻る。

「へえ……!」

 アマンダはこれまで様々な電子機器を見て、その度に驚いたが、これはそれとは違う感動があった。

 IDカードを持っている人間しか通ることのできないゲートにアマンダは自分で通れるようになった。リヴォルタがアマンダを歓迎してくれているように感じて嬉しかった。

「これでいつでもリヴォルタの関連ビルの中に入れるようになったね」

「すごい!」

 3人がゲートを通り抜けると、ロバートが案内を始めた。

「お三方には本日、ネイルさんの入社セレモニーに参加していただきます。その後、ネイルさんとナットくんはお車で移動していただきます。マキリさんはCOOが直々に研究室をご案内しますのでここでお別れです」

 アマンダ、ピート、リズの間に緊張が走った。セレモニー会場にはCOOがいるのだろう。リズやピートにとってはタブレット越しか、研究所の廊下ですれ違うことくらいしかなかった相手で、アマンダからすれば自分を拾ってくれた偉い人だ。COOと対面したら、いよいよ本格的にフレイムシティでの仕事が始まる。

 セレモニー会場は大きなスクリーンが設置された会議室だった。3人分の椅子が真ん中に置かれている。

「やあ、リズ、ピート、アマンダ。元気かい?」

 会議室の端から男が出てきて3人の前で止まった。紺のベストに白シャツの軽めの服装だ。

「COO……! おはようございます!」

 あまりの軽装にリズは気付いた瞬間大声を出していた。このフワッとした雰囲気の男が現リヴォルタCOOのアンドリュー・イーデルステインだった。

「あ、おはようございます」

「ちっす」

 アマンダとピートも慌てて挨拶する。リズはピートを小突く。

「ちゃんと挨拶しなさいよ」

「ええ? いいだろ、別に」

「よくないに決まってんでしょ!」

「はっはっは」

 リズとピートの掛け合いにアンドリューは声を上げて笑い出した。

「ピートくんの礼儀がまだ未完成なのは了承済みだからね。構わないよ」

「な?」

 ピートがアンドリューの言葉を受けてリズにしたり顔する。

「ピートくんがどんな人間だとしてもリヴォルタにいてもらわないと困るからね。ネツサソリの生還者は君しかいないんだから、隅々まで長期に渡って経過を調べさせてもらわないと」

「はあ、まあ……」

 要するに、アンドリューからしたらピートは人というより実験動物だということだった。実験動物がどんな態度でいようとどうでもいいことなのだ。

「それでは、セレモニーを始めます」

 ロバートが合図をする。アンドリューは壁際に立ち、真ん中の席にはリズ、アマンダ、ピートの順に座った。

 賑やかなBGMがかかり、セレモニーの歓迎動画の上映が始まった。

「ようこそ、リヴォルタへ!」

 ナレーションの女性の声が明るくアマンダに歓迎の声をかける。

「イグニス合衆国全土に支社を持つリヴォルタグループの本部はハプサル州のリヴォルタ研究所です。そこで行われている研究は実に多種多様となっています。各地域の支社は本部の機能を補填する役割を担っています。たとえば、研究の成果を応用した商品開発に特化した支社、新薬の開発、治験に特化した支社、そして、アンドリュー・イーデルステインCOOが極秘の研究室を発足し、最先端のコピア研究を担うフレイムシティ支社です」

 会社紹介のチャプターになるとリズとピートが首を傾げ始めた。アマンダはそんな2人に挟まれて、多すぎる情報量に目が回りそうだった。

 歓迎動画が終わると、リズがアンドリューに質問をした。

「あの、COOの極秘の研究室ってハプサル州の本部にあるんじゃなかったでしたっけ?」

 アンドリューが前に出てきて質問に答えた。

「リズ、君にこちらへ来てもらったことと関係があるよ。これは個々人の人事異動じゃない。僕の研究室を丸ごとフレイムシティに移すための人事異動だ。他のチームの研究者は既にフレイムシティ支社で働き始めている。アマンダのことが済んでから一緒に君を呼び寄せただけのことだ」

「どうしてフレイムシティに研究室を移すんですか? ハプサル州の方が広くて機材やサンプルを保管するのに適しているのに」

「市長選に出るんだ」

「えっ!?」

 アンドリューは自分の陣営の選挙応援バッジをポケットから取り出した。

「フレイムシティの市長になってこの街をより化学製品の研究開発をやりやすい環境にする。昨今では世界各国の化学製品の質が向上し、イグニス製の世界シェアが低迷し始めている。それを打開するためにまずは街での化学製品の開発に関する規定を緩和する必要がある。僕が市長になったら規定緩和の条例を制定し、フレイムシティ内に本部機能を持つ多くの研究所や化学製品のメーカーが自由に新製品を研究開発できるようにするんだ」

「すごい。COOはリヴォルタのためだけじゃなく、フレイムシティやイグニス合衆国全体のためにそんなことまで考えていらっしゃるんですね」

 リズは受け取った選挙応援バッジを胸元につけた。

「応援してます、COO」

「ありがとう」

 アンドリューはアマンダとピートにも選挙応援バッジを差し出した。2人は深く考えず、選挙応援バッジを手に取り、胸元につけた。

「さて、それじゃあ、アマンダとピート。今晩また会おう。リズ、研究室に案内するよ」

「今晩?」

 ピートが疑問を口にしたがアンドリューには聞こえていなかったのか、リズを連れて会議室を出てしまった。

「お二方はこちらです」

 ロバートがアマンダとピートに手招きする。ピートは些細な疑問のことは忘れてアマンダと共にロバートについていった。

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