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【掌編小説】やまのかみさま

すきま時間の掌編小説集

「やまのかみさま」

 山の中腹の獣道に一体の地蔵と九尾狐がいた。
 「どうしてお地蔵さんはもう自分が喋れなくなると思うの?」
 九尾狐が地蔵に質問をした。好奇心旺盛で、九股の尻尾を振り振りする姿はかわいらしいものだった。
「わしを信仰している人間がこの世からいなくなるからだよ。今となっては山菜採りのおばあさん一人がわしをこの世の守り神として繋ぎとめてくれているのだ」
 ブーンと排気ガスをまき散らして、地蔵と九尾狐がいる道の真下の舗装道路を車が通りすぎていった。
「ふーん」
 九尾狐は尻尾をたらんと下ろした。唯一の話し相手である地蔵がいなくなることを寂しく思っているのだ。
「ところで九尾狐よ」
「なあに?」
「そなたは何を守るために作られたのだ?」
 九尾狐は何を質問されたのか理解できずに戸惑う。
「そなたの姿を見かけるようになったのはつい最近のことだ。新しい神が生まれるなどここ数十年なかった。人間が神を信じなくなっているこのご時世に一体どこの誰が何を願ってそなたを作り出したのか教えてほしいのだよ」
「知らない」
 九尾狐は即答した。
 地蔵が不思議がっていることを九尾狐は不思議に思った。何か目的がなければ存在してはいけないのだろうか。九尾狐はただ自分がここにいるだけで十分に思っていた。
「じゃ、僕もう行くね」
 地蔵とのお喋りに飽きた九尾狐はさっさと走って好きな方へと行ってしまった。
 幼児の男の子が父親に連れられて山へ来ていた。手にはパックに入ったいなりずしがある。男の子は自分の手で大事そうにパックを抱えていた。
「お父さん、ここ」
 幼児は道から外れた雑木林の一角を指さす。その方向には大きな木がそびえていた。幼児は父親に抱きかかえられて林の中に入った。
「きつねさんがここにいろって言ったんだよ。それでね、おじちゃんが来てくれたの」
「きつねさんがお前を助けてくれたんだね」
 幼児は地面に下ろされると木の根元にいなりずしを丁寧に置いた。
いなりずしの匂いに惹かれて九尾狐がやってくる。木の枝を伝って跳び回るように二人がいる木に移り、するすると幹を滑り降りて、根元のいなりずしを咥えた。
「きつねさん食べてくれるかな?」
 幼児が父親の顔を見上げて質問をする。目の前で九尾狐はいなりずしを食べているが、二人からは見えない。
「きっと食べてくれているよ」
 九尾狐はなぜだかわからないが、そのいなりずしは自分のものだと思った。味がしみたお揚げがおいしかった。父親と幼児はしゃがんで手を合わせた。九尾狐はなんだかわからないその動作を嬉しそうに見ていた。それを見ていると元気が出る気がしたのだ。
「これでいい?」
「そうだね」
 父親と幼児は舗装道路へと戻っていった。近くに止めた車に乗って山を下りていく。九尾狐はその後ろ姿を見えなくなるまでじっと見つめていた。
 九尾狐はその幼児が山で迷子になった時に生み出した神様だった。今日は自分を守ってくれたきつねさんの神様にお供え物をしに来たのだ。これからも山で迷子になる子供達が無事に家に帰れますように、幼児はお祈りをした。
 幼児の細やかな信仰に支えられて自分がいることを九尾狐は知らない。それでも九尾狐はこれからずっと、幼児が大人になってきつねさんのことを忘れるまで、無意識に迷子の子供達を家に帰れる方向へと導いていくだろう。

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