【連載】黒煙のコピアガンナー 第十五話 形見の行方
[第十五話]形見の行方
早朝。西の方がまだほんのり暗く、外へ出た瞬間に寒気が襲う冬の朝だった。
リヴォルタの職員や学生はまだ通勤通学をしていない。人通りがまるでない時間だ。黒塗りの高級車が吸い寄せられるように真っ直ぐにリヴォルタの敷地へと入っていった。その高級車は幅の広い車道を静かに走っていき、研究所と書かれた看板を通過し、裏口へと回った。
裏口では数人の研究員が高級車の到着を待ち受けていた。その一団の端には黒髪マッシュボブのぽっちゃりした若い女性がいた。
高級車が止まると、助手席から男が出てきた。洗練されたデザインの高級な黒いスーツに赤のネクタイを締めて、ライトブラウンの前髪をワックスで立てた紳士だ。紳士は黒髪マッシュボブの女性に真っ先に向かい、手を差し出した。
「アオイ・コガ、元気にしていたか?」
「長旅お疲れ様です、イーデルステインCOO。おかげさまで」
アオイは差し出された手をしっかり握って握手をした。この紳士がリヴォルタのCOO、アンドリュー・イーデルステインだ。アオイはアンドリューの直属の研究チームに所属するスーパーエリート研究員の1人だった。
「息子はどうしている?」
「報告の通りです。すくすく育っていますよ」
アオイはもうすぐ1歳になる子供の母親だった。リヴォルタの最新の不妊治療で授かった大事な一人息子だ。研究所の建物内の託児所に預けており、アオイはいつでも様子を見に行くことができた。
後部座席から護衛の女性が出てきた。紫がかった髪色の独特な雰囲気を持つ女性だ。瞳の色も深い紫色をしている。黒一色のスーツの上着にかかる紫色の髪はつい見入ってしまうほど眩しい光沢をしていて、何を考えているのかわからない紫色の瞳は見る者の心をざわつかせる何かがあった。
護衛の女性にドアを開けてもらい、アンドリューの妻、スカーレット・イーデルステインが出てきた。黒にほど近いダークブラウンの長い髪をゆるく巻いて、アンドリューのネクタイの色に合わせた赤のワンピースを着て、いかにも富豪夫人という風貌だった。
「アオイ、久しぶり!」
スカーレットは友人と再会したかのようにニコニコしながらアオイにハグをした。その気さくはとても富豪夫人とは思えなかった。
「スカーレット、調子はどう? ライラックも元気?」
アオイもなるべく丁寧な言葉遣いは崩さずに、だが親しみを込めてスカーレットとその後ろの護衛の女性ライラックに話しかけた。
「元気よ。ライラックもいつも通り」
スカーレットはアオイにそう言うとライラックに笑顔を向ける。ライラックは無表情でこくりと頷いた。
「ねえ、健診が済んだらスバルに会いに行ってもいい?」
スバルというのはアオイの息子の名前だった。
「もちろん」
「ありがとう。楽しみね」
「スカーレット、遊びの前にきちんと検査を受けるんだ」
アンドリューが浮かれ気分のスカーレットに釘をさす。スカーレットはやれやれと肩をすくめて夫に応じる。
スカーレットはアオイと同じリヴォルタの最新の不妊治療で妊娠したばかりだった。普段はフレイムシティに住んでいるが、健診の時だけ丸1日かけて専用ヘリでハプサル州まで訪れている。
アンドリューはスカーレットの肩を抱いて裏口の扉へ向かった。2人のすぐ後ろにライラックが続き、その後ろを研究員達がついていく。アオイは最後尾だ。
廊下を歩いている時、スカーレットは廊下の先を足早に過ぎ去っていく長身で黒髪ポニーテールの女性を視界に捉えた。スカーレットは嬉しそうに列の一番後ろにいるアオイに大声で話しかける。
「アオイ! カズラがいたよ。あとでカズラも一緒にスバルの所へ行こうって誘わない?」
アオイはパッと顔を上げたが、すぐ暗い表情に変わった。
「カズラは忙しいから、託児所には来ないと思う」
「え、そうなの?」
アンドリューがスカーレットの体を前に向けて話を中断させた。
「仕事中なんだ、声をかけたら悪いだろ」
アンドリューがスカーレットに言う。
「それもそうだね」
スカーレットはまた肩をすくめた。
アオイは沈んだ表情で俯いた。アオイは昨夜のカズラの態度を思い出していた。ある1本の電話を取ってからカズラの様子はおかしかった。
* * *
カズラ・コガは昨夜の電話の内容を確かめるために勤務開始時刻より1時間も早く研究所に出勤した。電話は妻の弟に当たるレン・ミヤモトが所持していたコピアガンを持っている人物がウェイストランド内で発見されたという内容だった。向かう先はウェイストランド内での治安維持を担っているコピアガンナーの長、チーフガンナーのオフィスだった。
チーフガンナー室ではウォルト、ピート、リズがチーフガンナーのサルサ・ミコスから質問を受けている最中だった。
「ザ・ナッツ!」
勢いよく扉を開けて入ってきたカズラにサルサは溜息をつく。
「カズラ、ここは職場ですよ。そのあだ名で呼ぶのはやめなさい」
ウォルトは自分と身長のほとんど変わらない骨太な女性に胸倉を掴まれて怖気づいた。
「カズラさん、落ち着いてください」
「レンのコピアガンが見つかったのか?」
「はい、おそらくあれはレン・ミヤモトさんのコピアの反応です。持ち主が変わっていたから少し違ったけど――」
「どんな奴だった?」
「はい?」
「レンのコピアガンを奪ったのはどんな奴だった?」
「えっと……」
ウォルトが返答に困っていると、サルサが強めの口調でカズラをたしなめた。
「カズラ。ウォルトを放しなさい。今、私が同じ質問を彼から聞いていました」
カズラは少し反省して黙ってウォルトから手を離した。
サルサ・ミコスは褐色の肌の色をした茶髪の女性だ。身長は170cmと高く、落ち着いた大人の女性の雰囲気を醸し出していた。一方のカズラ・コガは黄色味がかった肌の色をした黒髪ストレートの女性だ。身長はサルサよりも少し高い173cm。剣術を長年続けていて、男にも引けを取らない鍛え抜かれた体をしていた。2人共、イグニス合衆国とは異なる国にルーツを持っている。
そんな立派な大人の女性2人に挟まれて、ウォルト、ピート、リズの3人は萎縮した。
「僕達が見たのは望遠鏡でだけで、正直に言うと、よく見えませんでした。赤い髪の人と帽子を被った人がいて、撃ったのは帽子の方です。馬もいたし、見慣れない服装をしていたので、バークヒルズの住民だと思います」
ウォルトはサルサとカズラの両方に時々視線を向けながら説明した。
「ピートが最初に発見したのですね?」
サルサがピートにも発言を促す。
「あ、はい」
ピートは軽く返事だけをする。サルサは詳しく説明するようにピートに目で訴える。ピートは数秒してから何か言わないといけないのかと気付いて口を開く。
「ウォルトが今言ったことが全部です。俺にも赤い髪の女の子と帽子の女の子と馬が見えました」
「そう」
サルサは事務机に広げられた古い資料を見つめる。そこにはバークヒルズの基本情報が載っていた。
「この資料にはバークヒルズが建設された当初の住民の情報が載っています。女子の年齢が10代だとして、この資料に載っている人達の子供だと断定できます。そして、これはバークヒルズのギャングの幹部が役所に提出した出生届と死亡届を元に作成された現在の存命の人だけが載っている戸籍の抜粋です。バークヒルズで暮らしている10代の女子はおよそ50人。この中からあなた達が見たという女子を探し出します」
「そんなの無理じゃないですか?」
ピートがやる前から音を上げる。ウォルトは資料を手に取り、ペラペラとめくってすぐに1人の人物に当たりを付ける。
「赤毛の女子はすぐに見つかりました。ニコラス・ジャクリーン・アレクサンドラ・レアド。ジャッキー・レアドの娘です」
ウォルトはジャッキー・レアドの若い頃の顔写真付きの資料とニコラス・ジャクリーン・アレクサンドラ・レアドの戸籍が書かれたページを並べてサルサに見せた。今は見る影もない白髪頭だが、当時のジャッキー・レアドは目を見張るような赤毛をしていた。
「こんなに目立つ赤毛をしているバークヒルズの住民は他にいません。そのジャッキー・レアドには娘が1人しかいない。この戸籍の情報が正しければ、赤い髪の女子はニコラス・レアド以外に考えられません」
リズがピートにニヤっと笑いかける。ピートは眉を細めてリズに返事をする。
「もう一人の帽子の女子はわかりません。顔も見えなかったし、特徴というほどのものは確認できませんでした」
「わかりました」
サルサはジャッキー・レアドとニコラス・ジャクリーン・アレクサンドラ・レアドの資料に付箋を貼り、全ての資料をまとめてウォルトに手渡した。
「コピアガンナーのウォルト・ナットに任務を与えます。ピート・ナットとリズ・マキリと協力してこの2人の女子を探し出しなさい」
「承知しました」
ウォルトは姿勢を正して声高に返事をした。
「サルサ、私も行かせてくれ」
カズラがサルサに詰め寄った。サルサは表情を変えずにカズラを退ける。
「カズラ、あなたの仕事は研究です。コピアガンナーのことはコピアガンナーに任せなさい」
「でも、レンのコピアガンなんだぞ!」
カズラが机を叩くと、置いてあった物がガタンと揺れた。カズラは思ったよりも大きい音を立ててしまったと思い直し、即座に謝る。
「すみません。取り乱しました」
「少し頭を冷やしなさい。あなたが無闇に動いて解決することではないでしょう」
カズラはまだ何か言いたそうにしたが、サルサの言う事に納得せざるを得ず、黙って身を引いた。
「ウォルト、ピート、リズ。必要なら学校の公欠届をこちらで提出しておきます。事は緊急です。一刻も早くレン・ミヤモトのコピアガンを所持している女子を確保しなさい」
「はい!」
ウォルト、ピート、リズの3人は与えられた任務の大きさに緊張しながらチーフガンナー室を出て行った。
* * *
時間は20時を過ぎた頃だった。カズラはやっとの思いで残業を終わらせ、家路についていた。日中はウォルト達の任務のことに気を取られ、仕事が手につかなかった。コピアガンナーとしての任務中に亡くなった義弟レンの形見が見つかったというのに、それはまだ手元にはなく、バークヒルズの誰かが勝手に使用しているという事実に怒りなのか焦りなのかわからない感情が湧いた。
アオイのたった1人の弟で、カズラも本当の弟のようにかわいがってきたレンの死はカズラとアオイの生活を揺るがせた。生まれたばかりのスバルの世話をレンも含めた3人で手分けしてやっていくのだと信じていた。幸せいっぱいの家庭だったのだ。それがレンの死によって全て台無しになってしまった。幸い、リヴォルタは保育施設が充実しているので困ることは少ないが、カズラとアオイの心にぽっかり空いた穴は埋められなかった。
カズラはリヴォルタの敷地内のアパートの部屋に帰った。鍵を開けて中に入ると、スバルを叱るアオイの声がリビングルームから聞こえてきた。
「スバル、お菓子は私が出してあげるから欲しかったら呼んでっていつも言ってるでしょ? どうして勝手に開けちゃうの?」
カズラがリビングに入ると、目の前に散乱した1歳児用のお菓子とその手前で口をモグモグさせているスバル、お菓子を拾ってゴミ箱に入れるアオイの姿が見えた。
「スバル、落ちてるお菓子は食べちゃダメだ」
カズラは瞬時に状況を把握してスバルを抱き上げ、口の中のお菓子を吐き出させる。アオイはカズラが帰宅したと気付くや否や、カズラのことも叱り飛ばした。
「カズラ、ちょっと! これは何なの?」
アオイはリビングルームの端に鎮座する大きなショーケースを指さした。ショーケースの中には兜と太刀と脇差が飾られている。
「あ! これ届いたんだ!」
カズラは目を輝かせてショーケースに近づいた。
「おじさんに頼んでたんだ。スバルの誕生祝い!」
カズラはショーケースの中でキラキラと輝く豪奢な兜をまじまじと見つめた。
「これが誕生祝?」
「アオイは知らないのか。これはアケボシ国の武士の伝統の男子の祝いの品だ。男子が生まれたら兜と刀を飾って立派に育つように願うんだよ」
アケボシ国とはカズラとアオイの故郷の国で、大海を渡った東方の島国だ。世界最高の品質を誇る鉄鉱石の産地で、伝統の刃物は世界一の切れ味だと言われている。
「これ、アケボシ国の輸入品なの?」
「そうだよ。おじさんの伝手がなきゃこんなものは輸入できない。貴重なんだからな!」
おじさんとはカズラの遠戚で、イグニス合衆国で国会議員をやっている人だ。アケボシ国とも交流があり、剣術道場の師範をアケボシ国から呼び寄せるほどのアケボシ国愛好家だ。カズラは昔から彼に才能を見出され、剣術の稽古をつけられていた。カズラが興奮気味で話す傍ら、アオイは真っ青な顔をしていた。
「じゃあ、この刀、本物なの?」
「当たり前だろ。アケボシ製にレプリカなんてものはない」
アオイは小さい悲鳴を上げた。
「ねえ、カズラ。こんなものうちに置いておけないよ。スバルが怪我したらどうするの?」
「大丈夫だよ。このショーケースは簡単に開けられないから」
「もし開けられちゃったらどうするの? そうじゃなくても、倒れてくることもあるかも」
「心配性だな、安全性が担保された商品なんだ。そんなこと起こらないから平気だって」
「ダメ。おじさんに言って返してもらってよ。こんな物騒な物を赤ちゃんがいる家に送るだなんて、おじさんもどうかしてる」
「うるさいな。男子がいる武士の家はどこでもこれを飾るんだ。子供がいても問題ないようになってるんだから心配するな。これだから商人の家系は……」
「カズラこそアケボシに行ったこともないくせに武士だなんだって大袈裟じゃないのよ」
「だから私はおじさんからたくさん教えてもらってるじゃないか!」
カズラが耳元で大声を出すのでスバルが泣き出した。
「ああ、ごめん、スバル。怖くないよ」
カズラはベビーベッドに置いてある音が鳴るおもちゃでスバルをあやす。スバルはしばらく泣いていたが、やがておもちゃに気を取られて泣き止む。
静かになったスバルをベビーベッドに座らせ、無言でお菓子を拾っているアオイにカズラは声をかけた。
「アオイが怖がるなら兜と刀はおじさんの別邸に置いてもらうことにするよ。リビングルームにこんな大きな物が飾ってあったら邪魔だし」
「商人だの武士だの、大昔の身分制まで持ち出して、一体あなたは何がしたいの? 今朝もろくに話し合わずに家を出たと思ったら、チーフガンナー室にまで押しかけて騒ぎ立てて。そんなことする前にどうして私に話してくれなかったの?」
「今朝はアオイも早く出なきゃいけないから慌てて支度してて、話し合う隙なんかなかったじゃんか」
「それでも一言添えるくらいはできたでしょ? レンのコピアガンについて聞きに行ってくる。たったそれだけで済むのに」
「それを言ったらアオイは止めただろ」
「止めるに決まってるでしょ」
「レンの死の真相を突き止められるのに、何でアオイが止めるんだよ」
「そんな事したって無駄だからよ。今更何をしたってレンは帰ってこない!」
アオイは自分でも思っている以上の大声が出てしまい、ハッとする。そして、また黙ってお菓子を拾い始める。
カズラはお菓子を拾うのを手伝った。
「なあ、アオイ。レンが死んでから一度も泣いてないじゃないか。一度くらい全部吐き出した方がいいと思うよ」
アオイは無言だった。アオイが気に留めてくれなくてもカズラは決してアオイから離れようとしなかった。
* * *
ウェイストランドの立入禁止区域には高く伸びる木が生えていないため、空がとても広く感じられた。夜空を覆う星の光が明るくて、ちっとも心細さを感じない。
現在、アマンダとニッキーは中南部の廃墟となった町の公園跡地にいる。芝生の生えなくなった乾燥した土の上で焚火をしようと、燃えそうな物を廃墟から次々拾い集めていた。
アマンダは公園の真ん中に建てられた市長の銅像を見上げていた。
「ニコラス・モーリーン市長の銅像ね」
木材やチラシなどを大量に抱えてニッキーも戻ってくる。
「知ってる人?」
アマンダは銅像の台座のプレートに刻まれた名前を読もうとするが、暗くてよく見えない。
「知ってるも何も、私のひいおじいちゃんよ」
「そうなの?」
アマンダはニッキーのフルネームを思い出し、なるほどと思う。
ここは立入禁止区域に指定される前にニッキーの母親が住んでいた町だ。おおよその方角や町並みが昔に母親から聞いていた町と同じだとニッキーは思っていたが、ニコラス・モーリーン市長の銅像で確信した。
「ニコラスはひいおじいちゃんの名前から取られたの?」
「そうよ。私の母方のひいおじいちゃん。私の名前は父さんがつけたの。生まれたのは女の子だってわかってて私に義祖父と同じ名前をつけたのよ。当時から私に関心がなかったのね」
「でも市長さんと同じ名前じゃない」
「こんな小さな町の名士だと言われているけどね、ただの成金よ。事業に成功して市長になれただけ。少しは町の発展に貢献したから銅像を建ててもらえたんだろうけど、政治家になんかなったおかげで家族はめちゃくちゃになったって母さんがよく言ってたわ」
「そうなんだ」
ニッキーは苔むした石畳に木材やチラシを並べてマッチで火をつける。アマンダは焚火の近くへ来て火に当たる。
「ニコラスはひいおじいちゃんから、ジャクリーンはお父さんから。じゃあ、アレクサンドラは誰からなの?」
「そういえば知らないわ」
「知らない?」
「2つもミドルネームがあるなんて面倒なだけだもの。いちいち覚えてられないわ」
「でも、きっと誰かすごい人の名前なんだろうね」
「昔好きだった女の名前とかだったりしてね」
「それはさすがにないよ」
ニッキーは鞄を開けて中から缶詰を2つ取り出した。鞄の中には残り10日分の非常食とマッチ箱、変装用に被っていた帽子が入っている。ニッキーは髪を結ってオシャレをするのが好きなので、帽子は必要なかった。綺麗に髪をアレンジしているので、ウォルトとピートが望遠鏡で見ても女子だとわかった。
ニッキーがアマンダの分の缶詰を渡す。中身はグリーンピースだ。味気ないが栄養はある。
2人が立入禁止区域の旅を始めてから4日が経った。アマンダがバークの部屋から持ち出した地図の丸印まで半分の距離まで来た。2週間分の非常食を持って出て、1週間で丸印に到達し、もう1週間でバークヒルズに戻る予定だった。ちょっとでも予定が狂ったら非常食が尽きてしまう。どんな生物がいるかもわからないウェイストランドの荒野のど真ん中でそうはなりたくない。何が何でも予定通りに丸印の場所にたどり着かなければならなかった。
スプラッシュはどんなに過酷な旅でも嫌がらずにアマンダとニッキーを乗せて走った。干し草はないのでアマンダが自分の非常食のグリーンピースを与えた。スプラッシュはないよりマシだと思ったのかグリーンピースを食べてくれた。疲れているはずなのに言う事を聞いてくれる忠誠心の厚い馬だ。
「まだ悩んでるの?」
ニッキーは黙々とグリーンピースを口に運ぶアマンダの様子を見て言った。
「別に……」
「アンタのその様子、気にしてない風には見えないよ」
「……うん」
「ジェシーさんに何を言われたのか、いい加減教えてくれてもいいんじゃない? ずっと1人で思い詰めていても仕方ないわよ」
「別に、言うほどのことなんか言われてないよ。ただ、本当にこれでよかったのかわからないだけで、何か不満があるとか、そういうんじゃない」
「丸印の場所に何があるのかさえわかればこっちのもんよ。大丈夫。また前みたいに皆と一緒に暮らせるから」
「そうだね……」
ニッキーは空の缶詰を潰して脇に置いて仰向けに寝転んだ。
「綺麗な星空ね」
アマンダも夜空を見上げる。
「バークヒルズにいても星は見られるけど、ここの絶景は比べ物にならないわ。どうしてこんなに綺麗なんだろう。汚染された地域とは思えない」
コピアによる汚染は排気ガスなどとは異なり目には見えない。むしろ、人が暮らせなくなった分、排気ガスなどを排出することがなくなり、空気は澄み切っていた。バークヒルズにも排気ガスを出す機械がないので同じように綺麗な星空が見られる。ニッキーの感想は気分の問題だった。
「アマンダさ、私が全部アンタのためにこんな無謀な旅に出たと思ってるなら、それは違うのよ」
ニッキーは遠い目をして話し始めた。
「私ね、小さい頃から裁縫が大好きだった。縫製工場に通って、先輩達から裁縫を教えてもらったの。基本的な縫い方はシンディばあさんの娘のヴァネッサさんから、かわいいフリルの作り方はジェシーさんのお姉さんのハンナさんから、あとは刺繍の縫い方とか、たくさん教わった。縫製工場には古いファッション雑誌が置いてあって、内容を覚えるほど読み耽ったわ。もしもバークヒルズから出られたら、私はデザイナーになりたかった」
アマンダは夜空から目を離し、寝転んだニッキーの方を向いた。斜め向かいで大の字になっているニッキーの足元は焚火に照らされていたが、顔は見えなかった。
「だからこれは私にとっても意味のある家出なの。アマンダが私の手を借りて逃げたんじゃなくて、私がアンタの救出を利用して逃げたってこと。立入禁止区域に行ったってデザイナーにはなれないけど、自分の意思で外に出られたってことが、きっと今の私には重要なことなのよ」
アマンダはそれがニッキーがスティーブ追悼デモに参加した理由でもあるのだと察した。町を出ようとして報復されたスティーブの死が、町を出て活躍する夢を持つニッキーにどう映ったか想像に難くない。
「もう寝ましょう。日が出たらすぐに動き出さないと予定通りに丸印の場所を見つけられないかもしれない。昨日みたいにリヴォルタの人間に見つかったらまずいし、警戒しながら進むなら今までよりもっと時間がかかるはずよ」
アマンダは残りのグリーンピースを全部スプラッシュにあげて、自分は横になった。冬の野宿は凍死の危険性もあった。ニッキーはスプラッシュの背中にかけていた布を取ってアマンダの隣に寝て、互いの体に布をかけた。スプラッシュも隣にしゃがんで眠る。身を寄せ合えば少しは寒さもマシに感じられた。
皆さまに楽しんでいただける素敵なお話をこれからも届けていきます。サポートありがとうございます!