【連載】黒煙のコピアガンナー 第二十八話 後編 ハッピーニューイヤー
[第二十八話 後編]ハッピーニューイヤー
午前10時55分。アマンダはホテルのロビーにいた。
「ロビーでは基本的に何をしていても大丈夫だよ。ソファに座ってもいいし、隣接されてるカフェでコーヒーを飲んでもいいし。宿泊客ならまず怒られるようなことはないと思うからリラックスして待っててね」
朝、ホテルの同室のリズに早口で言われて、追い出されるように部屋を出た。エレベーターに1人で乗るのも初めてで、ドキドキしながらボタンを押した。
今日はピートとフレイムシティの観光地を回る約束をしていた。待ち合わせは11時にホテルのロビーだ。
アマンダはロビーの時計を見た。11時になってしまった。ピートが来る気配はない。何をしているのだろうか。もしかして、集合時間を間違えたか?
アマンダは不安になってロビーを一周した。リヴォルタが出資している最高ランクのホテルのロビーは広くて全体を一望できない。他の宿泊客は格式の高そうな身なりの大人達ばかりだ。田舎から出てきた14歳、ましてやバークヒルズ出身のアマンダにとってこんなに心細い場所はなかった。
15分経ってもピートは現れなかった。おかしい。一度部屋に戻ってリズに相談してみようか。いや、戻ったら入れ違いになってしまうかもしれない。カフェでコーヒーでも飲もうか。ホテルのロビーと区別するため内装がガラッと違うアンティーク調の扉を開けて、カフェに入ってみた。
「こんにちは! ご注文は?」
アマンダはカウンターで眩しいくらいの笑顔で挨拶する店員に驚いてビクっとしてしまった。子供だとわかった店員は少し態度を優しくする。
「お嬢さん、1人? お母さんかお父さんはいるかな?」
「わ、私1人です……!」
アマンダは震えながらショルダーバッグに入った財布を取り出す。考えてみればリヴォルタからお小遣いを支給されるようになってから自分でお金を払うのも初めてだった。
「何にする? 甘いのが好きかな? おすすめはハニーミルクラテだよ。セレブ御用達の蜂蜜を使ってるんだ」
店員はとても親切だった。おそらくそのように教育されているのだろう。このホテルの宿泊客はたとえ子供であっても丁重に扱う。どこのセレブの子供かわからないからだ。全身セール品の服装のアマンダでも例外はなかった。
「じゃあ、それで」
アマンダはコインをじっくり見てどれがいくらか確認して慎重に支払った。店員は終始笑顔だった。おどおどしているアマンダが少しでも気持ちよくカフェを利用できるように最大限の配慮をしてくれた。
アマンダは空いている席に座ってハニーミルクラテを飲んでみた。フワフワ泡立ったミルクとほんのり甘い蜂蜜がコクのあるコーヒーの苦みを和らげてくれていた。
「おいしい……!」
アマンダは一気に緊張が解けていくのを感じた。
「アマンダ! わりい!!」
アマンダがハニーミルクラテを半分ほど飲んだところでピートがカフェに飛び込んできた。
「寝坊した!!」
「ピート!!」
アマンダは眉をひそめてピートに詰め寄った。
「遅い!」
「悪かったよ……、ウォルトがいないと起こしてくるやつがいなくてつい寝すぎちまって……」
「はあ? 目覚まし時計かけてるんじゃないの?」
アマンダはここに来るまでの間にピートのダサいヒヨコの目覚まし時計を見せてもらっていた。お菓子メーカーのマスコットキャラクターのグッズの目覚まし時計らしい。リズは普通は小学生の子供が欲しがるものだとバカにした。ピートはそれでもお気に入りだと腹を立てていた。アマンダは指定した時間に音が鳴って起こしてくれる時計など見たことがなかったので、なんて便利なんだと感動した。
「それでも起きられない時は起きられないんだよ……!」
「何それ!? ウォルトがいないとポンコツなの!?」
「だ、だからぁ、悪かったって言ってんじゃんかよ……!」
アマンダはカフェの中で時計を探した。だが、どこにもない。
「今何時?」
アマンダに聞かれてピートは腕時計を見る。
「11時28分」
「28分の遅刻だね」
「どうもすみませんでした」
「じゃあ、なんか奢ってよ」
「え?」
アマンダはリズに言われたことを思い出す。
「デートなんだから、アマンダがお小遣いを使うことないんだからね。ピートに全額出させたっていいくらいだよ。アマンダがもらってるお小遣いより、アイツがもらってる給料の方が高いんだから」
「そうなんですか?」
「コピアガンナーとして働き始めたらアマンダの方が高給取りになるけどね。今は必要最低限だけもらってるんでしょ?」
「そうらしいです。最初のお給料が出るまでのお小遣いで5万くらい」
「アイツの給料、30万は超えてるよ。あんなんでもアイツはコピアガンナーのバディで私のインターンの手伝いだからね。危険手当とかついて相当もらってんの」
「そんなに……!?」
朝のリズとの会話を脳の端に追いやって、アマンダは目の前のピートに意識を戻す。
「私、フレイムシティで食べられるスイーツ全部食べてみたい!」
アマンダの屈託のない笑顔にピートは気持ちが高ぶった。
「あ、あぁ、いいぜ。そのくらい全部奢ってやる」
「やった!」
ピートはアマンダの手を取ってカフェの出入口へ向かった。アマンダは好奇心でワクワクしながらピートにピッタリくっついてカフェから一歩外へ出る。瞬間、アマンダは立ちすくんだ。
昨晩はヘリポートのあるビルからそのまま車に乗り込みこのホテルに来たのでわからなかった。ホテルの外はたくさんの人でごった返していた。高いビルが立ち並び、道はアスファルトで舗装されている。
「大丈夫か?」
「すごい……都会……」
ピートはアマンダの手を強く握った。アマンダはその力強さに励まされる。
「迷子になるなよ」
「うん」
アマンダとピートは同時に歩き出した。
ピートは地下鉄の乗換案内をスマホで検索する。フレイムシティの大都会ではネットの使用が必須のため、通信制限は解かれていた。
「地下鉄で3駅くらいのところにグルメ街があるから、そこ行こうぜ」
地下鉄へ行く階段の前でピートが言った。
「わあーい!」
アマンダははしゃいで地下鉄の階段を下りた。湿った風が地下から吹いてくる。不快だがアマンダにとっては初めての経験だ。じめっとした換気扇から出てくる風をわざと受けてアマンダは地下街を歩く。
ピートが切符を買っている間、アマンダは駅の早見表の複雑な図をじっと眺めていた。街中をぐちゃぐちゃに張り巡らされた地下鉄網は一度見ただけでは全体像が把握し切れなかった。
「お待たせ。新年祭のキャンペーンで一日乗車券が半額になってたぞ。ラッキー!」
「新年祭?」
「フレイムシティの新年祭はすごいんだ。街中の店が特売やったり、劇団がチャリティイベントやったりして、夜は街路樹のイルミネーションがある。1月1日からの2週間それが続くんだ」
「へえ、すごい」
「この時期にフレイムシティに来られてよかったな」
「そうだね」
プラットホームに降りて、またアマンダは感動した。イラストで全車両が飾られた電車がちょうど止まるところだった。
「うわあああ!」
アマンダは思わず声を上げてしまう。
「お、エミットマンのイラストだな」
ピートは対照的に淡々としている。
「エミットマン?」
「最近フレイムシティで流行ってるイラストレーターだ。俺が好きなDJヒサギのジャケットも描いてた」
「DJ……何?」
「クラブで曲流したりするんだよ。DJヒサギは自分で曲も作る。俺はフレイムシティのクラブには行ったことないからセレクトアルバム聞いたり、オリジナルの曲聞いたりするだけだ」
「クラブ……?」
反対側のホームの電車が来た。その電車はイラストがない灰色一色の電車だった。ピートがアマンダの手を引いた。
「まあ、その話はあとだ。乗るぞ」
2人は電車に乗り込む。数人の乗客がいるだけで閑散とした車内だった。
いきなり電車が発車してアマンダはよろけた。ピートが腕で支える。
「座るか?」
「うん」
アマンダは席に座る。地下鉄の電車の席は固めのクッションだった。
「ピートは座らないの?」
ピートはつり革を両手で2つ持って何かをしようとしている。
「筋トレ。俺からしたらどのくらい弱い力で調節するかのトレーニングだけどな」
「うん?」
ピートはつり革を何度か引っ張り、力加減を見る。そして、ゆっくり体重をかけて、足を床から離す。
「いけるな」
「ちょ、ちょっと、ピート。危ないよ」
ピートは調子に乗ってブラブラと体を揺らす。アマンダはいつつり革が壊れてしまうかとヒヤヒヤしていた。
電車がブレーキをかけ始めた。駅に到着したのだ。ピートは揺れながら足を床につけてバランスを保つ。
「大丈夫だろ。ほら」
「いや、でも……」
ピートはまたも電車が動き出し速度が安定してから足を床から離しつり革にぶら下がる。
「こんなこともできるぜ」
ピートは腕に軽く力を入れて懸垂をした。つり革が繋がっているポールの上に顎をつける。
「どうだ!」
「ピート! やめてってば! 怖いよ!」
離れたところに座る乗客もピートとアマンダをチラチラと見ていた。アマンダは彼らからの視線にビクビクしていた。
再び電車がガクッと速度を落とし、ブレーキがかかり始めた。ピートはその衝撃で逆方向に揺れ、その衝撃でつり革が取れてしまった。
「やっべ!」
「ほら!!」
「走るぞ!」
ピートとアマンダは電車のドアが開いた瞬間逃げるように電車を降りた。
「がははははは!!」
ピートは笑っていた。
「もう! どうするの、あれ! 謝らなきゃ!」
「大丈夫だって! 黙ってりゃ誰がやったかわかんねえから!」
「そういう問題なの!?」
「いいから、改札降りるぞ!」
全速力で改札まで行き、一日乗車券を改札に通してまた全速力で走り出す。人の波をかき分けて、迷路のような駅構内を駆け抜け、アマンダとピートは地上に戻った。
「はあ、はあ、はあ……」
体力に自信のあるアマンダもこれには息が切れた。
「すげえなお前。めちゃくちゃ走れるじゃん」
「私だってね、ギャングだったんだもん。このくらい余裕……」
「でも、1駅前で電車降りちまったから、まだ歩くぞ」
「ええ……?」
アマンダはピートを睨みつける。
「800mくらいでグルメ街だ」
「800m……?」
フレイムシティ屈指のグルメ街はすぐ目の前だった。ピートが降りる予定だった駅と実際に降りてしまった駅の中間地点に位置し、ピートが降りる予定だった駅からなら200mほど近い場所にある。
「まずは定番のパンケーキの店にしよう」
「どんなの?」
「山盛りの生クリームが乗ってる」
「生クリーム……?」
アマンダはまた出てきた知らない言葉に首をかしげる。
目当ての店の前まで来ると、窓際の席の客が食べているパンケーキを見てアマンダは目を輝かせた。
「何これぇ!!」
真っ白なフワフワしていそうなものがパンケーキの上に渦巻を作っていた。その高さは30cmに届きそうだ。
「これを食べるの?」
「そうだ」
ピートは得意げに頷いた。
「わあああ、すごおおおい」
注文して10分ほどした頃、アマンダの前に山盛り生クリームのパンケーキが運ばれてきた。
「食べ歩きするから半分ずつ食おうな」
「うん!」
アマンダは上に乗っかっている生クリームの頂上にフォークを差し込んだ。モサッとしてフォークに取れた生クリームは思ったよりも存在感がなかった。
「軽い……!」
「食べてみろよ」
アマンダはフォークを口に入れた。甘くてさっととろけてなくなる生クリームはアマンダの期待を遥かに上回った。
「何なのこれ……!」
アマンダはリヴォルタに連行されてから初めて食べるおいしい食べ物に感動してきた。生クリームの衝撃はその中でもトップクラスだった。
「おおおいしいいいいいい!!」
その後もピートはいくつものスイーツ専門店にアマンダを連れ回した。発酵バターが贅沢に使われたデニッシュや高級フルーツサンドが有名なパン屋、変わり種のフレーバーを取り揃えたアイスクリーム専門店、チョコレート1粒500 円を超える天才ショコラティエの店などだ。
「お、アマンダ。ちょっとここで待っててくれよ」
「何?」
「へへっ、まあいいから」
夕方の4時頃、アマンダとピートはフレイムシティの中心地から少し外れた場所にいた。もう少し先まで行くとピートの故郷のアガットタウンに差し掛かるような所だ。ピートは大通りにアマンダを残して路地に入って行ってしまった。日暮れ時に1人取り残され、アマンダはなんとなく不安げだった。
慣れない服装で歩き過ぎたのか、アマンダは疲れていた。少し頭がクラクラしていた。甘い物の食べ過ぎもあるかもしれない。どれもこれもおいしくてつい食べ過ぎてしまったと反省していた。
「あれ、こんな所に見慣れない女がいるじゃん」
「君、どこから来たの?」
「すげえ金髪。最近なかなかいねえよな、ここまでのは」
どこからともなく、男子達の声が聞こえてきた。頭痛を抱えながらアマンダはその男子達を見る。大柄な男子が1人、細身だが慎重が高い男子が1人、まだ少年ぽさを残す大きな瞳が印象的なアマンダと同じくらいの身長の男子が1人、合計3人だった。薄汚れていたり、破けていたりする服を着ている。いわゆる街の不良というやつだとアマンダは推測した。
「ねえ、ちょっと俺達と遊ばない?」
大柄な男子が図々しくもアマンダの肩に手を回す。
「放してもらえますか?」
以前のアマンダならこの時点で手が出ていただろう。が、アマンダはなるべく丁寧な口調で言った。
「え~? 聞こえないなあ」
「ほら、早く行こうぜ」
他の男子達もアマンダを取り囲んでアガットタウンの方へと連れて行こうとする。アマンダは大柄な男子の手が胸に触れそうになった瞬間、身を屈めて男子の懐に入った。
いきなり大柄な男子がひっくり返ったので、他の2人の男子は驚いて全く身動きが取れなかった。
「何だ、街の不良ともあろうものがこの程度か」
アマンダはムートンブーツの踵を踏み鳴らした。
「次はどっち?」
男子2人はアマンダに睨まれて完全に戦意喪失していた。
「お、おい行こうぜ……」
「お、お前なんか誰が誘うかよ!!」
男子達が尻尾を巻いて逃げて行く。アマンダは溜息をついてピートが消えて行った路地の方を見た。すると、ちょうど戻ってきたピートと目が合った。
「お、おう。お見事だったな」
「はっ……! ピート……!!」
ピートはアマンダが不良を一撃で怯ませているところを目撃していた。クレープを両手に抱えていて加勢できなかったが、その必要がなかった。
「見てたの……!?」
「見てたよ」
「何で助けてくれないの!?」
「だって、俺が殴ったらアイツら死ぬぞ」
「手加減してよ!」
アマンダはピートが持っている得体の知れない食べ物らしきものの中に生クリームが入っていることに気付いた。
「それ何?」
「クレープ」
またピートがおいしそうなものを買ってきてくれた。恥ずかしくてたまらなかった気持ちはどっかへいってしまい、アマンダは完全にクレープに夢中になった。
「これ、昔よく食ってたんだよ。この先がアガットタウンで、そっちにはまともなスイーツの店はないからな。甘い物が食いたくなったらここまで来て一番安いヤツを買ったんだ」
それは生クリームが塗ってあるだけのシンプルなクレープだった。ピートの幼少期の思い出の味だ。今日一日、高級なスイーツばかりを食べ歩いた。最後に食べるには質素すぎる一品だった。
「おいしい」
アマンダは薄く引き伸ばされたクレープ生地に挟まれたこってり甘い生クリームの味を噛み締めた。
「少し歩こうか」
ピートは腹ごなしもかねて中心街まで歩こうと提案した。日没が近づき、東の空が紺色に変わっていく。その暗い夜空へ向かって2人は歩き続けた。
やがて街路樹の並木道がある中心街の大通りへと出た。そこはキラキラ輝く宝石のような街だった。
「新年祭のイルミネーションだ」
木々に取り付けられた電球から色とりどりの光が放たれている。アマンダはその中でもひときわ眩い黄金色の電球に惹かれた。
「これ、お前のコピアの色に似てるな」
「あ……そうか……」
ピートに言われてアマンダは気付いた。この輝きを自分はまだ恋しく思っているのだろうか。アマンダはふとそんなことが頭をよぎる。
「お前がコピアガンをなくしても、お前はリヴォルタのコピアガンナーだ。そんで今は俺のバディ」
「そうだね……」
旧研究所からリヴォルタに連行された直後は自分ではどうしようもなく心細かった。バークヒルズに戻りたかった。そんな時アマンダを支えてくれたのはピートだった。どんな時でもピートは明るくて楽観的で、アマンダに面白おかしい話をしてくれた。気が荒ぶ時、ピートがそばにいるだけで心が和んだ。
アマンダの手の甲に白いフワフワしたものが降りてきた。ピートは空を見上げる。
「雪だ……」
アマンダも空を見上げた。濃紺の夜空から真っ白な粉雪がちらちらと舞い降りていた。
「これが……雪……?」
アマンダは不思議な気持ちで雪を眺めた。アマンダにとって雪は冬の脅威でしかなかった。異常気象でバークヒルズに大雪が降った年、多くのお年寄りと赤ん坊が命を落とした。その時に降った雪は重たく、冷たく、町全体を飲み込んだ。
だが、今はどうだろう。フレイムシティに降る雪はチョコレートケーキの上にかかった粉糖のように軽やかで、イルミネーションに紛れて町を彩った。
「ハッピーニューイヤー」
ピートが言った。
「ハッピーニューイヤー」
アマンダも繰り返した。2人は身を寄せ合って、降りしきる粉雪をいつまでも見つめていた。
皆さまに楽しんでいただける素敵なお話をこれからも届けていきます。サポートありがとうございます!