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もしも、大学教員が学生に刺されたら? ー 名城大学の事件から何を学ぶべきか

 2020年1月10日、名城大学で40歳の准教授が、同大学3年生の学生に刺されるという事件が発生しました。報道によれば、学生はレポートの提出が遅れ、准教授に「単位は出さない」と言われたことから殺意を抱き、准教授を刺したとのことです。
 本記事では、高等教育を守備範囲の一つとしている書き手の立場、また教歴も学生・院生歴もある立場から、この事件に関して注意したほうがよいポイントをメモ書きします。事件そのものについては、まだ分かっていることが極めて少ない段階です。しかし、「不測の事態に対し、大学や外野はどうすればよいか」を学び取るポイントは、既に数多く出現しています。

1.「教育が内包している暴力による事件」と言えなくはない

 教育の仕事は、何らかの目的に沿って何かを教えたり学んだりしてもらい、その方向に導き、結果を評価することの繰り返しです。土台となっているのは、「学生が持っていない何かを教員が持っている」という非対称性、ぶっちゃけ「力関係」です。ときに、学生に悪意や恨みを抱かれることもあることは、ある程度は必然です。
 しかし、この力関係は、各学生と教員サイドの納得と合意によってスタートしている(ことになっている)はずです。大学の場合、学生は就職など将来のために学びにくるのであり、教員は学生の目的を支援する立場です。最低限、その関係を成り立たせる相互信頼がなければ、大学教育は成り立ちません。
「単位を出さない」くらいのことで教員が刺されるのなら、私の出身校である東京理科大では、労災補償と労災保険料(労災が発生すると上がる)によって経営が維持できなくなったりしていそうです。しかし現在のところ、東京理科大を含め、教員が学生に襲われることによって維持できなくなった大学はありません。滅多なことは、滅多に起きないものです。
 しかし、今回の名城大学では、その「滅多なこと」が起こってしまいました。しかも、教員としては当然と考えられる指導によって起こってしまったようです。
「教育の営みが本質的に内包する暴力」という背景を忘れないようにしたいものです。

2. 慣れやノウハウは蓄積できず、危機管理のしようがない

 成績や単位や進級や卒業が思うようにならないからといって、教員に恨みを抱いて殺傷しようとする学生は、滅多に現れません。米国だと、学生による銃乱射が行われた末に、学生本人も銃で自殺することがあります。しかし、銃社会の米国でも、たまにしか起こらない「滅多なこと」です。「大学教育を受ける」「大学教育を提供する」という同意と信頼があれば、銃社会といえども、銃乱射にはつながりにくいのだろうと思います。とはいえ、銃乱射であれば、大学でも社会全体が銃社会であることに準じた対策が可能です。
 日本は、今のところ銃社会ではありません。「ハサミやナイフがコンビニで買える」という意味では「刃物社会」なのかもしれませんが、「刃物へのアクセスの容易さが刃物による犯罪を引き起こしている」というエビデンスはありません。したがって、学生が自分の在学している大学の教員を刺す事件への備えは、「社会全体に刃物リスクがある」ということとは無関係に行う必要がありそうです。しかし、滅多に発生しないわけですから、慣れやノウハウを蓄積する機会がありません。つまり「危機管理のしようがない」ということになります。少なくとも、予防は難しそうです。
 金属探知機? 刃物の持ち歩きチェック? 大学の理工系学部で実験設備があるところで、そんなの無理無理、絶対ムリ。もっとアブナイ機器や薬品がゴロゴロしてるんですから、刃物を厳重にチェックしたって意味ありません。

3. 事後に慌てるしかない。よりマシな慌て方を

 ともあれ、名城大学で事件は起こってしまいました。1月から3月の大学は、後期の単位認定や成績評価、大学や大学院の入試、そして卒業や修了とそのための認定や評価が数多く重なる時期です。何もなくても大変な時期に、さらに事件での影響を抱えた大学関係者の大変さは、想像に余りあります。しかも、日本の大学という場と事件の性質上、「備えあれば憂いなし」というわけにはいきません。事が起こってから、マシな慌て方を模索しながら慌てるしかない宿命です。

今回の名城大学は?

・当日、ニュースを発表し、記者会見を行った

 名城大学の今回の事件で、まず評価できる点は、事件が発生した当日、あっさりした内容ながらニュース「本学学生による刑事事件について」を理事長・学長名で発表している点です。また、記者会見も行っています。

令和2年1月10日(金)に発生しました本学学生による刑事事件については誠に遺憾に思います。
また関係者及び関係機関に対しお騒がせいたしましたことを深くお詫び申し上げます。
現在、事件の解明については警察の捜査が行われており、本学も全面的に協力しているところであります。
負傷した教員の回復を心から願っております。
教育現場として今後このようなことが起きないよう細心の注意をして参りますとともに、学生のケアについても徹底して参る所存であります。

 社会に対する責任を、社会に対して直接、またメディアを通じて、タイミングを逃さずに果たしている姿勢は、大いに評価できます。内容は「テンプレ?」と言えなくもありませんが、負傷した教員のこと、動揺しているであろう学生のこと、そして今後の再発防止。どこまでの内容を盛り込むか、盛り込まないか、短い時間で議論をして判断されたのでしょう。お疲れ様です。

・でも逮捕された学生は、まだ大学の「他人」ではない

 しかしながら、私は苦言を申し上げたいのです。逮捕された学生を、「教員を刺した疑い」「逮捕された」というだけで退学させるわけにはいかないはず。したがって、現時点では名城大学に学籍があるはずです。不幸な事件を起こしはしましたが、まだ大学の一員です。その認識は、残念ながら、上記ニュースでは伝わってきません。

・逮捕された学生は、より人権を考慮されるべき

 いただけないのは、逮捕された学生が実名報道されていることについて、名城大学がまったくアクションを取っていないようすであることです。
 逮捕された学生は、教員に対して身体を傷つけるという人権侵害を行いました。逮捕されているわけですから、事件に対する刑事的な取り扱いは、今のところは警察にお任せするしかありません。どのような事件であり、どのような罪があり、どのような処分や刑罰がふさわしいかは、今後の司法手続きで明確にされます。先回りして、その学生の人権を侵害する必要はありません。
 しかし、刺された教員の氏名が公表されていないのに、学生のほうは実名報道されています。このアンバランスさが、私はどうしても気になります。今後、捜査が進展し、もしも「学生の事件当時の責任能力が疑わしい」ということになると、以後の報道は匿名で行われることになるでしょう(この取扱いに、私自身は賛同していませんが)。
 今、すでに情報として漏れてしまっている学生の実名を、ネット空間から消し去ることはできませんが、名城大学には少しでも早い時期に「学生の実名報道を控えてほしい」という意思表示をしていただければ……と願っています。まだ、そちらの大学の学生なんです。今後、大学との縁が切れても、ご本人が「そこで学んでいた」という事実は残ります。「縁あって在学している学生の将来を気にかけている」という態度は、ぜひ早めに示していただきたいです。

・救済や申立の手段はどうなっていたのか?

「就職が決まっているのに単位不足で卒業できない」といった状況は、教育機関「あるある」でしょう。大学には学生に対する説明責任があり、社会に対して成績や単位認定の正当性を示す責任があります。単位や成績の不服に関しては、申立窓口が必ず存在するはずです。名城大学にも、再試・追試制度があり、成績に対する異議申し立て制度があります。それでは救済されないパターンだったのなら、学生相談室が利用できるかもしれません。無理なものは無理かもしれませんが、関係者全員がまあまあ納得の上、より良い「その次」を探ることはできるはずです。
 しかし、事件は起こってしまいました。事件が起こったこと自体が、少なくともその学生にとって、大学の用意している仕組みが役立たなかったことを示しています。ここは、深堀りする価値があるポイントです。「滅多なこと」にならず、紙一重や紙二重で回避された事例が、おそらく多数あるはずです。どうすれば、回避される確率を高めて「ほぼ1」にできるか。その学生の語りや足取りや事件への経緯が、さまざまな形で教えてくれるのではないでしょうか。まだ、在学中の学生なのですから、接触して話を聞く手段はあるはずです。「今すぐ」は無理だとしても。

まとめ:私も刺されたくないし、もっとうまくやれる自信はない。それでも。

 以上、第三者の立場から、思うことをメモ書きさせていただきました。もちろん、私だって、指導によって刺されたくありません。このような事件が起こった時に大学のアドミニストレーションに関わっていたら、「今回の名城大学よりうまくやれる」という自信は全くありません。
 
ただ、どこでも二度と起こってほしくない事件です。起こりにくくなり、対処しやすくなればいいと思っています。そこで、現時点で思うことを記しました。
 名城大学の皆さま、学生・院生・職員・教員・保護者・関係者の皆様が、この事態を乗り切られ、当該の教員の方と学生の方を含むすべての方の、より良い未来につながりますように。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。