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和田靜香さん『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?』について、今さらですが。

(2022年4月15日 加筆しました)

 発売後はもちろん発売される前から話題となっていた、和田靜香さんのご著書『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?』(左右社)について、私はダンマリを貫いてきた。
 実はKindle版が販売された直後に購入し、読んでいたのだけど。

語れず語りたくなかった理由

 ライターの和田靜香さんと衆議院議員の小川淳也氏の対談から生まれた本書は、読ませる読み物として、そして優れた政治問答として、高く評価された。今さら、刊行以来ダンマリだった私が今ごろ何かをいう必要はない。そう思っていた。

 語れない理由や語りたくなかった理由は数え切れないほどあるが、ほとんどは、本書の内容とも著者の和田さんとも無関係だ。
 差し障りの少なそうなものを1つだけ挙げると、ご近所在住の著名な著作家のA氏が、和田さんと本書を非常に高く評価して広報に協力していたこと。
 A氏は私に直接接触できた当時の立場を悪用し、2021年3月ごろから4月ごろにかけて、私に「自殺か夜逃げか」と思いつめさせるほど攻撃を続けていた。4月下旬、決定的なことをやられたのを理由と契機として実質出禁にしたが、その後も断続的に攻撃が続いた。最も不気味だったのは、A氏の側には背景や理由がありそうだったこと。そして、私には思い当たる節がなかったこと。
 A氏が最後に私に接触を試みたのは、2021年7月、私がはじめて原家族での性暴力被害体験について語りあう当事者グループにオンライン参加する直前だった。A氏は、私に参加を断念させたかったのではないかと推察している。
 A氏は2021年に入ったころから、私に対して「虐待はよくあること」「私は虐待で傷ついていたけれども親を理解したい」というようなことを不自然に繰り返していたからだ。「なんでそれを私に言うのか」と疑問に思いながら、私は同意できない点には同意せず、「人それぞれの対応のあり方がありますよね、私はこう考えてこうしています」と答えていた。すると3月ごろから、A氏は露骨なイジメに転じた。その成り行きは、「私の言うことを聞かないなんて許せない」として理解することができた。
 さらに、7月の接触の試みが、私に「A氏のバックは、福岡県に住んでいる私の原家族なのかも」と考えさせた。私が現家族からの性暴力被害について語り合うグループに参加しようとしているという情報が、なぜ漏れたり使われたりするのかって? フリーメールを使ってたら、そんなこともあるよ。詳細はここには書かないけど、私の父親は、そういうことが可能といえば可能な経歴を持っている。同様の気持ち悪いシークエンスは、1997年から延々と続いている。

 その後、A氏は私に接触しようとしていないのだが、ホッとする間もなかった。A氏は、和田さんと本書の広報を積極的に行いはじめた。和田さんによる当然の拡散を通じて、A氏の投稿の数々がどうしても私の目に入ってしまった。私は和田さんに「申し訳ないがA氏から受けたイジメが最近のことで、トラウマ障害が辛いので、AさんによるSNS投稿の拡散はできない」と率直に伝えた。私が無反応だったら、和田さんは「なんで?」と思うかもしれない。それに、類似した分野をカバーしている女性の同世代のライターを反目させたい勢力はたくさんいる。私は、自らそういう反目を作ったり乗ったりすることはしたくないし、してこなかった。結果として、さんざん馬鹿らしい目に遭ってきたけど。

 幸い、本書は広く注目され、好ましい評価を受け、セールスも好成績。私が何らかの協力をする必要は、全くなさそうな状況だった。だから、このままダンマリでいたかった。しかしながら、2022年2月初旬、そうは行かない状況が発生してしまった。目撃者は数名しかいないし、内容については今は書かないけど、私は今後、貧困問題の取材ができなくなるかもしれない可能性を恐れなくてはならないかもしれない。もしもそんなことになったら、2月初旬の出来事を含めて、アレもコレもなかったことにせず書いてやるのみだけど。

 とにかく私は、和田靜香さんご自身についても本書やご記事の数々についても悪い気持ちは全く持っていないのだが、和田さん自身とは、初対面から「あまり距離を詰めないほうが良さそう」という感触があった。なんとなく「女子校ノリ」を感じた。和田さんが実際に女子校にいたかどうかは知らないが、「女子校ノリ」は私が最も苦手とするものの一つだ。和田さんと顔見知りになってから数年が経過しているはずだが、和田さんも、私との距離を詰めてこようとしなかった。「この人なんだか苦手、怖い」と思っていたのかもしれない。
 和田さんのご記事の数々については、話題になるはるか以前、コンビニでバイトしつつ貧困問題の記事を世に問うていた時期から、「すごいなあ」と思っていた。私には使えない切り口や語り口があり、私ができないタイプの訴求が高いレベルでできる。私は私なりに、自分が持っている引き出しとその内容を充実させ、アウトプットの質を高めていくしかない。リンゴとミカンはどっちが美味いか? 美味しければ正解。食べる人のニーズに沿っていれば正解。そういうこと。

和田靜香さんの「好事」は「魔多し」ではなかった

 本書が高い評価を受けて話題になっている様子をチラ見しながら、私は「和田さん、大丈夫かなあ?」と懸念していた。
 いきなり評判になってスポットライトを浴びるということは、モノカキにとって必ずしも好ましいことではない。好評が100倍になれば、それまで認知していなかった人々からの悪評が1000倍になったりする。書籍の内容に関する悪評だったら、書いて世に問う以上、ある程度は致し方ない。しかしながら、大量のナンパや怪しい営業も来る。ストーカー化する人が現れるかもしれない。持ち上げて利用して捨てる人、持ち上げてハシゴを外す人も出現するかもしれない。人数でいえば、「そんな嵐に振り回されるくらいなら、地味にコツコツと仕事ができて収入が得られる状況の継続を狙うほうがいい」と考えるモノカキの方が、たぶん圧倒的に多いと思う。
 大きな評判を得た後の和田さんの対応は、SNSや雑誌記事等で見る限り、それは見事なものだった。もともと芸能や相撲を専門としておられた和田さんは、私の10倍以上「好事魔多し」の実例を見てきていることだろう。動画等での立ち居振る舞いも、それは見事なものだ。私の100倍以上、良い例にも悪い例にも見て接して学ぶ機会があったのだろうと思われる。
 その後も、「魔」を近づけない「好事」の活かし方の実例を、遠くから横目でリアルタイムで見せていただいている感である。
 和田さん、失敬な心配をしてごめんなさい。

早く「時給はいつも最低賃金」の人間になりたい……ん?

 『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?』は、私にとっては読み進めるのに努力の必要な本だった。あちこちに「ん?」と引っかかってしまう。とはいえ、そんなに長くない時間で読み通せたけど。

 たとえば「はじめに」には、和田さんの経歴が軽妙だからこそ胸に迫る筆致で描かれている。たとえば、40歳半ばごろの2008年、音楽ライターの仕事が激減して最低賃金のアルバイトで食いつなぐしかなくなった和田さんの状況も描かれている。そういう記述を見ると、ICTを中心に科学技術ライターとして活動していた同時期の私が重なる。ICT技術は、紙の雑誌からネットメディアへの移行が最も早く進み、食える仕事が激減しはじめたのは2002年ごろのことだった。記事内容を充実させるためにもエンジニアでありつづける必要を感じていたから、私はパートタイムエンジニアや社会人教育などの仕事でも収入を得ており、生活に困ることはなかった。ところが、2005年に身体障害が発生すると、著述業以外の収入源を失うことになった。最低賃金の仕事? 当時の障害者に、そんなものはなかった。あったのは、最低賃金以下の作業所の工賃とか、「ありがたく仕事させてやるんだから」と健常者以上に劣悪な状況で搾取されるような労働とか(これは経験あり)、障害者雇用率を満たすために設けられたサテライトオフィスに障害者だけが隔離された環境での派遣労働とか。
 率直なところ、和田さんが「最低賃金のバイトにしか就けない(就けなかった)」と述べるたびに、私は当惑していた。健常者が言う「最低賃金のバイト」に対し、同じ意味の就労機会がない私には、どういう感慨が許されるのだろうか? どのように「前向き」になったり凹んだりして、周辺の共感や理解を得ることが期待されているのだろうか? 期待に沿えば自分がしんどく、沿わなければ自分が何らかの罰を受けることになる。その選択の「自己責任」を私が負うのは不条理だが、責任の主体に責任を負ってもらう方法はないのだろうか? そういった思いは、常に、和田さんと無関係に抱かせられ続けている。本書は、読んでいる時も読んだ後も、その毎日積み重なる重く淀んだ思いを、私に何回も反芻させるものとなった。
 ただし、明記しておきたい。私は、和田さんや日本社会に理解されたいのではない。もしも望めるのであれば、「自分の理解したいように理解できるものではない」「安易に近寄ったり共感を示したりしたら『おもてなし』されるかもしれないが、傷つけることになる」「理解や共感をする努力が、それを汲まなくてはならないという暴力的なプレッシャーを与える」ということを理解してほしい。具体的な用事があるわけではないのに接近や会話を試みようとするのを止めてほしい。でも、理解を求める努力は、とっくの昔に捨てた。ムダだから。私がそんなことを言っても、返ってくるのは「悲しい」といった感情だろう。多くの場合、日本が障害者に期待しているのは、障害者ではない人々を癒やすことなのだ。その期待に応じないと、知らないところで「そんな障害者はお仕置きしたい」という感情が具体的な形を取り、私は罰されることになる。そんな経験は数え切れないほどある。

 障害者であることは、私から切り離せない属性だ。私が障害者である以上、「選ばなければ最低賃金の仕事ならある」という健常者の立場にはなれない。「最低賃金を受け入れれば働ける」ということが良いことなのか悪いことなのかはともかく、「最低賃金」という労働の最低ラインは私にはない。現時点で選べる選択肢のベストミックスを目指して、最も「選びたい」ものに近づけるように心がけるのが精一杯だ。
 さらに、障害者の中には多様な差異があるため、「働く」「働かない」「働ける」「働けない」をめぐる分断が容易に発生する。一般通念的には「働けない」人を働かせたりお目溢ししたりして、「働かない」人を非難する流れになるだろう。でも、働きつづけている障害者である私は、口が裂けてもそんなことは言わない。1970年代から1980年代にかけて、「働けない」日本の障害者たちは、賃労働という意味で「働かない」立場しか選べない自らの立場を肯定的に受け止め、日本の障害者福祉を切り開いてきた。だから、障害者が自分の仕事に巡り会える可能性が少しは高まってきた2022年がある。勤労に関する健常者の言説に安易に反応すると、働けない障害者、働かない選択をしたはずの障害者(内心にはいろいろな葛藤がある)を傷つける可能性がある。このことも、和田さんのご著書についてダンマリになった一因だった。
 私は働く障害者であることによって、間違いなく、常に誰かを傷つけつづけている。そんな私は、健常者の「最低賃金」について、どんな表情で何を言えばよいというのだろうか。

花壇の花を踏みつけたかったエピソードについて

 第3章末尾近くのコラム「分からないことは恥ずかしいことじゃない」の中に、和田さんが不遇だった時期のエピソードがある。

あるとき駅に向かう途中の狭い路地で、小さな花壇に花が綺麗に植わっているのが目に入った。わあ、素敵って思うか? 違う。綺麗な花がたまらなく許せなかった。「花なんか咲かせやがって!」とむしゃくしゃした。私には花一本買う余裕がなく、ましてや花壇なんて持てない。私の靴が2足も並べば埋まる小さな花壇に猛烈に嫉妬して、それを踏みつけようとした。

 和田さんはこの時、実家に身を寄せた後、東京に戻ったところだった。和田さんには、そんなふうに一時的に戻れる実家がある。そこで自分を責めたり泣いたりすることが許される。私には想像も及ばない状況だ。2017年、寝屋川市で精神障害を持つ女性が家族に監禁された末に亡くなった事件を知った時、私は「他人事じゃない」と戦慄したのだった(なぜ戦慄したのかの詳細は、ここには書かない。とりあえず根拠はある)。

 そして、花壇と花。周囲の状況に関する記述は、「駅に向かう途中の狭い路地」だけ。どういう路地で、どういう家が建っているのか。どのような家の、どのような花壇なのか。そんな小さな地面を大切に花壇にするような地域なら、地価はけっこう高いのだろう。でも、そこに住んでいる人がお金持ちとは限らない。「家だけはあるけれど生活費は少ない年金や生活保護で」というパターンもある。
 その花壇は、余裕を見せつけるような花壇だったのか。それとも、「せめてもの」感が漂う花壇だったのか。その中間に位置する花壇なのか。和田さんに踏みつけたくなる「スイッチ」が入った状況は、どのように読み取るべきなのか? どのような花壇であるのかによって変わってくるはずだ。しかし、その手がかりとなる記述が全くない。
 とりあえず、私はまったく感情移入できなかった。
 私が同じ花壇を見たら、「あら、私のために咲いてくれてありがとう。私のために咲かせてくれてありがとう」となるだろう。花壇ではなく、路肩のアスファルトの割れ目から芽吹いている草花に対しても、いつもそうだから。それ以前に、「狭い路地」は整備に関する折り合いがつかずコンクリートブロックやツギハギしたアスファルトでガタガタの私道かもしれない。私は電動車椅子の前輪にダメージを加えないように慎重に通ることに気を取られ、花壇に気づかないかもしれない。もしかすると、その路地は暗渠で車止めがあり、私はそもそも入れないのかもしれない。

 あらゆる人に訴求できる書籍が、あるわけはない。書籍が読者を選ぶこともある。私はたまたま、和田さんのこのご著書に選ばれなかった。和田さんを選ばず私を選ぶ書籍もある。それだけのこと。

理想を捨てないリアリスト、小川淳也氏の原発論

 和田さんのこのご著書は、衆議院議員・小川淳也氏との対談から生まれている。小川氏の考えと意見を知るためには、小川氏の著書を読めばいい。根拠や論拠とともに効率よく理解できるだろう。しかし対話だからこそ、小川氏の人となりが率直に示されている。

 環境・エネルギー・原発がテーマとなっている第5章の3節目「分かり合えない原発の話」には、原発容認の小川氏と原発反対の和田さんの意見の対立がそのまま示されている。小川氏の意見は以下のとおりだ。

 20~30年でしっかり原発からも化石燃料からも卒業して再生可能エネルギーに転換できれば。

 (もしも東日本大震災クラスの自然災害があっても、今の原発は)ある程度耐えられる可能性があります。もちろん何が起きるか分からないですが、僕の認識では原発を動かしていても、止めていても被害に大きな差はありませんよね。最終処分場の問題も今、原発を止めてもすでに大量の廃棄物があります。

 私の認識は、小川氏と共通点が多い。ただし私は、「大規模プラントを動かす」ということを、2000年以前の半導体分野の企業内研究者として我が身で知っている。その観点から、「もちろん何が起きるか分からない」の部分には、「結果として無事で済むか済まないかは巨大な賭け」と付け加えたい。「原発を動かしていても、止めていても被害に大きな差はありません」については、あまりにも粗すぎると感じる。動かし方や止まり方や「万一」が起こるタイミングで、大きな差がついてしまうものだから。原発自身の技術の進展で「万一」の際の安全性は高まっているけれど、その「万一」が「未曾有」かつ「想定外」だったら? 原発での発電プロセス自体は二酸化炭素をあまり排出しないけれども、原発や燃料のサイクル全体を見ると、必ずしもそうではないかもしれない。

 とはいえ、地球温暖化は待ったなし。化石燃料の使用を減らしつつ、大きな無理なく円滑にエネルギーの移行を行うためには、当面の間、原発を併用するしかなさそうだ。
 数世紀にわたる研究は、大きな気候変動があると格差が拡大して社会が不安定になり、何らかのきっかけでテロや戦争へと容易に結びつくことを明らかにしはじめている(関心ある方は私の過去記事を探してみてください)。そのサイクルは、逆回しが可能かもしれない。原発も利用しつつ気候変動を抑え込んで社会を安定させることに成功すれば、テロや戦争のリスクは自然災害リスクとともに減り、原発のリスクを減らしつつ脱原発に向かう可能性が生まれる。だから、EUも当面の原発容認に転じたのだと理解している。でも、その直後、ロシアがウクライナに侵攻し、最大で2つの原発を支配下に置いた。「人質」ならぬ「原発質」である。テロや戦争の時に原発がターゲットとして狙われるリスクは、「もしも若狭湾の原発銀座に近隣某国のミサイルが命中したら」といった形で、広く認識されてきているではないか。
 2022年4月、気候変動が抑え込めていなかったところに、ロシアのウクライナ侵攻で全世界的に社会の不安定性が高まり、原発が存在することのリスクも高まってしまっている。この状況の中で、それでも人類は次の一手を探さなくてはならない。今、原発について語るべきことは、「推進」「容認」「脱」「反」ではないと私は思っている。

 さて、上記の引用の後、小川氏による原発とエネルギー問題への語りが続く。かなり詳細で説得力も強い。「もしも実行できる状況なら実行するのだろう」という印象を受ける。マントラとしての「反原発」「脱原発」ではなく、数十年以上にわたるかもしれない「脱原発」への道筋が具体的に示されていることにも好感を抱く。最大の問題は、小川氏が実行できる状況になれるかどうか、たとえば総理大臣になれるかどうか、なのだが。

原発反対は、心情や頑固さの問題なのか?

 小川氏の原発論に対し、和田さんは、原発事故から避難した人々や自死した人々の遺族の声を聴いた経験を語る。そして「それでも原発はただちに全基廃炉へ、と言い続けたい」「やっぱり私は原発が怖い」という。和田さんは「私も相当に頑固だ」という。

 私には「心情や頑固さの問題なのだろうか?」という疑問が残る。福島第一原発事故が、どのように地域と人々と暮らしを破壊し、影響がどのように細くわかりにくく(たとえば自主避難者の上に)残り続けているか。どのように人命を奪ったか(双葉病院に取り残されて亡くなった人々のことを忘れてはいけない)。それらは、理解しようとしてきたし忘れないようにしてきた。日本人平均に比べれば、私は理解し忘れずにいる方ではないかと思う。

 和田さんの「全基廃炉へ」に頷けないのは、今、日本にある原発を全部廃炉しはじめても終了まで30~50年の時間がかかり、廃炉の途中は必ずしも「動いているより安全」と言える状況が続くわけではないからだ。

 原発が怖いのは、私も同じだ。事故が起こっていない期間は、途方もない技術力と人的資源の投入と日々の安全への努力と運によって「今日は安全でした」が続いているだけ。「今日は安全でした」が一日一日積み重なるという奇跡は、明日も続くとは限らない。
 原発にかぎらず、プラントは全部そんなもの。「プラント」と呼ばれていない生産施設の多くだって、周辺数十kmに及ぶ被害を及ぼすことはないけど似たようなもの。2022年2月、新潟県のせんべい工場の火災で清掃員の高齢女性たちが亡くなった出来事を思い出してほしい。技術は万能じゃない。日常の身の回りの何もかもでさえ、わかりきっているわけじゃない。「米の粉」といった素材でも、粉塵のふるまいは未だよくわかっていない部分が多いようだ。
 私は「米の粉だって大火事を起こす、だから原発は安全だ」と言いたいわけではない。「完全にわかっているわけではなく、安全だと言い切れるわけがない」という部分は、内容と程度の差はあれども原発と共通しているということ。そして何の事故でも、日常は奪われうる。人命が失われることもある。大きな原発事故の特徴は、広い範囲に深刻な影響が長期に継続することだが、化学プラントの大事故も似たようなもの。安定した(=分解されにくい)有害物質が環境にぶちまけられると、放射性物質と違って「半減期」が存在しないため、より深刻な被害になりうる。

 いつ、何が起こるかわからない。すべてを知ろうとしても、知ることができたとしても、次に起きることを予測することはできない。一瞬先は闇。怖がろうと思えば、いくらでも怖がることができる。そういう日常の中に潜むリスクや不測の何かを恐れる「怖い」という感情と地続きの意味で、私も原発は怖い。同じ意味で、火力発電所も怖い。でも、そんな遠くのリスクを怖がってる暇があったら、近くのコンセントを点検したほうがいいかもしれない。溜まったホコリが湿気を帯びて通電するトラッキング火災は怖い。そもそも私は、危険物てんこもりの半導体業界の研究の現場に、通算13年いた。危ない液体や気体を流すパイプが、壁面や天井や床の下を這い回っている環境だ。「怖い」と思ってないと安全対策がおろそかになる。だけど「怖い」という感覚を少しくらいは慣れで麻痺させないと、仕事にならないし安全対策もできない。原発で働く人々も、そういった割り切れなさの中で、日々の仕事をこなしているはずだ。

分かり合えない。これって私のせいですか?

 なんとなく、私には確信がある。和田さんと私は、直接対話すべきではない。自分を自分でありつづけさせるために信頼している経験や感情や感覚に共通部分が少なすぎて、相互理解に至ることはなさそうだから。ギャラリーに面白がるネタを提供して少しくらい考える素材も提供するような対立や齟齬なら、生まれるかもしれない。だけど私は、同世代の女性2人が「女の敵は女」とされかねない状況を作りたくない。

 和田さんがおそらく知らず、私はイヤというほど知っているものがある。男性社会の視線だ。女性がマイノリティでありエイリアンとして扱われる場面において、どのように処世すれば潰されずに生き延びられるのか。そんな場面は誰も経験しないに越したことはないのだが、私は経験し続ける人生を歩んできてしまった上に、現在は「障害者」というマイノリティ属性またはエイリアン属性まで背負っている。
 和田さんの経験も、社会的強者の経験とは言えない。しかし、「数でいえばマジョリティだけど社会的弱者」という点において、私の経験とは全く異なっている。
 安易に共通点や相違点を探したり互いに評価させられあったりするような場面は、そもそも発生させないようにすべきだろう。洗剤の「混ぜるな危険」みたいなもの。

選ばれなかった読者として

 繰り返しになるが、私は本書を読んで「自分自身は読者として選ばれてない」と感じた。小泉今日子氏による「可愛い本」という評価は、私にとって追い打ちだった。なぜ、そこに「可愛い」という用語法が成り立つのか。いまだに理解できていない。和田さん自身について深く知っていたわけではないのだが、本書に記された和田さんの歩みを読んで、「素晴らしい人のようだけど、これまで通りに距離を置いていたほうが良さそうだ」と感じた。
 しかし、買ってよかったと思っているし、読んでみてよかったと思っている。
 和田さんやSNSでのご発言からなんとなく感じていた違和感、ご記事から受けていた「素晴らしい内容なんだけど、なんとなくモヤッとする」という違和感の根源は、かなり理解できた気がする。
 たぶん、和田さんの単著だったら、そうはならなかった。小川淳也氏という相手がいての対話だったから、和田さんの人となりや考え方が理解しやすかったのだろう。

 そんなわけで。
 引用や有名人の言及や書評で読んだ気になってるけど、まだ読んでない皆さん。
 これからでも読んでね。


ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。