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人と人の間をあきらめたくない人へ

新刊『「わかりあえない」を越える - 目の前のつながりから、ともに未来をつくるコミュニケーション・NVC』を読んで
著者:マーシャル・B・ローゼンバーグ
訳者:今井麻希子、鈴木重子、安納献
発行:海土の風

 ある日のこと、私が台所の流しに持っていくのを忘れたコップを見て、夫が長いため息をつきました。
「はー」
それを聞いて私は背筋が縮む思いでした。何度となく繰り返される我が家でのパターン。疲れた一日の終わりにちょっと忘れていただけなのに、そんな態度はひどくない?突然不機嫌を撒き散らすことをフキハラって言うの知ってる?私はイライラして怒りの衝動に駆られました。そして、そんな風になった自分にも自己嫌悪がつのり黙り込む。それが私のパターンでした。
 三十年以上も共に暮らしていると、こういうとき相手の言いたそうなことはだいたいわかります。激しい口論をした時期もあるけれど、今はお互い大人になって無駄な体力は使いません。けれど出口を失った怒りや悲しみは澱のように静かに心の底に沈殿していきます。

 ひとは何故「どうしてわかってくれないの!わかってよ!」といいながら、同時に「あの人は理解できない」というのでしょう。もう二度と会うことのない人ならともかく、毎日顔を合わせている家族とわかり合えない悲しみは深いものです。そんな家族とわかり合えなくて悩む人々のなんと多いことでしょうか。

 先日、私は『「わかりあえない」を越える』という本と出会いました。『「わかりあえない」を越える』って、本当にできることなのだろうか?この本を手に取る人はきっとそんな疑問と、もしかしたらできるのかもしれない、そんな期待を持っていることでしょう。

 著者のマーシャル・B・ローゼンバーグは、非暴力コミュニケーション、または平和的コミュニケーションと訳されるNVCを体系化し、世界の対立や紛争を平和的に解決することに尽力してきた人です。
 日本では二冊目の翻訳となるこの本は、私たちに「平和のことば」の使い方を教えてくれます。この本の中でマーシャルは繰り返し、NVCの目的は「思いやりのある与え合いが可能になるような方法で、他者とつながること」(p.39)だといいます。

 まず「つながり」ありきなのです。ああ、やっぱりそこからなのか。私は遠い目になりました。平和になる道はあまりに遠く、果てしない。途方に暮れます。いったい目の前のとりつく島もなくわかってくれない人と、どうやってつながることが出来るというのでしょう。

 マーシャルは、まず最初にこの問いから始めるようにいいます。
「今、あなたのこころの中で生き生きとしているものは何ですか?」
 今までいったい誰がここに目を向けてくれたでしょうか。親や兄弟はもちろん自分自身でさえも、自分の中で息づいている生き生きとしたいのちの衝動を見て見ないふりをしてきたのではないでしょうか。それはまるで目の輝きを失ったたくさんの大人たちのように。自分の中で息づいているものに正直になることなしに何を言って、何を作っても、いくら外形を整えたとしても、いのちが吹き込まれていないハリボテがいくつも出来上がるだけです。

 けれども、そこを見ていくのは、ときに辛いものです。自分の中にあるほんとうの悲しみや痛みを見つめることになるからです。今まで自分を見つめる作業はたくさんしてきたつもりの私も、核心に近づいていくとヒリヒリとした痛みを感じます。
 それでもマーシャルは、その扱い方も丁寧に順序立てて教えてくれます。まず「第一歩は『嘆くこと』、つまり、ニーズが満たされずにいる自分自身に共感することから始めます。」(p.105)

 私は、自分の奥深くに沈殿している忘れていた感覚を思い出しました。それは中学生のときの記憶です。もっと頑張れ。もっと向上しろ。弱音は吐くな。昭和の時代はみんな頑張っていてそれが当たり前でした。でも家族と家にいるときくらい、ホッと一息ついてあたたかい言葉をかけてもらいたかった。当時の私が何よりも求めていたものは、優しさとあたたかさでした。
 ああ、私はこんなにも優しさが欲しかったのか。そして、それをわかって欲しかったのか。何年も経った今も心の奥底で生き生きと息づいている「願い」。それを取り出してみつめたとき、自分の中から熱い思いがあふれてくるのを感じました。同時に、叶わなかったその切なる「願い」を感じていると、力が抜けていきます。
 「いのちとは、自分のニーズに触れることができている状態そのものです」(p.105)
それを理解したとき、私は生きているジッカン!がわいて手先まで血液が流れてくるような感覚がありました。

 ここでマーシャルは、相手の中にもある生き生きとしたいのちに関心を向けるようにいいます。相手もまた血が通う同じ人間であり、自分には想像もできなかったとしても、生き生きとしたいのちのニーズをもって生きているのです。
 ああ、そうだったのか。ひとはなんて不器用なんでしょう。なんとかニーズを満たそうとしてがんばって選んだ手段がぜんぜん上手く伝わっていないよ。そのことにさえ気づかないまま、満たしたいニーズのために懸命になっている。私はちょっと笑えてきました。人は誰でもみんな自分のニーズを満たそうと一所懸命です。夫の長いため息もまた、何かを私に伝えようとしていたのです。どんな行動の奥にもその人の健気なくらい大切なニーズがあるのですから。

 この本の中でマーシャルは「まず、わたしたちに必要なのは『”敵”のイメージ(エネミー・イメージ)』から自分を解放することです」(p.174)と言っています。この解放ということばに私はハッとしました。相手のせいで困らされているのではなく、私たちは囚われている自分を、自分で解放する力を持った選択できる主体なのです。
 私はため息をついた夫から飛んできた不機嫌な矢と、イライラした怒りを自分から取り外したところを想像してみました。言うのとやるのは大違い。そんなにすぐ簡単にはいきません。うまくいったと思ったら何度も失敗し、「ヘマをすることを楽しみつつ」(p.108)、自分自身に共感して、自分が何を必要としていたのかを何度も何度も反芻し、またもう一度やってみます。

 NVCは「人生をよりすばらしいものにする」ゲーム(p.249)です。「わかりあえない」を越えてつながろうとしても、うまくいくときもあればいかないときもあります。諦めそうになるときもあります。しかし、たとえそれが長い道のりであったとしても、道の向こうに光が見えるとき、私たちは希望を持って進むことができます。平和を築く方法とともに、この本でマーシャルはその光についても、さまざまな具体例とともに示してくれています。
 読みすすめるうちにやっぱり私も「平和のことば」を話すひとになりたい。あきらめたくない。そう思いました。「わかりあえない」ことに途方に暮れながらも「わかりあえる」日に向かって希望を捨てたくない。そんなあなたに、この本をおすすめします。




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