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『あたらしいサハリンの静止点』収録作冒頭試し読み③:千葉集「回転する動物の静止点」

語られるのは「動物回し」なる謎のゲームに興じる子供たち。めちゃくちゃなようでいて、光る表現、光る文章がそこかしこに! そして独特のユーモアとドライブ感。ぜひ読んでみていただきたい一編です。―宮内悠介

第10回創元SF短編賞・宮内悠介賞を受賞した千葉集さんの「回転する動物の静止点」冒頭試し読み版を公開します!

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千葉集「回転する動物の静止点」


 それは滅びつつあるスポーツだ。
 それはカルトだ。それはクラブだ。それはドラッグだ。それは友愛会だ。それは家族だ。
   チャック・パラニューク Where Meat Comes From
 その静止点じゃなきゃダンスできないし、そこじゃダンスしかないのだし。
 どことは名指せないけれど、わたしたちが「そこ」にいるってことだけはたしかなんじゃないかな。
   T・S・エリオット Burnt Norton, Four Quartets


 シロクマは予想していなかった、とわたしたちの誰もが口をそろえる。まして回るとは想像もしていなかった。
 出席番号十一番《高野》はあの日の昼休み、淡い蜂蜜色の巨獣をつれだって〈アリ地獄〉に現れた。どこからやってきたのか。地をどよもす四ツ足、その濃厚な息は北極の冷気をはらんでいた。
 本来は《高野》の順番ではなかった。ところが彼は次戦に控えていたクラスメイトの前に平然と割りこみ、発されかけた抗議を分厚い被毛の壁で封じた。周囲の誰の声も届いていないようだった。《高野》はふだんからおとなしくて目立たない生徒ではある。しかし、この日の彼は静けさに凄絶な呼吸を宿していた。
 対手がセットポジションにつく。《高野》が顎で合図すると、シロクマは後ろの二本肢で不格好に立ちあがる。《高野》は茶色い爪のすこし黄味がかった先端をにぎり、やや愛おしむように口の端を上げると、おもいきり勢いつけて放った。
〈アリ地獄〉上で回転体が猛く白く揺れる。悪臭が校庭じゅうに散り、わたしたちは鼻をつぼめた。だが、そむけない。見逃せない。
 回れば回るほどに抽象の度合いを増していく。顔も爪も持たない純粋な白になっていく。
 みな、それまでコマとはせいぜい大型犬程度とたかをくくっていた。ところが、そのとき回っていたシロクマの体長はわたしたちの二倍以上はあって、体重となると何十倍なのか見当もつかなかった。あの瞬間。あの圧倒的な角運動量。ベルクマンの法則が、わたしたちを平等に卑小な存在であると自覚させた、あの十五秒。
 対手である《エルサレムの名探偵》のコマはカラスだったとおもう。どんなふうに回っていたかなど、いまさらどうでもいい。あの試合で《エルサレムの名探偵》についてわたしたちが憶えているのは、彼女のコマが十六秒以上回っていたこと。そして、接触しないままシロクマが十五秒で地に伏したこと。
 出席番号十一番《高野》はもうわたしたちではない。だが彼の敗北は革命だった。
 試合後、シロクマは溶けた氷のように失せたけれど、誰もあれを幻覚かなにかだとは考えなかった。見ることは奇跡と信仰を証す。その日の奇跡は、動物回しのパラダイムを動かした。《高野》は動物回し創始以後で最も偉大なアニマルスピナーである。わたしたちはそう認める。
 栄光に満ちた敗者は二度とジャイロの魔法を操れなかったとしても、あるいは過去であるからこそ、敬意を払われた。廊下ですれ違うとき、給食の時間におかずをよそうとき、体育の授業中にドッヂボールで内野と外野を交代するとき、わたしたちは彼の耳もとに一言二言をささやいた。かけることばはそれぞれに異なったが、いずれもおなじ方角を指していた。
《高野》の革命。それは「身の丈以上の動物も回せる」と示したことにある。シロクマを回せるのであれば、クジラだってなんだって回せる。十分な角運動量さえ与えれば、この銀河だって回るかもしれない。回りつづけることでいつか死人さえ甦るようになるかもしれない。あの日の〈アリ地獄〉で回っていたのは純白の可能性だった。
 そうしてわたしたちは、シロクマのいなくなったグラウンドであの紙片を拾う。
 
 はじまりはもちろん光だ。
 動物回しは台風によってもたらされ、包まれたまま静止していたわたしたちも回りだす。

 八月二十日未明にキリバス近海で発生した台風十八号は、異常な速度で発達し、非常に強い勢力を保ったまま西日本へ上陸した。十一の河川を氾濫させ、三つの県で計七つの町村を大水に沈めたのち、八月二十九日早朝には京都府全域を覆った。その時点での中心気圧は九百三十一ヘクトパスカル。二ヶ月前に破滅的な被害をもたらした二号をしのぎ、戦後四番目の勢力だった。上陸の報を受けた気象庁は、京都市内全域に対し「不要不急の外出は控えるように」と通達した。
 にもかかわらず、《ゲーゲー》はその日、学校の敷地に侵入した。忍びこんだ理由と方法については不明な点も多い。「友だちに会いに行った」というのがいちおうの動機とされてはいる。《ストロベリーさん》は台風の前日に《ゲーゲー》からメッセージを受け取っている。
 ひいちゃんに会いに行く、と書かれていた。
《ストロベリーさん》は、お墓参りってこと? 台風なのに? と問いただしたが、返信はなかった。
「ほら、あれってカノウっちのねえちゃんと仲良かったでしょ」と《ストロベリーさん》は話す。「気持ちはわかる。わかるなあ。あのこが溺れたときも台風で、わたしは頭が痛くてうちにいて」
 八月二十九日の逸話における最大の障壁は御堀橋だ。御堀橋小学校は、その名のとおり水堀によって円く囲繞されている。遠くにのぞむと、正門に通じる橋も道も見あたらない。だが近づけば、正門の手前から一直線に堀を縦断するくぼみがのぞく。別名「もぐり橋」の由来となっているそのくぼみこそ、御堀橋の歩道だ。
 橋の歩道は堀の水位より低い。おとななら、左右の壁越しにたゆたう水際を視認できるだろう。そして、橋へあふれ出しそうな御堀の水に怯えるはずだ。実際、大雨のたびにすぐあふれる。
 御堀橋のくわしい来歴はさだかでない。城址とも寺址ともいわれる。大通り沿いの立札によると、江戸時代の初期にはすでに原型のような石橋が認められていたらしい。市の文化財に指定されたのは昭和に入ってからだ。そのころにはもう米国聖公会が堀の内側で児童に教育をほどこしていた。
 京都には建築基準法や消防法に反していても、孕んでいる伝統のおかげでなんとなしに許容されてしまう建造物がいくつかある。御堀橋もそのひとつだった。
 八月二十九日の御堀橋はまず間違いなく水没していた。台風上陸前の早朝から出張っていたのでもないかぎり、《ゲーゲー》が校内に入れるはずもない。
 それでも伝説は目撃されていた。八月二十九日の午前九時、たしかに《ゲーゲー》は御堀橋小学校のグラウンドにいたのだ。証言者となったのは、《回転する世界の静止点》だ。彼は休みの日によく学校で寝泊まりしていた。夜中に備品室からプロジェクタを引っ張りだし、黒板をスクリーンに翌朝まで映画を鑑賞する趣味があった。もちろん校則違反だ。だが、誰も咎めなかった。
《回転する世界の静止点》は八月二十九日の出来事をこう述べている。
「チャールトン・ヘストンの顔が白々と見づらかった。あれだけ雲が厚い日でも、朝になると自然の光で映画が消える。ヘストンなんてどうでもよかったが、ユル・ブリンナーまで曖昧に薄まるのは耐えがたい。プロジェクタを切ろうとランドセル棚のとこへ行ったら、いきなり閉めきっていた窓とカーテンをぶちやぶって、でかい木が突っこんできた」
 校庭の苗木だった。いうほどに大きくはない。それでも直撃すれば大怪我はまぬがれなかったはずだ。肝を冷やしながら我知らず破れた窓へ近づくと、その向こうに何者かの影が見えた。
「なにかをめっぽうに叫んでいた。よく聞こえなかった。そして、雷が落ちた。閃光、轟音、衝撃。しばらく眼も耳も死んでいた。ようやく見えるようになると、黒くて広い穴ができていて、その横に《ゲーゲー》だ」
《ゲーゲー》は穴に見とれてぼんやりと立ちつくしていた。が、《回転する世界の静止点》から声をかけられた途端、脱兎のごとく走りだし、どこかへと失せた。

 九月の始業式の日は「黒くて広い穴」についての話題一色だった。穴は半径十三・五六メートルの真円を描いていた。ふちから中心へかけてなだらかに傾斜し、すり鉢状を形成している。中心点はそこまで深くはない。穴というよりはくぼみに近いかもしれない。奇妙なほどなめらかな表面を除けば、見た目はただの穴だった。
 あくまで見た目のうえでは。台風一過の翌日、被害状況を調べるため、用務員が穴に立ち入ろうとした。するとたちまちすっ転び、したたかに頭を打った。表面が氷みたく滑りやすくなっていた。
 始業式前の朝の会で、先生は穴について独自の見解を披露した。世の中にはフルグライトのように落雷によって生成される鉱物が存在する。おそらく、校庭の砂に含まれていた物質が雷と反応したのではないか。「ともかく、あの穴に近づかないように。あぶないですからね」
 始業式でも穴の話になった。牧師でもある校長は穴の出現を「今年閉校する我が校に対する神からの督励」と捉え、『詩編』の一節を引用しつつ、やはり穴に近づかないよう訓示した。いまや一年生から六年生までの混成学級一クラスのみに収まった全校生徒二十四名を守り導くのが校長としての責務だとも。
 もちろん、先生や校長のいうことなど誰も聞かない。穴を囲む三角コーンとバーを蹴倒し、「立ち入り禁止」の立て札をへし折り、穴へと殺到する。そして、おおいに転んだ。笑いながら滑り、さけび、はしゃいだ。昼前にはもう〈アリ地獄〉という愛称が定着していた。
 当初、有望とされていた利用法はスケートリンクだった。ところが試しに滑ってみると具合が悪い。微妙な傾斜のせいで〈アリ地獄〉の異名どおり中央部へとひきずりこまれてしまう。スケートリンクには一家言ある《回転する世界の静止点》も「滑りの質が悪い」との評価を下した。
 夕方までに〈アリ地獄〉の将来性のなさは周知のところとなった。新しいアトラクションを半日でしゃぶりつくしたわたしたちは、次なる愉しみを求めて学校を離れようとしていた。
 そこに《ゲーゲー》が現れる。
 彼女は右の小脇に薄汚い野良ネコを抱え、左手にストップウォッチを握り、日本語の響きから隔絶した異言を垂れながしていた。
《ゲーゲー》は〈アリ地獄〉のふちに立ち、暴れるネコの右前肢を握ってぶんぶん振りまわすと、奇っ怪な叫び声をあげて放りなげた。ネコは身をねじりながら宙を舞い、〈アリ地獄〉の傾斜に後ろ肢から着地する。そして、そのまま回りだす。
 絶妙な回転だった、と誰もがいう。わたしたちは回るネコに魅了され、その軌道から目が離せない。ネコは〈アリ地獄〉で何周も弧を描きつつ、次第に中心部へと落ちついていく。やがて、ある一点で留まり、かすかな歳差運動をはじめ、次第にブレを増していき、勢いを失ってバタリと倒れた。
「三十七秒ッ!」と叫んだのは、さきほどまで意味をなさないことばばかり口走っていた《ゲーゲー》だった。「立派だッ! 実に……立派な回転だったッ!」
 そして渦巻くようなうめきを発すると、今度は自分が昏倒した。彼女はそのまま二学期をほぼ病床で過ごすことになる。
 出席番号十二番《ゲーゲー》はもうわたしたちではない。
 けれども、不在は彼女を死人ではなく始原にした。


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試し読みはここまでです。本編が気になる方は、サークル第三象限『あたらしいサハリンの静止点』をよろしくお願いいたします!

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