感傷と滑稽/映画「首」感想


北野武監督 「首」観に行ってきたので感想を書きます(何もかものネタバレ含む)。




◾️とにかく飛ぶ首
予告を見てグロテスクなのは覚悟して観に行ったんだけど、こちらが怖がる隙もないくらいにぼんぼんと首が飛ぶ。人は次の瞬間に死ぬ。
時代の容赦なさや命の軽さをそらもう物の売り買いより簡単に見せつけられて、
農民の茂助すら友だちを戸惑わず刺すし、武将たちのなかでは比較的穏やかに見える光秀でさえ八つ当たりに人をざくざくバンバン殺す(もちろんなにも穏やかではない)。
コント三人衆の秀吉と官兵衛でさえ、脚を怪我したときにおれは助けなかったけどね、なんて無慈悲なことをけろっと言っていた。
途中から慣れが出てきて物語構造的にもそこまでグロさや痛みを感じるようなものではないと思えるようになった。
愛しあい抱きあうそばからなんてことないように人を殺す。あまりにも人間らしい。北野映画の特徴らしいがそのドライさはドラマチックさを演出する寒さがなくてすごく好きだった。



◾️武将たちのラブロマンス
私が時代劇をほとんど観ないせいなのか知らないが、ここまではっきりと男色を映すのには面食らった。信長・光秀・村重の三角関係。その他あっちこっちに手を出す男たち。セックスシーンも出るわ、濃厚なキスもするわ。
でも、言うてそこまで湿気っていたというかどろついているわけでもない気がする。命を懸けて忠義を誓うくらいだから身も心も捧ぐという意味では性愛が含まれているのはもはや当然とも言えるし、そこに裏切りがあるのが戦国時代の常だ。
なん股しようが心にもない「お慕いします」が出ようが気持ちのない口吸いがあろうが普通。
私にはどれもこれも本心の愛情というよりは天下のため、命のために身体を使う(性的な意味で)に見えたな。
むしろ一般的な時代劇のほうが情念的な意味ではどろどろの愛憎が渦巻いている気がする。性愛を表しながらもここまでドライなのすごいわ。



◾️武の世界と、その外側
ストーリーは信長が天下をとって毛利との戦の最中〜本能寺の変、そして光秀が秀吉に打たれるまでなのだが、序盤と後半で違う映画観てるのかな?と思うほど私の感じ方が変わってしまってすごく混乱した。でも結果、それがすごくおもしろかった。
序盤は主に謀反を起こした荒木村重とそれを匿う明智光秀、そして村重を探す信長とその他武将たちの謀略と衆道をえがいているんだが、とにかく信長の狂気がすごい。のっけからあの緊張感に呑み込まれてしまって、まだ首の飛び方にも慣れていないから心臓がばくばくなる。
村重が逃げおおせて光秀が信長に嘘をつき匿うあたりも、信長にバレたら死ぬぞ!!!という緊迫感があってハラハラした。(ここで曽呂利新左衛門が出てくると緊張が緩和してとてもよかった)
だが、秀吉が裏で謀略をめぐらして、というより三人でコントしつつ色んな人に手を回して本能寺の変が起こってからは、コメディ映画を観てるのかな?と思うくらいにウケてしまう。
さっきまでめちゃくちゃ怖かったはずの切腹も介錯も全然怖くない。なんなら清水宗治の自決シーンとか秀吉と一緒に「さっさと○ねよ!」って思っちゃってた。
ここらへんすごく巧みで、信長を初っ端に据えて観客を一気に「武の世界」に引き込み、狂人に支配された世界とその内側で生きる者の覚悟や感傷、そして性愛を見せつけられる。観客もその世界の内側に入れられる。
でも「おれは武士じゃない」とはっきり言っちゃえる秀吉や、もう芸人になった曽呂利新左衛門など「武の世界」の外側の人間からすれば、それらの感傷も本気もすべてがアホで滑稽にしか見えない。
信長が死に、物語の主軸が秀吉に移ればさっきまで固唾を飲んで見守っていたはずの武士の切腹さえもコントになってしまう。
「武の世界」の住人である光秀(そしてその住人になろうとしていた茂助)は信長のことを討ち取ったはずが、構造の外側にいる冷静な人々によって滅ぼされてしまうのは自然なことなんだよな。
「首」に取り憑かれた者とそうでない者。オチの秀吉は爽快で、思わず笑っちゃったし、こうやって「ハイ、終わり!ありがとうございました」と締めくくってくれるのはさすがというか、映画っぽくはないかもしれないけど親切だし面白いと思った。



◾️信長という男
「首」における信長という男は、狂人!やばすぎ!パワハラ上司!最高!と評されている。
この信長、「武の世界」というどう考えてもおかしい狂った道理とごく真剣に向き合う世界のなかで、一番その構造に適応していた人物と言えるんじゃないだろうか。
忠義、覚悟と言いながらも本音と建前の儀礼的な社会でしかない武士の世界で、真剣に狂い、真剣に愛し、真剣に遊び、一方で冷静に他の者を観察して値踏みし手を回す。信長は狂っていたし、冷静だった。
能を鑑賞しながら「この世の人間、ぜんぶ血祭りにあげたるわ」「それで最後に自分の首を斬り落としたら、一番スッキリするやろう」(うろ覚え)という台詞を静かに言うシーン。
私がこの映画の中で最も気に入った場面なんだが、信長の少し潤んだ正気の瞳には、狂気に自ら飛び込んだ者のなんとも言えない絶望が見えた。敦盛の演目のように、死後の世界でしか人と真に触れ合うことなどできないと思っていたのかなぁ。
加瀬さんがインタビューで言っていた、「どこかでは死ぬのを期待して待っているといいますか、自分を殺せるヤツがいるなら殺してほしいという感じがあったと思います。」というのを、随所に感じた信長だった。
信長が蘭丸をはじめいろんな男に手を出していたのも、光秀を殺そうとして「お慕い申し上げておりました」で掌返したのも、自分への愛を信じていたというよりは、愛の遊びを面白がっていたというほうが近いような気がした。
信長は自分が誰も愛さない/愛せないから、誰かの愛が欲しかったように見えたし、それでも自分が誰も愛さない/愛せないからこそ、どんな人の言葉や行為も信じることができなかった。そういう風に、私には見えた。
「武の世界」の構造の内側に存在しながら、その世界で遊び尽くそうとした信長だからこそ天下をとれた。「首」の信長は狂気性ばかりが取り上げられるけれど、確かに天下人である風格や確証を感じることができてすごく良い役だった。
そしてまた、彼が終わるのはやはり「武の世界」の外側の人間からだったな。あまりにもあっさりと、あっけなく死を迎える信長。意外と本望だったのではないかと思う。



◾️信長の死、その後の物語
信長の首は、「武の世界」の外側の人間が信長を討ったために見つからずじまいだった。そのせいで、構造の内側にいる光秀は首に囚われて天下を確実に掴むことができない。ここで信長の死に様が効果的につながっていくの本当におもしろくて最高だ。
信長の首。「武の世界」に居る者たちにとって、最も重要なファクターがない。首がないことは、つまり信長の世は終わらないということで、これ以後終わることなく信長という存在がこの世界の地につねに存在しているということになる。
だからこそ、「首」を蹴り落としそんなもんどーだっていいんだよ!と言えてしまう外側の人じゃないと世界を塗り替えることができないんだな。美しく計算された展開。
信長以後の、秀吉・秀長、官兵衛の3人コントはかなりおもしろくて吹き出してしまう場面もあった。秀吉が吐いちゃうところとか、それでも彼らが甘いわけじゃないのもすごく良かった。



◾️おわりに
加瀬さんのファンとしては何度も観たい作品ではないが(自分の好きな人の顔をした信長が暴力の限りを尽くしたり人前で男を犯したり血みどろのキスをしているため)、とにかくおもしろかったので何度も観たいと思う。
時代劇あまり観ない人や北野映画初心者にお勧めだな。なぜなら私がそうなので。
これから北野映画もっとたくさん観たい。






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