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ディズニーは大衆の反ポリコレ意識を育てるため、あえて悪例を作り続け、埋伏の毒たらんとしているのである。

生まれ変わるディズニー

ご存知の通り、ディズニーは創始者の頃から外見差別(ルッキズム)や人種差別(レイシズム)を始めとした差別意識の塊であり、民族主義(ナショナリズム)と愛国主義(パトリオティズム)を兼ね備えた面倒臭い性質を持ってはいました。
人種や髪色の変更など今に始まったことではなく、ウォルト・ディズニー・カンパニーの伝統的な手法と言えます。

ところが、昨今では世界的なポリコレ支持の風潮もあり、かのディズニーまでもが、
誰かの自己肯定を明示するために前提条件としての存在否定(マッチポンプ)を行ったり、
人種比率カバーのために投入したキャラクターの人種的特徴(ステロタイプ)を誇張してみせたり、
既存のプリンセスの人格を破壊したり、
既存のリスの人格を破壊したり、
その他諸々、確かにマズいところも大いにあるものの、『これで完璧!簡単ポリコレチェックシート』みたいなリストを埋めるが如き作品制作を続けています。
差別主義の急先鋒たるディズニーがポリコレに追従している、これはポリコレ支持層にとって大きな勝利と言えるでしょう。

生まれ変わってないディズニー

しかし、ディズニーは本当にポリコレ意識に染まったのでしょうか?
時代が移り変われども、名を継ぐ企業が創始者の思想から乖離することなど、あり得るのでしょうか?

そう、ディズニーは今、ポリコレ作品を作り続けているのです。
マズいところも大いにあるポリコレ作品を。

旧来ファンに「私の好きだった物を全否定しないで!」と叫ばせる過去改変。
新規ファンにも「これはマズいんじゃないか?」と思わせるストーリー。
100年間もエンタメのトップを走り続けたプロフェッショナルが、何の意図もなくそんなことをするのでしょうか。

馬鹿にするな。ディズニーを舐めるな。
ディズニーは視聴者に示しているのです。
何をか。
通り一遍の要素だけを満たしたポリコレ、その悪辣さ、無意味さを。

恐らく、ディズニーはポリコレ支持層の獅子身中の虫、埋伏の毒として、無能な味方を演じているのです。
そして、人々がポリコレという概念への疑惑を持つように促しているのです。

多くの人は誰かに与えられた知識より、自分で発見した事実を信頼します。
大衆に自ら「ポリコレという概念に、平等や多様性に資する物は何もないのではないか?」と発見させることで、ポリコレ派閥を破壊しようと目論んでいる。
それが現在のディズニー上層部の狙いなのです。

勿論、末端の監督やスタッフには心からポリコレに賛同し、ポリコレチェックリストを埋めることが自らの先進性と英明さを示すことになると考えている人もいるでしょう。
これはディズニー上層部が、隠された目的のためにあえて配置した人材ですが、彼らは極めて優秀な働きをしていると言えます。

この調子で計画が進めば、いつか社会はポリコレ意識を失い、ディズニーは再び自由な、あるいは好き勝手な作品を世に送り出すことが可能になるかもしれません。

ポリコレは今のままで良いのか

コロナ禍における欧州諸国でのアジア人差別の再露見、言葉やジェスチャーに止まらず、消毒液を吹き掛けるといったそれは記憶に新しいです。
人種の坩堝と言われるアメリカですら未だに人種差別は根強く、州によっては公職に就く者ですら命の軽重認識に基づく人権侵害を働きます。
アジア諸国でも国家間での差別はなくなりませんし、男女差別や職業差別、障害者差別など、国や地域によって様々な問題が残っています。

ディズニーは現行のポリコレに一石を投じました。
否、一石どころではなく、何度も何度も石を投げ続けました。
そうして、「それで良いのか」と、世界に訴えかけました。

勿論、旧来のディズニーの感覚がスタンダードになると、それはそれで大いに問題があります。
しかし、長年差別の急先鋒であったディズニーだからこそ気付けた、ディズニーだからこそ叫べた、ポリコレの問題点。
これを、世間の圧力に屈せず白日の下に晒すことができたのは、ディズニーの力あってこそと言えましょう。

ポリコレ賛成派、反対派、双方の派閥が、改めて「ポリコレ」その物について考える機会を得たことを、我々はディズニーに感謝すべきなのです。

万一サポートをいただいた場合は生活費などに充当されます。