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雑穢 #1025

雑穢とは、実際に体験した人の存在する、不思議で、背筋をぞっとさせるような、とても短い怪談の呼称です。今夜も一話。お楽しみいただけましたなら幸いです——。


 夜、歩いていると、近所のマンションの外廊下のライトが瞬いているのが見えた。
 数年前に新しく建った大きなマンションで、十五階建て各階二十部屋ほどが連なっている。それだけで三百戸あるのだが、それが何棟もある。
 ここ数年、駅の混み方が酷くなっているなと思っていたが、そんなマンションがここだけではなく、駅の反対側にも幾つかあるのだから、むべなるかなといったところだ。
 瞬いているライトは、他のライトが揃って煌々と光っている中、とても目立つ。
 上から三階、右から三戸目。そこまで数えて、あれっと思った。
 何年か前にも同じ所が瞬いていなかったか。まだ新築の頃だったように記憶している。その時は妻が先に気づいて、新築なのにそんなことあるんだ、と言っていた。
 思えば妻の記憶も次第に薄らいでいく。この数年で生活は大きく変わったが、何か新しいことを始めようという気力もない。
 上から三階、右から三戸目。
 再度マンションを見上げると、瞬くライトを背に、いつの間にか誰かが柵のところでタバコを吸っている。
 赤い光が緩やかに暗くなり、また明るくなる。
 髪が長いので、女性だろう。
 彼女は吸いさしで火の点いたままのタバコを、空中に放り投げた。
 何てことをするんだ。
 きっとドアを開けて、すぐに部屋に入るに違いない。女が入る部屋を見届けてやろうと足を止めていると、彼女は柵を乗り越えて、あっという間に空中に身を投じた。
 飛び降りだ。
 慌ててマンションの敷地に駆け込んだ。十階以上の高さから飛び降りたのだから、無事ではないだろう。ただ、植え込みに引っかかったりして一命を取りとめることだってある。
 助けないと! 助けに行かないと!
 でも、相手は助けられることを期待しているのだろうか——。
 妻の顔が浮かんで足が止まった。踵を返して家に戻った。何も自分が行かなくてもいい。
 後日、そのマンションの管理会社の社員の一人と知り合った。
 彼は、あの部屋は数年間、ずっと空室だと言うこと、オーナーは一人娘が何年か前に飛び降りて亡くなっていること、そしてその部屋の前の廊下のライトだけ、やけに消えるのが早いのだと教えてくれた。
 あの夜、飛び降りはなかったらしい。
 それ以来、夜の散歩には行かないことにしている。

次の話


雑穢

note版雑穢の前身となるシリーズはこちらに収録されています。一話130文字程度の、極めて短い怪談が1000話収録されています。

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