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雑穢#1037

 中学生の時に体験した話だ。
 その日は、母親が何かの会合があるので、家を留守にしていた。父親はいつも帰ってくるのが遅いので、姉と自分と弟の三人で夕飯を食べるということになっていた。料理の担当は大学生の姉と自分だ。
 夕飯まではまだもう少し時間があるので、自室で宿題をしていた。
 自室は二階にある。我が家はリビングが吹き抜けになっており、自室から廊下の手すりを通して、リビング内を見下ろすことができる。
 換気のために部屋の扉を開け放っているので、机から視線を外せば、すぐに一階を確認できる。リビングでは、姉と弟が一緒にテレビゲームを遊んでいた。
 プレイ中の音楽と、姉弟の楽しそうな笑い声を聞きながら勉強をしていると、不意に腕に消しゴムが当たって、床に落ちてしまった。
 ——拾わなきゃ。
 どこに落ちたか見回してみると、ドア近くの手の届かない位置に転がっていってしまっている。椅子から立ち上がり、前屈みになって消しゴムを拾う。
 その時、つい今まで聞こえていたテレビゲームの音が、ボリュームでも下げていくかのように聞こえなくなった。
 急にどうしたのだろうと思いながら顔を上げると、廊下に弟が立っていた。
 弟は自分の腹でも見ているかのように極端に俯いた状態で立ち尽くしている。
 ついさっきまで下にいたはずなのに。急にどうしたんだろう。
 そう思って視線を一階のリビングに向けると、音は相変わらず聞こえなかったが、弟と姉は二人してコントローラーを握って、テレビに向かってゲームをプレイしている。
 弟が二人いる。
 体温が急に下がった気がした。
 顔は見えないが、弟は顔を下に向けたまま目の前に立っている。リビングでは弟がゲームで遊んでいる。
 着ている服も同じ。髪型も同じ。背格好も同じ。
 なら、この弟は何者だ——。
 確認しようと再度リビングに視線を合わせると、少しずつボリュームを大きくするようにテレビゲームの音と、姉が弟にそろそろ料理を始めると伝える声が聞こえてきた。
 視線を戻すと、もう弟の姿はなかった。
 視線を向けたのは時間にして一秒にも満たない間だ。
 異様な経験に、その場を動けなかった。
 拾った消しゴムを手に握ったまま一階まで降りていくと、姉が自分に気がついて声を掛けてきた。
「勉強終わったのー? 今から夕飯作るから、ちょっとゲーム変わってくれない?」
「あ、うん」
 コントローラーを渡そうとしてくる姉に、弟が二階に来たかと訊くと、ずっと一緒に遊んでいたから、そっちには行っていないよと言われた。
 弟にも再度確認すると、彼はテレビから視線を外さずに答えた。
「今いいところだから行きっこないよ。代わるなら早く代わって」
 そう言って、ゲームへの参加を促された。

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