名曲怪説02『サーフボード』(後編)

 えー、いきなりですが、前回の記事に間違いがありました。

 最後に出した楽曲構造の譜例ですが、Bのあとに続く16小節分がすっぽり抜けていました。お詫びして訂正いたします。(譜例はすでに訂正済みです。)

 さて、予告通り今回は「トライトーン」をキーワードとしてジョビン作曲の『サーフボード』について控えめな音楽分析的視点から書いてみます。

 Bの部分の旋律を楽譜にすると次のようになります。(後の説明の都合上、1オクターブ高く記します)

【譜例1】

 前回すでにこの曲が2分の2拍子であるということを種明かししてしまったので、正しい拍子にしたがって記譜しましたが、これもはじめて聴くと、

【譜例2】

 こんなふうに捉えて(書いて)しまうことでしょう。しかもこのパターンの開始4小節間はベースやドラムスといったリズムセクションがお休みなので、あらかじめ知っていないと【譜例1】のようにはならないと思います。

 以上は前回扱ったポリリズムの内容になりますけど、もしこの部分を聴いて、なんだかふわふわと宙に浮いたような不思議な気分になったとしたら、それはポリリズムだけの問題ではないのです。ふわふわの秘密は、ずばり……卵白にあります! なんて冗談はいらないですか、そうですか。
 秘密は音程にあります。行ったり来たりする2音を重ねて書くとこうなります。(そもそも音程って何? という人はこちらのサイトなどを参照してください。)

【譜例3】

 1オクターブ(低い「ド」から高い「ド」まで)は、いわゆる西洋音楽の場合は12等分されるのが基本となっていて、そのひとつ分を半音(短2度)と呼んでいます。そして半音ふたつ分を全音(長2度)と呼びます。
 ということは「シ」と「ファ」のあいだには6つの半音が存在することになります。

【譜例4】

 2半音=1全音なので、「シ」と「ファ」は3つの全音からなる音程だということがわかります。そんなわけで、この音程のことを三全音と呼ぶことがあります。これを英語にするとトライトーン
 じゃあ「シ」から「ソ」までは四全音っていうの? って疑問がわくと思うのですが、三全音以外は「○全音」という呼び方をしません。それは、三全音がほかのあらゆる音程と違って特殊な音程だからです。
 なぜ特殊なのか。それはこの音程を鏡に映してみるとわかります。みなさま、お手元に手鏡をご用意いただき【譜例3】を映してみてください。


 というのは冗談です。(yukaちゃんはたぶん実際に手鏡で映してくれちゃった思うな。)
 鏡に映すというのは比喩で、こういうことです。もとの音程は「シ」から半音という階段を6段上って「ファ」までたどり着いたわけですが(音程を数えるときは下から上にいくのが基本)、逆に「シ」から6段降りてみます。

【譜例5】

※このように、ある音形を鏡写しにする操作を音楽用語では反行と言います。「レ ミ ファ」を反行させると「レ ド シ」。

 すると、どうでしょう。上っても下っても同じ「ファ」にたどり着くではありませんか。これこそトライトーンの特殊性です。(試しにほかの音程で同じ作業をしてみてください。)
 トライトーンには実はニックネームがあります。音楽の悪魔。気の毒なニックネームですね(笑)
 ニックネームの由来は中世の時代まで遡ります。手元の音楽辞典によると《和声的に耳障りで旋律的にも歌いにくいため、作曲上避けるべき音程とされた》三全音の使用に警告を発する意味でこのあだ名がつけられたのだとか。

 えー、時間がなくなってきたので急ぎます。

 こんな宙ぶらりんな音程ですが、ここに2つの音を加えるとよく知っている和音ができます。

【譜例6】

 「ソ」と「レ」を加えてみると、G7になります。ジー・メイジャー・セブンス、すなわち「ソ シ レ ファ」の和音には三全音が含まれています。

 ところで、「ソ」と「レ」ではなく、「レ♭」と「ラ♭」を加えてみるとこんな和音ができあがります。

【譜例7】

 異名同音で「シ」=「ド♭」なので、結果として「レ♭ ファ ラ♭ ド♭」というD♭7というコードが生成されます。
 「シ/ファ」という同じ三全音を含んだG7とD♭7というふたつのセブンス・コード。おもしろいことにコードの根音であるGとD♭の関係もまた三全音になっていますが、この両者の関係をジャズ・ポピュラー音楽の世界では「裏コード」の関係と呼んでいます。
 裏コードとは、簡単にいうとドミナントの代理として機能するコードです。
 ぜんぜん簡単じゃないですね。実際に弾いてみると理解しやすいと思います。おなじみの「起立・気をつけ・例」の通常バージョンは、

 ですが、この真ん中のコード(G7)を裏コード(D♭7)に変えてみると、

 いきなりシャレオツになりました(笑)、が、和音の機能としては一緒です。なぜ同じなのかを説明すると本一冊ぐらいの分量になるのでしませんが、とりあえずは「共通のトライトーンをもつから」ということで押さえておいていただければよいかと思います。

 『サーフボード』のBの部分のメロディーとコードを書いておきましょう。

 こうしてみると、トライトーンと裏コードの説明のためにうってつけの曲ということがよくわかるでしょう?

 では最後に『サーフボード』の演奏を何種類かご紹介します。

 ブラジルのギタリストにして作曲家のマリオ・アヂネーによるカヴァー。この人、そんなに知られていないようだけど、小野リサさんや伊藤ゴローさん(naomi & goro)など、日本人ミュージシャンとの交流もあります。
 実はぼく、『サーフボード』は作曲者本人の演奏ではなくこの演奏(CD)から知ったんですよね(それ以前にも聞いていたかもしれないけど、意識して聴いたのは)。アヂネーのアレンジは音色が個性的で、歪な部分がいい味を出している民芸品みたいに愛着がわきます。
 たとえば本稿で扱ったBの部分のトライトーンはクラリネットとホルンで奏されます。ジョビン版(アレンジはネルソン・リドルというアメリカ人アレンジャー)では弦楽器ですが、こっちでは管楽器。一人で吹くにはぎりぎり息が続くか続かないかというフレーズをアヂネーはあえて管楽器に担当させることで、緊張感を演出しています。

 こちらは2008年にリオで行われたカエターノ・ヴェローゾとホベルト・カルロスの"ジョビン・トリビュート・ライヴ"から。これはインスト曲なのでカエターノとホベルトはお休みですけど。
 ピアノを弾いているのはトムの孫であるダニエル・ジョビン。非常に軽いタッチが涼しげでよいです。カエターノとホベルトによるジョビンの歌もおすすめなので興味のある人はYouTubeにジャンプして聴いてみてください。

 オルガン奏者のワルター・ワンダレイによるバージョン。あ、オルガンといっても教会やコンサートホールにあるパイプ・オルガンではなく、ハモンドオルガンと呼ばれる電子オルガンです。マルコス・ヴァーリの『サマー・サンバ』のカヴァーなどでも知られています。
 とても軽快なテンポで奏されますが、それはオルガンの粒のきわだった音色があってこそのもの。

 ジョビン本人のライブ演奏。生フェード・アウトが見事です(笑)

***

 楽曲解説というよりは、楽曲を例とした理論解説になってしまいました。
 次回からはもうちょっとライトに楽曲そのものについて書くようにしたいと思います。(毎回こんな内容では読者離れは加速しそうだし、だいいちいくらポケモンGOのおかげでよく歩くようになったとはいえ僕の体力がもたない…)

〈参考文献〉
『新編 音楽中辞典』音楽之友社、2002年

- text by ryotaro -

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