ライブの良さとは

 先日、よく利用していた東京都内の練習室(スタジオ)が3月いっぱいで閉まってしまうというので、yoshiroとふたりで練習しに行きました=写真。
 僕ら3pageはアコースティックなバンドなので、ピアノが置いてあるスタジオでの練習が望ましいのだけど、アクセスが便利で価格的にも手ごろな場所ってなかなかないんですよね。どこか、おすすめの場所があったら教えてください。

 練習帰りに立ち寄ったビアバーで、ライブの話になったんです。ライブといっても、演奏する側ではなくて、鑑賞する側としての。
 ふたりとも時間とお金の許す範囲で、わりとライブに足を運んでいいます。(ここでいう「ライブ」はコンサートとか演奏会とか、そういう名前で呼ばれるイベントも全て含めています)

 で、先日yoshiroがクラシックの演奏会に出かけたときのこと。とあるプログラム(演奏時間数十分の協奏曲)の最中、近くに座っていたおじさんがずっとせき払いをしたとかで、聴くことに集中できなかったそう。そんな体験談から「ライブの良さとは何なのか」という問いについて、ちょっと考えた。

 僕もけっこうな確率でそういう状況におかれるので(僕にそういう人を引き寄せる力があるのか、それとも僕が過度に気にしすぎなのかは不明)、その心境はすごくよくわかります。気が短い僕は、すぐイライラしてしまいます。そしてイライラしている自分にイライラしてしまいます。イライラスパイラル。
 でも、イライラしたって仕方ないし、結局損するのは自分。だから、そんな状況も含めて、ライブを丸ごと受け入れるしか手はないと思ったりする。なかなか難しいとは思うけれど、考え方次第では不可能ではないはず。

 予期しないことが起こるのがライブで、予期しないことがあるからこそライブは楽しい。 そして、それが「ライブの良さ」なのではないか。

 もし「いい音」を求めるなら、ちょっとした値段のオーディオ装置でハイレゾ音源でも聴いていればよい。もし「ビジュアル」を求めるなら、うまく編集された映像やフォトショ(ップ。なんでこのたった2文字を省略するんだろう?)で加工された写真でも見ていればよい。

 もちろんシンプルに「ライブの良さ」イコール「生演奏が聴ける」と考えることに反対する理由は見つかりません。生演奏には何ものにも代えがたい力がある。ゆえに、時間とお金と引き換えに享受するライブ(生演奏)に、余計な「ノイズ」が生じるのは許しがたい。ましてや、そのノイズ がマナー違反によるものであったら。
 鑑賞中のマナー違反をだまって見逃すのは僕も不本意です。でも注意するだけの勇気を持ち合わせていないし、仮に注意したところで、結局はその時間だけライブを無駄にすることになる。

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 「聴く」という行為は、受動的に捉えられがちだけど、僕はとても能動的な行為だと思うんです。
 僕が聴いている音は、常に僕によって選択されている。それゆえ「ノイズ」と思う音は、「ノイズ」という意識があるところに生まれる。
 ビル・エヴァンスの超絶名盤「ワルツ・フォー・デビー」の、食器の触れ合う音や誰かの笑い声は、あれは果たして「ノイズ」なんでしょうか。

 そんなわけで、ライブの良さを「予期しないこと」と思えば、どんなライブも楽しめるんじゃないかな。と、自分に言い聞かせて、また次のライブ鑑賞を、心待ちにする僕です。【り】

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